ヒロインたちとの接触
アスター学園に入学してから一年が過ぎました。この学園にもすっかり慣れたわたくしは日々学友の方々と充実した日々を過ごしています。
しかし、わたくしの本当の意味での学園生活は今年の春から始まります。そう、前世のゲームの開始が今年の春だからです。つまり、あのヒロイン二人が入学してきたのです!
一人は、ミルキーブロンドの髪をポニーテールにしている丸く大きな目をした愛らしい子女、ジェマです。パッカー男爵の一人娘である彼女は開放的で明るく、習慣や規則に囚われない性格です。前世のゲームでは童顔で小柄なジェマが表情豊かに会話をするところが大人気でした。
もう一人は、ストレートのダークブロンドで自信なさげな目をした表情の乏しい子女、アーリーンです。ラムゼイ子爵の次女である彼女は引っ込み思案な性格ですが、そんな自分の性格を変えたくて奮闘するところにプレイヤーの支持が集まりました。
前世でゲームをプレイしていたときはわたくしも緩やかにヒロインたちを応援していましたが、今世ではそう簡単にはいきません。いえ、今も心情的には好意的なんですが、わたくしの未来のためにもこのお二方には特に注目する必要があります。
ということで、今後はヒロインに注目しながら学園生活を送ってゆくわけですが、問題なのはどのように対応するべきかという点です。攻略対象男性キャラの場合は極端な話、嫌われたり憎まれたりしなければ放置でもよろしいのですが、ヒロインはそういうわけにもいきません。ゲームではプレイヤーがヒロインを能動的に動かして物語を進めていくわけですが、現実の世界で自発的にこれをされると放っておけばわたくしが自動的に破滅しかねません。しかし同時に、下手に藪を突くとどうなるかわからないという怖さもあります。
そこで思い出されるのがこの一年間でわたくしが行ってきた努力です。毎日皆さんに笑顔で挨拶をし、困っている方には相談に乗り、教員の方々のご依頼も度々こなしてきました。この成果を信じるのならば多少の失敗は平気、なはずです。
しばらく様子を見ていたわたくしですが、いつまでもじっとしているわけにもいきません。新学年を迎えて一ヵ月ほどしてから、わたくしはヒロインのお二方に近づきました。
ある日の昼下がり、わたくしたちは学園内にある舞踏館でお稽古をしていました。今日は一般的なパーティでも踊れるような簡単なものが中心です。そして、この日はわたくしたち二学年生と入学して間もない一学年生との合同でした。
舞踏は一人で踊るものもありますが、基本的に二人で踊るものです。そこで、去年お稽古をしたわたくしたち二学年生が相手となり、教員の方と共に一学年生を導くのです。
このお稽古にはわたくしはもちろん、一学年生の中にはあのジェマの姿も見えます。アーリーンは気分が優れないとのことで欠席。こちらは残念ですわね。
ともかく、この機会に一度お茶に誘ってみようと思います。まずはお近づきにならないと話になりませんものね。
舞踏のお稽古自体は特に何事もなく進みました。皆が和気藹々と楽しげにくるくると舞いながら、二学年生が指摘をし、一学年生がそれに応えてゆきます。
そうしてお稽古が終わると今日の授業はお終いです。皆さんは仲の良いお友達と一緒に舞踏館から出て行こうとしていました。
いつもでしたらわたくしも同じなのですが、今日はジェマを誘わなければなりません。ちょうどお一人なのでわたくしは直接ジェマの元に向かいました。あちらもわたくしに気付き、振り向いて大きな目を丸くしています。
「パッカー男爵家のジェマさんですわね?」
「は、はい。フェリシア様ですよね?」
「今から庭園で皆さんとお茶を楽しもうとしているのですけど、あなたもどうかしらと思って」
「あ、あたしもですか?」
更に目を見開いたジェマが呆然としました。何をそんなに驚いているのかわかりませんが、子女の間でお茶に誘うのは別段珍しくないことです。仲良くなりたいために誘うのは基本中の基本と言えるでしょう。ジェマもそのくらいのことは知っているはずです。
次第に落ち着いてきたジェマの返答をわたくしは待ちました。そのわたくしの周りにはいつもの取り巻きたちが集まってきましたが、とりあえずは放っておきます。
「あの、フェリシア様、誘っていただけたのは嬉しいんですけど、今日はちょっと用がありまして」
「あら、そうなんですの。それは仕方あ」
「ちょっと、フェリシア様のお誘いを断るってどういうことなのよ!」
用があるのならば仕方がないと返答しようとしたわたくしの脇から、ダーシーが一歩前に進み出てきました。怒っても怖くない顔を怒らせてジェマへと迫ろうとします。
「クエイフ侯爵家のご令嬢にてこのアスター学園の栄えある生徒会役員のフェリシア様のお誘いを断るなんて許されないことよ!」
「ゆ、許されないって言われても、用があるんですから仕方がないじゃないですか」
「何を言っているのよ。そんな用よりも」
「ダーシー」
「はい? フェ、フェリシア様?」
突然の割り込みに呆然としていたわたくしですが、この流れを聞いていて前世のゲームの一場面を思い出しました。そうです、ここから悪役令嬢とその取り巻きたちがお茶の誘いを断ったジェマを追い込んでいくのです。そして、騒ぎを聞きつけた最も好感度の高い攻略対象男性キャラが助けに来るのでした。
いけません。この流れは絶対に食い止めないといけません!
