実家の両親

 とある日の夕方、一日の授業を終えたわたくしは自室に戻ってきました。昼休みはもちろん、講義の合間の小休憩まで人の相談に乗っていると休まるときがありません。なので、毎日部屋に戻ってきたときは本当に疲れ果てています。


「お帰りなさいませ、フェリシア様。お茶の支度ができております」


「さすがカリスタ、気が利くわね」


 できる侍女の気配りに顔をほころばせたわたくしは席に座りました。それを機に控えていた使用人がお茶を用意してくれます。


 カップに淹れられた薄い紫色の透明感のあるお茶を鼻に近づけました。すると、甘い香りに包み込まれたかのような気分になります。


「ラベンダーね」


 一言つぶやいてから口にしました。気分が落ち着き気持ちが和らぎます。今日も一日大過なく過ごせたのだと実感できるひとときですね。


 そんなすっかり気を抜いたわたくしは良い気分でお茶を口にしていました。そこへわたくしのできる侍女が問いかけてきます。


「フェリシア様がこの学園に入られてからもう二ヵ月程度になりますね。良きお相手は見つかりましたか?」


「んっく。そう焦るものではないわ、カリスタ。まだ新しい生活が始まって二ヵ月しか経っていないじゃない」


 飲みかけたお茶でむせたわたくしは落ち着くまで待ち、それからゆっくりと返答しました。


 カリスタが問いかけてきたこと自体は自然だとわたくしも思います。問いかけも殿方に良さそうな方はいたのかという軽いものでしょう。


 ただ、前世の知識で知るゲームの世界に似たこの世の少し先を知っているわたくしとしては、安易に相手を見つけるわけにはいかないのです。何しろ、来年入学してくるヒロインたちがどの殿方を選ぶかまったくわからないのですから。ゲームのように攻略対象男性キャラ三人の中から誰かを必ず選ぶ根拠があればよろしかったのですが、実際どうなるかはそのときになってみないとわかりません。本編とファンディスクのヒロインを合わせて三人、全員が選んだ殿方以外を選ばないとわたくしは破滅してしまうのです。


「それでも、フェリシア様は入学して以来、積極的に皆さんとお付き合いされているではありませんか。もちろん子弟のご学友が学ばれる錬成堂にはみだりに入れませんが、お昼のときは誠心堂でお話くらいなさるのでしょう?」


「確かにご挨拶くらいでしたら」


「そうなると、王太子殿下ともお話なさっているのでしょうね」


「ええ、まぁ」


 何とか目を逸らさずにわたくしは自分の侍女へと曖昧に返答しました。引きつりそうになる表情を誤魔化すため、カップに口を付けます。


 普通ならば王太子殿下であらせられるメルヴィン様にお近づきなりたいと思うことは自然です。誰だって未来の王妃を夢見るものですから。


 しかし、わたくしは、わたくしだけはそういうわけにはいきません。メルヴィン様はゲームの攻略対象男性キャラのお一人なのです。つまり、わたくしにとっては破滅へと導く死神にも等しいお方。近づくわけにはいかないのです。


 普段から殿方との関わり方には気を付けているわたくしですが、メルヴィン様についてはことのほか慎重です。幸い、あちらもわたくしには興味を示されないで今のところはうまくいっています。


 わたくしはカップをソーサーの上に置きました。その様子をカリスタは無表情で眺めていますが、わずかに落胆の気配を感じ取ります。


 気持ちは理解できますが、わたくしの未来のためにも諦めてもらうしかないでしょう。


 この話はこれでお終いだと思ったわたくしは一度窓の外へと顔を向けました。朱い日差しで風景がすべて染められてしまっています。なんだかもの悲しい感じがしますね。


 のんびりと外の景色を楽しんでいますと、横からカリスタが声をかけてきます。


「ところで、フェリシア様、良きお相手が見つからないとなりますと、ご実家でお相手を決められてしまいますがよろしいのですか?」


「何か動きでもありましたか?」


「大きなものは特に。ただ、ご当主様が王家に持ち込んだ件を進めようとなさているとの噂が」


「マジですか。はっ、しまった」


「フェリシア様、またそのような庶民の言葉を口になさるとは」


「申し訳ありませんわ」


 あまりの衝撃につい前世しょみんの言葉が漏れてしまいました。これってつい出てしまうのですよね。きっと魂に焼き付いているに違いありません。


 ここからしばらくカリスタのお説教が始まりました。優等生な侍女からするとこのような過ちは平民上がりの下位貴族子女のすることなので、わたくしのような侯爵令嬢がやってはいけないと諭されてしまいます。そもそもそんな言葉をどこで知ったのかと問われましたが、まさか前世と言うわけにもいかず、たまたま平民がしゃべっていた言葉を耳にしたと誤魔化しました。これはきっと一生治らないでしょう。


