誠心堂での出会いと舞踏館での記憶

 アスター学園には在校生が寝泊まりする乙女館という女子寮と大器館という男子寮があります。図書館を挟んで北に乙女館、南に大器館が建っていて、東西に長いこの二つの館の東の端から屋根付きの回廊が伸びていました。その先にはそれぞれ淑女堂という子女専用の学舎と錬成堂という子弟専用の学舎に繋がっていて、この四つの寮と学舎のほぼ中央に図書館と並ぶ形で誠心堂という食堂兼講堂があります。


 今朝はまずこの誠心堂という場所で入学式があるのでわたくしは向かいました。大貴族の大部屋が集中する乙女館の一階から回廊へと出ると、途中の分岐路で在校生の方が本日入学生は南に向かうようにと誘導してくださいます。


 誠心堂の中は絢爛たる内装で非常に広いです。特に白を基調にした天井近くの壁にあるステンドグラスに描かれた絵画がすばらしい。


 そんな室内には何人もの貴族子弟子女が小さな集団を作って談笑しています。特に目立つのがカリスタの言っていた同学年の王太子メルヴィン様。さらさらのプラチナブロンドに穏やかな目の落ち着いた感じの殿方です。もちろんゲーム同様の超絶美形でひときわ目立っていらっしゃいました。


 今後の未来のことを考えますとできればそのまま無視をしたいのですが、有力諸侯の令嬢であるわたくしの場合ですとそれも失礼に当たります。何しろ王家と実家には面識も付き合いもありますから。


 ですので、一瞬迷いながらも意を決してメルヴィン様へと歩み寄ります。


「おはようございます、メルヴィン殿下」


「君は確か、クエイフ侯爵家のフェリシア嬢か。そういえば歳が同じだったな」


「はい。これから三年間、よろしくお願いします」


「ああ、こちらこそ」


 あまり気のない様子のメルヴィン様がわたくしに返答されました。ゲームの設定ですと王族を取り巻く権力争いのせいで若干人間不信になられているそうですが、それはこの世界でも変わらないようです。


 わたくしとしても都合が良いので挨拶のみで済ましてその場から離れました。この身の破滅を避けるためにも、お付き合いは最低限にしなければなりません。


 誰かが先陣を切ると話しかけやすくなったのでしょう、皆さんが次々とメルヴィン様へとご挨拶に向かわれました。


 最低限の礼儀を済ませたわたくしは式が始まるまでどうしようかと考えました。この場ですることも特にないので壁際で待ちましょうか。


 などと思って足を向けてすぐに、わたくしへと歩み寄ってくる子女がいらっしゃいました。そちらへと顔を向けますと、くせっ毛のバターブロンドをポニーテールにまとめたつり目の令嬢が笑顔を向けています。見知った顔でした。怒っても怖くないテート子爵家の令嬢ダーシーです。


「フェリシア様、おはようございます! 今日からいよいよ学園生活が始まりますね!」


「朝から元気ですわね、ダーシー」


「それはもちろん! 何しろ同学年生にあの王太子様がいらっしゃるんですから!」


「声が大きいですわよ、ダーシー」


「はっ!? 申し訳ありません」


 注意すれば反省するものの、なぜかその後の行動になかなか反映されないダーシーには昔から困っていました。乙女ゲームでは悪役令嬢の取り巻きとして登場し、ヒロインを虐める実行役でした。テート子爵家は我が侯爵家の寄子なので突き放すわけにもいきませんが、これから三年間はわたくしの人生がかかっているのですからその言動には慎重になってもらう必要があります。


 結局、式が始まるまでわたくしはダーシーと話をすることになりました。この子、話題はなかなか豊富なんですけれど微妙に話が合わないのが困るんですよね。


 やがて式が始まる直前になると、職員の方々に導かれて誠心堂の西の端、奥にある一段高い壇の手前に集まりました。壇上を見上げると、そこには教員の方々と一部の在校生がいらっしゃいます。


 その中でもひときわ目立つ方がいらっしゃいました。内巻き縦ロールのキャラメルブロンドで切れ長の目のその方はネヴィル公爵家の長女アレクサンドラ様です。慈愛に満ちた笑顔をわたくしたちに向けていらっしゃるその様は正に理想の淑女といえるでしょう。


