夏の舞踏会

 ついにこのときがやって参りました。アスター学園で最も注目すべきイベント、夏の舞踏会アスターパーティです。皆さんはこの日のために舞踏のお稽古に力を入れたり、ドレスの新調を熱心にしたりと大忙しでした。


 わたくしも生徒会の副会長として会長であるメルヴィン様と共に陣頭指揮に当たり、様々な準備を整えてきました。基本的にやることは去年と同じですが、今年はわたくしたちが中心となってすべて差配して積極的に流行を取り入れています。


 そういうこともあり、生徒会役員の方々は皆さん当日を楽しみにしていらっしゃいました。裏方はの作業は教職員や使用人が引き継いでくれるので、後は下級生の皆さんを導きながら楽しめば良いのです。


 ただし、わたくしだけはそうもいきません。生徒会役員としての役割があるからだけでなく、この日にわたくしの人生を左右するイベントがあるかもしれないからです。


 ゲームでの悪役令嬢わたくしはこのパーティの臨むまであんな結末を迎えるなんて夢にも思っていなかったでしょう。あれだけの悪行を重ねた彼女ならば仕方ないと思えますが、この世界の恋の仲人わたくしは違います。ひたすら善行を重ねてきたのです。破滅させられる謂われなどありません。


 さぁ、勝負の時です。参りましょう、舞踏館へ!




 日没前、アスターパーティの開宴までもう間もなくという頃は学園内が静かなざわめきに包まれます。乙女館の入口には婚約者と待ち合わせている淑女たちが多数立っていました。待っている間、仲の良い方と集まっておしゃべりをされています。


 その中には、赤を基調とした派手なドレスに身を包んだわたくしもいました。脇には薄い緑色の控えめなドレスを着ているカリスタが控えています。


「カリスタは一度部屋に戻ってから舞踏館に来るのよね?」


「はい。今年はフェリシア様と王太子殿下が舞われるところをぜひ目にしたいので」


「いくらわたくしの侍女でも、普段の舞踏のお稽古は参観できませんものね」


「それもありますが、やはり晴れの舞台となるとまた別ですから」


 この特別な日が嬉しいらしいカリスタがわたくしに向かって微笑みました。まぁ、今晩は一生に一度の舞台ですからね、いろんな意味で。


 そんなわたくしに声をかけてくる子女がいました。黄緑色の可愛らしいドレスを身につけたダーシーです。


「フェリシア様! フェリシア様も王太子様を待っていらっしゃるのですか?」


「そうです。あなたもハリー殿を待っているのですよね」


「はい! 早く一緒に舞踏館へ行きたいですわ!」


 無邪気に喜ぶダーシーが満面の笑みを浮かべていました。もしわたくしが今晩断罪されたとしたら、この子はどうなるのでしょうか。常にわたくしの取り巻きとして動き回っていたので大きな影響を受けるでしょう。そう考えると、少し胸が痛みます。


 脳裏に浮かんだ不安を抑え込んでわたくしはダーシーと何気ないおしゃべりをしました。その間にも、身だしなみを完璧に整えた紳士たちに迎えられた淑女たちが、今日のためにあつらえたドレスをなびかせて舞踏館へ向かってゆきます。


 先にやって来たのはハリー殿でした。目を輝かせたダーシーが嬉しそうに差し出された手を取ります。振り向いてわたくしに手を振ると先に会場へと歩き出しました。


 それを見送りながらわたくしはつぶやきます。


「生徒会役員なんですから、あまり遅れるのもよろしくないんですけどね」


「フェリシア様、お見えになったようですよ」


 回廊の奥を見るよう促されたわたくしは白いタキシードを着たメルヴィン様を見つけました。あのハイスペックイケメンが笑顔を向けて近づいていらっしゃいます。


「待たせたね、フェリシア。さぁ、行こうか」


「はい」


 差し出された手をわたくしが取ると舞踏館へと緩やかに導かれました。


 周囲の皆さんと一緒に舞踏会場へ一歩入ると、わたくしは天井にある大きなシャンデリアの輝きに出迎えられました。今日このときのために数々の努力をしてきたわたくしたちの晴れの舞台です。


 会場内で談笑していらした在学生の子弟子女の皆さんが、次々とわたくしと隣に立つメルヴィン様へと顔を向けてこられました。その憧憬の視線と羨望のため息が何とも落ち着かなくて仕方ありません。


