王太子殿下に伴われた子女

 乙女ゲーム『ホワイト・アスター』における最大の見せ場は、何といっても悪役令嬢が断罪されるところでしょう。ヒロインと最も好感度の高い攻略対象男性キャラが一曲踊った後、得意満面な悪役令嬢の元へと向かって今までの罪状を突きつけるのです。


 それが始まるのは二回目の小休止です。皆さんと楽しくおしゃべりしていたところを突然弾劾されたわけですから、悪役令嬢としてはたまったものではなかったでしょう。本編のヒロイン二人でプレイした前世の記憶では爽快な場面でしたが、今の悪役令嬢わたくしとしては恐怖そのものです。


 しかし、今のわたくしはもはや待つしかありません。これまで延々とこのときのために苦労を重ねてきましたが、それが報われるのかそれとも水泡に帰すのかはこの後すぐにわかります。ドレスで隠れた脚が震えています。


「それで結局、三人目のヒロインとはどなたなのでしょうか?」


 この学園に入学してからずっと探したにもかかわらず、ついに見つけられなかった子女。ファンディスクをプレイしていなかったわたくしが悪いといえば悪いのですが、それにしたって手がかりなしノーヒントというのはきつすぎました。せめて何かひとつでもあれば。


 舞踏の曲が終わると二回目の小休止が始まりました。会場内が大きくざわつきます。


 一人立つわたくしの元へも次々と子弟子女の方々がお見えになりました。ある方は一人で、ある方は婚約者を伴って、また別の方はご友人とご一緒に。その中にはこの日一曲踊った方もいらっしゃいました。皆さんとても楽しそうにお話をされていたので、ご一緒できてとても楽しかったです。婚約の件を祝福していただけました。このときだけを切り取ればわたくしはとても幸せに見えたでしょう。


 あまりにも何もないことから、もしかしたらこのまま何事もないのではとわたくしは安心しかけました。しかし、世界の修正力は甘くありません。ついにそのときがやって参りました。


 ふと右手側へと顔を向けますと、メルヴィン様が近寄ってこられます。そのお姿を見たわたくしは肩の力を抜いたのですが、隣に同伴していらっしゃる方の姿を見て凍り付きました。


「え?」


 その方は、アッシュゴールドの髪をボブカットにしたやや垂れ目の子女でした。茶色の地味なドレスは控えめな彼女に似合っています。


 わたくしはこの方を知っています。一度直接お目にかかり、他の場所でもお見かけしたことがありますから。この方は、この方は一学年生の特待生ベッキーですわよね。


 やはりあの方が三人目のヒロインでしたか。手がかりはまったくありませんでしたが、直感ではそうかもしれないと思ったのは正しかったわけです。


 何もかも終わりました。今までしてきたことはすべて無駄だったのです。しょせん、子女一人では世界の修正力にかないませんでした。なんということでしょう。


 口どころか体が動かないわたくしは、メルヴィン様とベッキーが目の前にやって来るのをじっと見ていました。一体、どんな罪状で断罪されるのか見当もつきません。


 青い顔でお二人を迎え入れたわたくしに対して、メルヴィン様が声をかけてこられます。


「フェリシア、ここにいたんだね。探したよ」


「あの、その方は」


「今年入学してきた一学年生の特待生のベッキー嬢だよ。休憩直前の一曲で踊ったときに、一度君と会ったことがあると聞いてね。一緒に来てもらったんだ」


「それで、一緒にわたくしを断罪するために?」


「断罪? なぜ? 私は君とベッキー嬢が知り合いだと知ったからこうして連れてきただけだよ」


「え? そうなんですの?」


 何やら話が食い違っていることに気付いたわたくしはベッキーへと顔を向けました。地味ですけど可愛らしい顔のその方はやや不機嫌そうな顔で見返してこられます。


「このアスターパーティは、最低一度踊れば後は立っていても構わないのですよね?」


「え、ええ。誰かに誘われてお相手して差し上げたら喜んでもらえると思いますけど」


「やっぱり、ちょっと、貴族様の舞踏ってあたしには合わないんですよね。根っからの平民みたいで」


「そうですの。でも、良い経験になるのでは?」


「確かにそれは言えてます。ああそうだ。あたし、結婚を誓った人を置いて来ているんで、卒業したら教えて一緒に踊ろうと思います」


「それは良いことだと思いますわ。ではそのためにも、もう少し踊られては?」


「考えておきます。それでは、お幸せに」


「ありがとう」


 祝福の言葉をいただけたわたくしはお礼を申し上げました。すると、ベッキーはそのままわたくしたちの元から離れてゆきます。残されたわたくしは呆然とその後ろ姿を見送りました。