 入学式が始まると、教員の方から短いながらも祝福の言葉をいただき、その後この学園で生活するに当たっての心構えなどもご教授いただきました。


 教員の方々の話が終わりますと、次は在校生の方々のお話に移ります。最初に前に進まれたのはアレクサンドラ様でした。その気品溢れる堂々としたお姿に違わぬ声でわたくしたちに話しかけてこられます。


「皆様、ご入学おめでとうございます。皆様を迎えることができて生徒会役員である我らも喜びに沸き立っているところです。これから三年間、このアスター学園という学び舎で共に学び、励まし合い、己を高めて参りましょう」


 わたくしたちを歓迎する言葉で始まったアレクサンドラ様のお声は実に凜としたものでした。思わず憧れてしまいます。


 やがて式が終わると、新入生であるわたくしたちは小集団に別れて生徒会役員に学園内を案内してもらいました。幸い、私は子弟でいらっしゃるメルヴィン様とは別の集団です。


 誠心堂をでたわたくし達の集団はひとつずつ学園内の施設を見て回りました。


 最初に見たのが淑女堂です。薄い灰色の石材を中心に建てられた落ち着いた雰囲気の建物です。三階建ての校舎で中央に階段があり、その左右に講義を受ける教室が並んでいました。在校生の方は本日までお休みですので講義はされていませんから静かですが、これから毎日お世話になる場所です。


 次いでその淑女堂の北にある舞踏館へと向かいました。ここはその名の通り舞踏を学ぶための施設で、天井には大きなシャンデリアがあり、壁は白い石材で造られ、大きな窓がはめ込まれています。また、床はきれいに磨かれた板張りで、楽団が演奏するための場所もありました。周囲の皆さんはこのような舞踏会場でお稽古できることを喜んでいらっしゃいます。


 しかし、わたくし一人だけは顔を強ばらせていました。この場所は散々前世のゲーム場面で見た場所であり、昨夜の悪夢で断罪された場所でもあります。


「ここが、わたくしの破滅する場所」


 同じ集団の子女の皆さんは舞踏会場のあちこちに散っていらしたので、わたくしのつぶやきを聞かれることはありませんでした。それは幸いでしたが、近い将来断罪されるかもしれない場所の美しさを素直に賞賛する気にはなれません。


 神妙な面持ちで会場を眺めていると、満面の笑みを浮かべたダーシーが戻って来ました。夢見る様子で手を合わせてわたくしに語りかけてきます。


「フェリシア様、素晴らしい舞踏会場ですね! こんなところでお稽古できるなんて!」


「そうですわね。この会場にふさわしい舞踏を舞えるようにならないといけませんよ」


「わかってますって! 私、これからたくさん練習をします!」


「良い心がけですこと。そういえば、あなたはステップをもっと練習するようにと講師の方に注意されているんでしたわよね」


「うっ、もちろん練習しますよ。ところでフェリシア様、ご気分が優れないのですか?」


「え、そんなことはありませんが」


「でも、お顔の色が良くありませんよ?」


 寄子の子女に指摘されたわたくしは右手で自分の顔をそっと触りました。自分ではそこまでではないと思っていましたが、案外体にはこたえていたのかもしれません。


 気遣ってくれたダーシーに礼を言ったわたくしは案内してくださった生徒会役員の方に断りを入れて一人舞踏館を出ました。すると、幾分か気分が和らぎます。


「こんなことでは先が思いやられますね」


 誰も見ていない場所でわたくしは大きくため息をつきました。いずれ最悪の事態が起きる場所ですが、それはまだ先の話です。中に入っただけで参ってしまっては何もできません。これから何度も通う場所なのですから慣れる必要があります。


 思わぬ問題が見つかったわたくしですが、舞踏館から出てきた皆さんに合流してこの後も各施設を見て回りました。その中でも印象に残ったのが庭園です。


 乙女館の北側、舞踏館に西側にある庭園は、しっかりと手入れされた花や草木が彩りを添えており、東屋がいくつかあります。お茶会を開くため場であり、憩いの場でもあります。かの乙女ゲームでも、ヒロインと悪役令嬢のどちらもがよく利用した場所でもあります。強制イベントからルート分岐後のイベントまでいくつものイベントが発生した場所ですので、今後も利用することが多いでしょう。


 朝の間に施設を見終わりました。前世のゲームの知識で知っていたこともこれでようやく身についたと言えます。


 そしてこの日から、わたくしの未来を賭けた学園生活が始まりました。

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