 開宴の報が舞踏館内にいる方々に告げられました。これからパーティの始まりです。お相手のいる子弟子女は舞踏会場の中央へと進み出ました。わたくしもメルヴィン様と共にきれいに磨かれた板張りの床の上を歩いて中央に向かいます。そうして向き合うと、緩やかに奏でられ始めた音楽に乗って踊り始めました。


 体を寄せて向き合うわたくしとメルヴィン様はくるくると舞います。今日このときのために飾られた白い石材で造られた壁が遠くで流れてゆく中、わたくしは喜びを噛みしめ、不安を押さえつけます。


 一曲が終わり、わたくしとメルヴィン様がぴたりと止まると周囲からは盛大な拍手が湧き上がりました。


 ほぼぴったりとくっついたメルヴィン様が賞賛してくださいます。


「さすがフェリシア、見事な舞いだったね」


「ありがとうございます。メルヴィン様も素晴らしかったですわ」


「ではもう一曲といきたいところだけど、しばらくは生徒会役員としての務めを果たさないとね」


 名残惜しそうなお顔をされたメルヴィン様に導かれたわたくしは舞踏会場の中央から離れました。そうして一度別れます。


 この後は、しばらく生徒会役員としてまだ決まったお相手のいない子弟の方々と一曲踊ってゆきました。ある方は緊張の面持ちで、またある方は顔を赤くして、わたくしと踊ってゆかれます。


 そうしてやがて一度目の小休止が訪れました。これはアスターパーティに限ったことではありませんが、舞踏会とは始まりから終わりまでずっと踊り続けているわけではありません。この小休止の間に踊り疲れた体を休ませたり他の方々と歓談したりするのです。


 小休止になるとわたくしはダーシーと再会しました。婚約者であるハリー殿に伴われて近づいて来ます。


「フェリシア様、王太子様とのご一曲、素晴らしかったですわ!」


「ありがとう。あなたは楽しめているようですわね」


「はい! もう三回もハリー様と踊りましたの!」


「それは良かったですわ」


「アスターパーティに参加できるのは今年で最後ですから、今晩はたくさん踊るんです!」


 全身で今晩を楽しんでいるということを表現しているダーシーは本当に嬉しそうでした。隣のハリー殿も幸せそうです。婚約を仲介したわたくしとしては喜ばしい限りですね。


 しばらく雑談しているとハリー殿が別の殿方に呼ばれるのを耳にします。それに合わせてダーシー共々別の場所へと向かってゆきました。


 その後ろ姿を見送っていますと、背後から声をかけられたのでわたくしは振り向きます。すると、そこには上機嫌なカリスタがいました。あちらから声をかけられます。


「フェリシア様、ようやくお話しする機会を得られました」


「楽しんでいますか、カリスタ」


「もちろんですとも。王太子殿下との一曲には間に合いませんでしたが、他の殿方と踊っていらっしゃるところは何度かお目にかけました。眼福でしたわ」


「学園に入学する前に比べて上手になったでしょう?」


「それはもう。私など足下にも及びません」


「あなたは踊ったのですか?」


「いえ。私は在学中に存分に楽しみましたので」


 そういえば、カリスタはこのアスター学園の卒業生でしたわね。この王国の貴族子弟子女は入学を義務づけられているのですから当然なのですが。


 小休止が終わると、わたくしは再びお一人の子弟の方々と一曲踊りました。ただ、この頃になるとさすがに一度踊ったという方が多いですわね。


 踊りながら周囲を窺いますと、同じ役員であるあの四人も活躍していました。ローレンス殿とハミルトン殿は去年と同様に余裕を持ってお相手のご令嬢を導いていらっしゃいます。一方、ジェマとアーリーンは去年よりも段違いに舞踏が上達していました。それもそのはず、わたくしが鍛え上げたからです。ゲーム的には恐らく舞踏のパラメーターが最大に近いのではないでしょうか。さすがハイスペックヒロインたちです。


 何度も繰り返し別の殿方と踊ったことでわたくしは疲れました。一度壁際に寄って休みます。


 手近にあったグラスを手に取り、わたくしはそれを片手で弄びながら舞踏会場をぼんやりと眺めました。本当に皆さん楽しそうに踊っていらっしゃいます。舞踏会の準備をしてきたわたくしも嬉しいですね。一学年生らしき方がたまによろめいたりステップを間違えたりする姿もご愛敬と言えるでしょう。


 しかし、わたくしがこのまま夏の舞踏会を楽しめるかはわかりません。断罪劇の場面がもう目前まで迫っているからです。

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