 しばらくすると、隣のメルヴィン様が肩をすくめてわたくしに声をかけてこられます。


「貴族と平民の違いと言ってしまえばそれまでなんだろうけど、彼女、なかなか変わっているとは思わないかい?」


「そうですわね。けれど、悪い方ではなさそうですわよ」


「どうしてそう思うのかな?」


「婚約者に舞踏を教えて一緒に踊りたいっておっしゃっていたからです。そういう人に悪い人はいらっしゃいませんから」


 舞踏会場の壁際に立ったベッキーの姿を見ながらわたくしはメルヴィン様に返答しました。


 あのベッキーが三人目のヒロインなのかどうかはわかりませんが、婚約者がいらっしゃるのでしたらわたくしと対決することはこれからもないでしょう。メルヴィン様もわたくしを断罪する気配がない以上、もはやゲームの世界のような破滅はほぼないと言ってもよろしいかと思います。


 つまり、ついにわたくしは世界の修正力を振り切って未来を掴んだのです! やりましたわ!


 しかしそうなりますと、三人目のヒロインは一体どなただったのでしょうか。




 夏期休暇が終わり、新しい学期が始まりました。この頃になると一学年生も慣れてすっかり学園の生徒らしくなります。


 わたくしの仲良し集団に迎えた一学年生もすっかり馴染んでいました。今では皆さんと気兼ねなく庭園でお茶会を開いています。


「ダーシー、例の婚約の相談はもう二学年生に引き継ぎましたか?」


「はい! 私たち三学年生はたまに下の子から相談されるくらいですわ」


「良いことですね。年末までには自分たちだけでやれるように鍛えましょう」


「でも、二学年生で最も高位な子が伯爵家でしかも三人いますから、私たちが卒業した後が少し不安で」


「そこまで考える必要はありません。来年のことは当人たちに任せましょう」


 あの頼りなかったダーシーも今ではすっかり年長者らしくなりました。この様子でしたら卒業しても立派にやっていけるでしょう。


 引き継ぎと言えば、生徒会の役員も下級生に引き継ぎました。生徒会長の役職はメルヴィン様からローレンス殿に、副会長はわたくしからハミルトン殿にです。爵位や実績から見ても異論のない禅譲ですので反論はありませんでした。


 会長の席に座ったローレンス殿が前に立つメルヴィン様にやや困惑した顔を向けられます。


「殿下の後任となると責任重大ですね」


「とりあえず今までと同じことをしていればいい。君なら難なくこなせるだろう」


「だといいんですが。ハミルトン、そっちはどうだい?」


「何とかなるでしょ。するしかねぇし。これから支えてくれよ、アーリーン」


「はい、一緒に頑張ろうね、ジェマ」


「もちろんよ!」


 アーリーンから笑顔を向けられたジェマが両手を腰に当てて反り返りました。去年までとは違い、今やハイスペックヒロインに成長したのでこの自信にはちゃんと根拠があります。この四人ならば問題なく生徒会を運営してくれるでしょう。


 そうして月日は流れ、春先になりました。卒業式を終えたわたくしたち三学年生は次なる場所へと旅だってゆきます。仲の良かった方々との別離はつらいですが、笑顔で別れました。


 三年間わたくしが使っていたこの部屋とも今日でお別れです。今はお茶を飲んでいますが、それもこれが最後でしょう。


 カップをテーブルに置いたわたくしはカリスタへと顔を向けます。


「ついにこの部屋ともお別れですわね」


「そうですね。三年間、長いようで短かったように思えます」


「わたくしは去年の秋から始まった王太子妃教育で今にも倒れそうですわ」


「何をおっしゃるのやら。まだ始まったばかりではありませんか。これが今後一年以上続くのですよ」


「今すぐ気絶したいですわね」


「お目覚めになった目の前には教育係の方がいらっしゃるでしょう」


 何ですかその地獄は。聞くだけで吐きそう。顔を引きつらせたわたくしはため息をつきました。確かにメルヴィン様の妻になるためには必要な教育でしょうが、きついものはきついです。


 結局、在学中にわたくしが破滅をするような出来事は一度もありませんでした。世界の修正力をうまく回避できたのか、それともそもそも最初からそんなものはなかったのか、わたくしにはわかりません。ただ、輝かしい未来が開けていることは確かです。


 カリスタが王宮から遣わされた馬車が到着したことを知らせてくれました。いよいよメルヴィン様の実家にこれから乗り込みます。ああ、これから国王陛下と王妃様をお義父様、お義母様と呼ぶことになるなんて、未来のことはマジわかりませんわ!


 これから先の人生も何かしらのゲーム的な世界に似ているのかもしれません。しかし、そのゲームをわたくしはプレイしていないので知識がまったくないです。ならば今度は、ゲームなど関係なく好きに生きていくとしましょう。

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