噂が巡った末に
夏期休暇がそろそろ目に入ってくる頃、一日の授業を終えたわたくしは自室へと帰って来ました。すっかり慣れ親しんだ椅子に腰掛けると用意されたお茶を口にします。
そんな至福のときをある程度味わったわたくしは侍女のカリスタへと目を向けました。すると、優秀な侍女が顔色を変えずにわたくしへと伝えるべきことを告げてきます。
「フェリシア様、ネヴィル公爵家のアレクサンドラ様からお茶のお誘いが届いております」
「アレクサンドラ様から?」
「はい。まだ一度もご一緒したことがないのでぜひこの機会にとのことです」
添えられた言葉を聞いたわたくしは難しい顔をしました。確かにこの学園に入学して以来、アレクサンドラ様とはすれ違うときに何度か挨拶をしただけです。こちらからは特に用がなかったからですが、どうにも向こうには何やら用があるようですね。
「カリスタ、この機会というのは?」
「言葉のあやかと思われますが、フェリシア様のお名前が噂に上るようになってきたことを指しているのかもしれません。入学以来、積極的に皆さんを助けていらっしゃいますからね」
指摘されたわたくしは軽くうなずきました。取り巻きのダーシーたちからも最近噂になっているという話は耳にします。今のところ好意的なものばかりのようですが、それが上の方々のお耳にも入るようになったわけですか。
日々の努力が実を結びつつあることにわたくしは密かに満足しました。しかし、そのわたくしにカリスタが聞き捨てならないことを更に伝えてきます。
「さすがクエイフ侯爵家のご令嬢と皆さん褒めそやしているのを聞いて私も鼻が高いです。あの方こそ生徒会役員にふさわしいと皆さんおっしゃっておいでですから」
「けほっ、なんですって?」
「フェリシア様の日々の行いを皆さんが評価されているのです。こんなに喜ばしいことはないでしょう」
「ということは、アレクサンドラ様もそのつもりで?」
「可能性はございましょう。ああ、なんと光栄なことではありませんか!」
珍しくカリスタが感情を露わにするところを目にしたわたくしは困惑しました。現生徒会長でいらっしゃるアレクサンドラ様が今の時期にわたくしをお茶に誘う理由が何となくわかってため息をついてしまいます。
未来の破滅を回避するために始めた善行が、まさか生徒会へとわたくしを導いてしまうとは。前世のゲームですと攻略対象男性キャラは全員が生徒会に入っていますし、わたくしもそうでした。このままでは、ああこのままでは!
しかし、数少ないわたくしよりも上位の貴族令嬢でいらっしゃるアレクサンドラ様からの誘いを断ることなどできません。それに、仲が悪くもない有力貴族同士でお茶の一つもしていないのはそもそも不自然でもあります。
危険ですががやむを得ません。わたくしはアレクサンドラ様のお誘いを承知することにしました。
翌日の放課後、わたくしは一度自室に戻って改めて身支度を整えました。自分よりも上位の方からお誘いを受けたのですから身なりは特に気を付ける必要があります。
用意ができますとわたくしはカリスタと共に自室を後にしました。向かうはアレクサンドラ様のお部屋です。実は同じ乙女館の同じ一階ですのでご近所でもあります。上位の貴族ほど階下の部屋を与えられるので、わたくしとアレクサンドラ様は同じ階なのです。
廊下を歩いてすぐの所にある扉の前でカリスタとあちらの使用人がやり取りを交わした後、わたくしたちはアレクサンドラ様のお部屋へと入りました。
室内は一目見てネヴィル公爵家の家格にふさわしい
テーブルの横にある椅子に腰掛けている慈愛に満ちた笑顔を浮かべていらっしゃるアレクサンドラ様が席を立たれました。近づくわたくしに声をかけてくださります。
「ようこそお越しくださいました、フェリシア嬢」
「本日はお招きありがとうございます、アレクサンドラ様」
大人のような社交辞令こそまだ交わしませんが、それでもお互いに笑みを浮かべて挨拶しました。そこから流れるようにわたくしは席へと案内されます。
「こちらにおかけになってくださいな。今日はとても良いお茶が手に入りましたのよ」
「ありがとうございます」