 ともかく、いつまでも叱られているわけにもいきません。わたくしは話を戻そうとします。


「言葉遣いにつていは今後気を付けます。それよりも、実家で縁談を進めるのを止める方法はないものかしら?」


「ございません。そもそも縁談とは家同士で決めるものなのですから」


「それはわかっているのですが。せめて遅らせるくらいはしたいですね」


「でしたら学園で良き相手を見つけられたら良いでしょう。希望が通るとは限りませんが、お相手の実家も含めた調査などで縁談の進展は確実に鈍ります。あとはそれに伴うご実家との適度な言い争いをなされば、更に先延ばしになるでしょう」


「適度な言い争いって何よ?」


「要するにごねたり拗ねたりするのです。娘に対して厳しい親ですと逆効果になりますが、フェリシア様のご当主様はとてもお甘いですから」


「まぁそうね」


 すました顔で言い切ったカリスタにわたくしは歯切れの悪い返答をしました。


 アスター学園の乙女館にやって来るまでは実家で両親と同居していたのですが、特にお父様のわたくしに対する甘さは相当なものだったことを思い出します。わたくしが拗ねると右往左往し、口を利かなくなると政務に支障をきたすほど絶望していました。


 ある意味とても扱いやすかったのですが、そんな父親の様子を見てゲームの悪役令嬢フェリシアが好き勝手できていた理由を何となく察したものです。泣きつくと大抵のことは許してくれておねだりすると大体のことはやってくれるのですから、そりゃわがままいっぱいに育ってしまいますよね。


 しかしそうであるのならば、今のわたくしだって利用しない手はありません。実家を離れる前にお父様とお話をして、自分のお相手を自分で探したいと申し出て承知してもらいました。


 事前に自分の目の届きにくいところにも対策を講じて学園にやって来たわたくしはため息をつきます。


「手紙のひとつでもお父様に送ればまた待ってくださるのでしょうけど、そもそもどうしてお父様は王家の縁談を進めようとしたのですか? 実家を出る前にお話はしていたはずですのに」


「奥方さまが動かれているご様子です」


「おマジでございますか」


「フェリシア様、混ぜれば良いというものではございません。庶民の言葉はお控えなさるべきです」


 またもや始まったカリスタのお説教を聞きながら、わたくしはお母様のことを思い返していました。噂話と縁談が大好きなお母様が寄子の縁談を取り仕切っていることは有名です。そんな方が自分の娘の縁談に口を挟まないわけがありません。


 お父様同様お母様にも話をして承知してもらっていましたが、何かに当てられて我慢できなくなったのかもしれません。お父様はお母様に弱いですから、こうなるともう消極的にでも縁談の話を進めてしまうでしょう。


 侍女のお説教が一段落すると、わたくしは話を戻します。


「混ぜるのも駄目だというのはわかりました。それにしても、約束してまだ三ヵ月もしていないというのにもう反故にされるとは」


「奥方様については、よく我慢なさった方ではないかと」


「学園生活はまだ二年半以上も残っているというのに、これでは先が思いやられますね」


「来月から始まる夏期休暇で帰省しますので、そのとき改めて話し合われてはいかがですか?」


「それまで縁談は進め放題になってしまいますので困ります。お父様にお手紙をしたためましょう。今進めている縁談は止めて、お母様には進めているふりをしてもらうようお願いします」


「ご当主様、また板挟みでご苦労なさりそうですね」


「約束を破ったのですから、相応の報いは受けていただかないと」


 カップに残ったお茶に口を付けたわたくしは書斎机に向かいました。何もなければ単なる娘の我が儘でしかないわたくしの言い分ですが、これも破滅を回避するためです。


 席に座ってペンを取ったわたくしは手紙の文面を考えました。

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