第19話 時間よ止まれ
だいたいにおいて、トーヤはスレンより朝が早い。はじめのころは、全てが慣れないトーヤを手伝うためにスレンも早めに起きていたが、秋を迎えるころからそれもあまりしなくなった。ある日スレンが起きると既にトーヤが準備を終えていて、スレンが手伝うことなんてもう残されていなかった。その頃から、本来のねぼすけに戻ってしまったのだった。
だから、こうしてトーヤの寝顔を眺めるのは珍しいことだった。
冬が近付き大地は霜で覆われ始めている。もうあと数日もすれば冬営地に移動するので、今はその準備に追われていた。昨晩も疲れていて、毛皮にくるまって話をしているうちに眠ってしまった。羊がどれだけ肥えどれだけ弱った個体がいるのか、どの服をしまわずに残しておくか、どの馬に乗っていくか。話すことはいくらでもあった。
ふたりぶんの熱で毛皮はあたたかく、くっついていると体温が溶け合って同じ温度になっていく。それが心地良くて、眠気がどんどん強くなる。
「去年は」
そんな言葉が飛び出たのは、なんとかして眠りに落ちまいとぬくもりに抗った結果だった。腕の中のトーヤも眠そうで、うん? と覚束なげに答える。
「去年の冬は、長かった。冬が明ければ春が来て、夏になればトーヤと結婚するんだと思っていたから、春がずっと待ち遠しかった」
そうだったね、とトーヤも微笑んだ。
「そういえば、もう一年も前のことなのね。あの時はびっくりしたなあ」
「…………おれも」
まぶたが重い。トーヤの表情も、言っていることも頭に残らずぽろぽろこぼれ落ちてしまう。
「スレン、眠いの?」
「…………眠くない」
「眠いのね」
トーヤは笑って、スレンの瞳を手のひらで覆った。毛皮の中であたためられた手のひらが、外気に触れる額にじんわりと熱を移した。
「…………悪くないな、冬も」
こんな風に、体温を分けあえるなら。
最後まで言ったか言わなかったかはわからない。たぶん、言えなかったと思う。それくらい、すとんと眠りに落ちた。
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そんなわけで、朝になって目が覚めるとトーヤもまだ夢の中だった。あたたかい毛皮の中は、早起きのトーヤですら魅了する魔力があるらしい。
もちろんスレンも起き出せず、かと言ってもう一度眠ることもできなかった。トーヤの寝顔なんて貴重なものを見たせいだ。
トーヤの寝顔は穏やかだった。丸い瞳が少し幼なげな彼女だが、今はそれが閉じているのでちがった印象を受ける。日焼けしてもまだずいぶんスレンより白い肌に、長い睫毛が影を落としている。野に咲く小さな花々のように素朴で、かけがえのなさを感じた。
どんどん朝が近づいてくる。やることはいくらでもあるのだから、起きなければならない。
けれどスレンは、ちっともその気になれなかった。
一年前、早く春にならないかと待ち遠しかった。そして今、この瞬間に時が止まってしまえばいいと願う。
あたたかい体温に包まれて、スレンはそんなことを考えていた。
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