第4話:天文台
来るなと言われた次の日に、のこのこと天文台へとやってきたわけであるが、気まずさはあれど
「用事を済ませたらすぐ戻りますから、外で待っていてください」
勝手についてきた人間に対して「待っていてくれ」というのは些か違和感を感じるが、言わなかったらついてきそうな気がしたので、桑縁は明超にそう言い含めた。
禁門が開いてからまだ半時辰も経っていない。李司天
白髪交じりの李司天
ただ……。
(あの本、李司天
温和な彼の意外な一面を覗き見てしまったような気がして、なんだか後ろめたい気持ちになってしまう。しかし、こればかりは不可抗力だ。
「すみません、李司天
声を掛けると李司天
「おや、桑縁じゃないか。昨晩、鴎司天監に殴り飛ばされたと聞いたけれど……ひどいな。頬が腫れているじゃないか」
この老人はいつも桑縁に対して、まるで孫か何かに話すように語り掛ける。いっぱしの大人のつもりである桑縁は、それがこそばゆくて仕方ない。――しかし同時に少しだけ嬉しかった。
「ははは……。いえ、手当てはしたので大丈夫です。それより丹
知らぬわけはないと思ったが、おそらく殴られたことは既に皆に広まっているのだろう。苦笑いで話を逸らしたあと、桑縁は『春宮秘蔵画』を差し出した。
「ああ、ありがとう。すまなかったね」
桑縁から本を受け取った李司天
霊台の階段を下りた先には正房にあたる紫星殿があり、その左右には
足早に紫星殿の脇を通り抜けようとしたとき、部屋の中に違和感を感じて、桑縁は足を留めた。どうにも気になり部屋の中に入ってみると、卓子の上に冊子が乱雑に積み上げられている。天文台の蔵書や資料はどれも貴重なものばかり。雑にしていいわけがない。
呆れながらそのうちの一冊を手に取ってみれば、表に『庚永八年観測帳』と書かれている。この観測帳を記録していたであろう人物の名は、同じ霊台郎であるが桑縁の知らぬ名だ。
(これは……星図?)
積み上げられた文書の下敷きになっているのは、やはり星図であった。それは、桑縁が描いたものではなかったが、観測帳も過去のものであるし、おそらくはこの星図も過去のものなのだろう。卓子の上にはまだ飲みかけの茶が二つ載ったままであるし、きっと誰かが調べものをしていたのだと桑縁は考えた。
「それにしたって、こんな文書の側にお茶を置いたままにするなんて……。零したら一大事なのに」
慌てていたのかもしれないが、置かれている文書は過去の星辰の記録を書き留めた観測帳だ。失ってしまったら二度と取り戻せない、人によってはかなり貴重なものなのだ。
「あ痛っ!」
何気なく冊子を手に取った拍子に、指先に鋭い痛みが走り、桑縁は慌てて指を引っ込めた。どうやら紙の端で切ってしまったらしい。ここのところ、どうにもツイていないのは、科挙で運を使い果たしたからだろうか。手を離した拍子に詰まれた冊子が卓子の上から崩れ落ちてしまったから目も当てられない。
それでも茶が零れなかったのは不幸中の幸いだ。
(余計なことするんじゃなかった……)
己の不運を嘆きつつ崩れた冊子を束ね直し、ついでに飲みかけの茶も片付ける。どうせ崩してしまったことは一目瞭然なのだ、せめて綺麗に片付けて誠意を見せるしかない。
(できればもう殴られませんように……)
儚い望みだが、祈らずにはいられなかった。
*
そのあと、桑縁は冷たい視線を覚悟してもう一度皇城内の司天監の舎屋へと戻り、なんとか雑務を貰うことに成功した。皇城内の埃っぽい舎屋の中で、資料整理と掃除をしながら桑縁は満足げに汗を拭う。
「ふう、思ったより時間がかかったな」
既に日は傾きかけ、格子戸から差し込む光は朱に染まっている。ずいぶんいい加減な管理をしていたらしく、あろうことか秘閣に収蔵されているはずの貴重な書物などまで混ざり込んでいて、掃除をしながら綺麗に仕分けした上でそれぞれのあるべき場所へと資料や書物を戻してきたため、存外に時間がかかってしまった。さすがに一日で全ての整理が終わるはずもなく、ようやく一角が片付けいたというところ。
ともあれ、暫くは天文台に入れてもらえなかったとしても、仕事に困ることはなさそうだ。それだけでも気持ちが楽になる。
「それでは、失礼します」
「ああ、また頼むよ」
帰り際、丹
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