「あなた、今わたくしの言葉を遮ったことはご承知かしら?」
「はっ!? 申し訳ありません」
「それに、ご用があるのでしたら断るのは当然のことでしょう。わたくしの実家や生徒会役員という地位がジェマさんの用と一体どんな関係があるというのです?」
「も、申し訳ありません」
「ジェマ、ごめんなさいね。仕方ありません、また次の機会にお誘いしますわ」
「は、はい。そ、それでは」
なぜか怯えた様子のジェマがそそくさとわたくしの前から立ち去りました。一瞬理由がわかりませんでしたが、近くにある全身が見える大きな鏡に映る自分の顔を見て固まりました。美人が怒ると怖いと言いますが、きつめの顔だと更に恐ろしい形相になるのです。わたくしはそれをたった今初めて知りました。
そして、ひとつの懸念が脳裏をよぎります。もしかして、わたくしも内心で誘いを断ったことを怒っていると思われたのではないかと。
事実確認をすぐにでもしたいところですが、当の本人はもうここにはいません。
わたくしは頭を抱えてしまいました。
またとある別の日、礼儀作法の講義が終わりました。この講義も二学年生と一学年生の合同講義です。舞踏のときと同じで、教員指導の下、上級生が下級生の相手をするという形でした。
既にある程度身に付けているとはいえ、やはり講義のときはいささか緊張します。失敗して一学年生に笑われるのは恥ずかしいですから。
しかし、もう終わった講義のことは良いのです。小休止時間の開放感でざわめく講義室の中、わたくしは席から立ち上がりました。そして、同じく立ち上がったばかりのアーリーンへと近づいてゆきます。
「ラムゼイ子爵家のアーリーンさんですわね」
「ひっ」
「え?」
わたくしが呼びかけた途端、恐怖で顔を引きつらせたアーリーンの口から小さい悲鳴が漏れました。その理由がわたくしにはまるでわかりません。
遠目で見かけたことはあっても話しかけたのは今回が初めてです。怖がらせるようなことは何もしていないはず。
いつの間にか周囲のざわめきも消えていました。皆さんがわたくしとアーリーンに注目していることは気配でわかります。
何か非常に嫌な雰囲気を感じ取ったわたくしですが、ここで中途半端に引き下がっては更にまずい気がしました。なのでそのままお話を続けます。
「今日の授業が終わったら皆でお茶会を開こうと思っているのですけど、ご一緒にどうかしら?」
「も、申し訳ございません。私、今日は都合が付かないんです。許してください」
「え? ええ、都合が悪いのでしたら、またの機会にでも」
「失礼しました!」
勇気を振り絞って叫んだという様子のアーリーンが踵を返して講義室から出て行きました。それからしばらくして周囲のざわめきが戻ってきます。
その中でわたくしは呆然と立ち尽くしていました。今回は何が悪かったのかさっぱりわかりません。
後にダーシーたちに聞いたところ、わたくしが一部の気に入らない令嬢につらく当たるという噂が流れていたそうです。原因はジェマの件だとか。あれに尾ひれが付いたようです。
そんな、わたくしはただお茶に誘おうとしただけですのに。これも世界の修正力なのでしょうか。
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