椅子にわたくしが座ると、アレクサンドラ様も小さなテーブルを挟んだ向こう側に腰掛けられました。そして、わたくしの背後にカリスタが、アレクサンドラ様の背後にはあちらの侍女が控えます。
使用人がお茶を入れ終わると、わたくしは勧められるままにカップを手に取りました。透き通るような赤茶色のお茶が良い香りを振りまいています。一口いただくと、多少の苦味と共に爽やかな味が口の中に広がりました。
感心しつつもカップを口から離すとわたくしはアレクサンドラ様を賞賛します。
「苦味だけでなく、かすかな甘みを後に感じました。さすがアレクサンドラ様ですね。珍しいお茶ですこと」
「気に入ってもらえて嬉しいわ。わたくしの好きなお茶のひとつなの」
そこからお茶の葉についての話が始まりました。わたくし自身はお茶についてはそれほど知りませんが、アレクサンドラ様はかなりお詳しい様子で嬉しそうに語ってくださいます。このようなご趣味があったとは。
しばらくお茶についての話で歓談をしていると話題はわたくしへと移ってゆきました。例の善行についてです。
「あなた、入学以来同学年の子女の皆さんを中心に色々とお世話を焼いているそうですわね。最近、わたくしも知り合いからあなたのお名前を聞いて驚きましたの」
「そんな、アレクサンドラ様のお耳を汚していたとは、お恥ずかしい限りです」
「汚すだなんてそのようなことはありませんわ。いずれもあなたに助けてもらったというお話ばかりですもの。聞いていてとても心地よかったですわ」
真正面からアレクサンドラ様がひたすら褒めてくださるのでわたくしは身じろぎしました。純粋な保身からしているとはとても言えません。
何とも居心地の悪い場と化したお茶会ですが、取り巻きたちが誉めそやす様子を思い出しました。あれを受け流す感じでアレクサンドラ様のお言葉に対応します。
そうやってどうにか心の平穏を回復したとき、ついに話が本題に入りました。にっこりと笑顔を浮かべたアレクサンドラ様がわたくしに語りかけていらっしゃいます。
「ねぇ、フェリシア、あなた生徒会にご興味ありません?」
「生徒会ですか。そういうのは特に」
「まぁそれは残念ね。でも、わたくしはぜひあなたに入っていただきたいの」
「そういう大切なお役目は、もっと責任ある方がなさるべきだと思いますわ」
「あれだけ人の世話を焼けるあなたに責任がないとしたら、世の大半は無責任な方々になってしまいますわよ。このわたくしも含めてね」
笑顔でおっしゃったアレクサンドラ様にわたくしは顔を引きつらせました。このときのためにいくつか問答を想定していましたが、言葉の使い方は公爵令嬢様の方が上手のようです。徐々に追い詰められている感じがしてなりません。しかし、ここは落ち着いて対処する必要があります。
「アレクサンドラ様が無責任だなんて、そのようなことはわたくしも含めて誰も思ってはいません。ただ、一介の子女として皆さんと共にありたいのです」
「素晴らしい心がけですわ。しかし、生徒会に在籍しても寄り添うことはできると思いますの。生徒会は何も役員を縛り付けるものではありませんわ。生徒の皆さんのためにも、役員になってからも今と同じように活動なさればよいでしょう」
「しかし、それでは役員のお仕事がおろそかになるのでは?」
「生徒会の役員は一人だけではありません。それぞれ役割を分担して己の責務を果たすものです」
どうにも断りづらい状況へと持ち込まれてわたくしは動揺しました。どうやらアレクサンドラ様はかなりわたくしを気に入っていらっしゃるご様子です。今までほとんどお話をしたこともないですのに。
強引にお断りをして立ち去るという方法もありますが、いくら何でもそれはいただけません。アレクサンドラ様ほどの方を敵に回せば破滅はより確実になってしまうでしょう。
「そこまでおっしゃるのでしたら、お引き受けいたします」
「まぁ、良かったわ! これで来年以降も生徒会は安泰です」
「いえそんな」
「これでメルヴィン殿に安心して会長職を譲れますわ」
そのお名前を聞いたわたくしは暗澹たる気分になりました。なぜ、避けたいことにこうも引きつけられてしまうのでしょうか。
恐るべきは世界の修正力です。
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