第13話 夜明け前

 日の出前。トーヤはまだ眠っている。スレンはその寝顔をじっと見つめて、嘆息した。


 結局昨晩は、遅くまで家の作りや草原での暮らしについて問われるがままに話していて、スレンはいつの間にか眠っていた。おそらく、たくさん飲まされた酒が夜になって効いてきたのだろう。しばらくして窮屈な衣装のせいで目が覚めて、しまったと思ったがもう遅い。トーヤも昼間の姿のまま、横で眠っていた。

 思わず声をかけそうになって、口を開いたところで思いとどまる。慣れないところにやってきて、疲れているはずだ。できればゆっくり休ませてあげたいし、驚かせたくない。

 そう決めて、なるべく音を立てないように着替えて、せっかくの真新しいかまどに付いた煤を払って、トーヤが寒そうに見えたので掛け物をかけて……それでもトーヤは目覚めず、スレンはまんじりともせず朝を迎えようとしていた。

 ランプの火が消えかかっていたので油を足す。普段なら、もったいないと薄暗いまま日が昇るのを待っていただろう。けれどどうにも、その状況に耐えられそうになかった。


 結婚するというのがどういうことか、スレンは未だにぴんときていない。姉や妹たちが望まれてよその家に嫁いでいくのは、まあ分かる。有り体に言えば子を成して家を継いでいくためだ。小さな家、広くはない土地だが、弟もそのために年頃になれば結婚相手を探すだろう。けれどスレンは跡継ぎではないし、こんなにあっさり誰かと新しく家を持つことになるなんて、考えていなかった。

 ……いや、考えないようにしていた。それが難しいと分かっているから、それが自分にとって価値のあることだと意識しないようにしていた。自分とは関係のないことだと。

 だから、いざこうして妻と呼べる人が隣で眠っているとき、どうしたらいいかよく分からない。

 それに、どうやらその感覚はトーヤも持っているらしかった。トーヤは五人姉妹の末っ子で、一番上の姉が婿を取って実家で暮らし、彼女自身はずっと両親と姉の手伝いをして暮らしてきたと聞いた。上の四人の相手を見つけて準備をするので忙しく、トーヤのことはなかなか話がまとまらずにここまで来てしまったと。


 ――すみません、こんな歳で、もの知らずで。


 ぽつりとこぼした言葉が忘れられない。トーヤはスレンのふたつ歳上だった。スレンはさほど気にしない。けれどトーヤにとっては、ひどく重要なことらしかった。

 ランプの薄明かりに照らされた横顔を改めて見てみる。少し顔を近づけるだけで、薔薇の香りがした。豊かな髪から香っているらしい。日焼けしていない白い額とふっくらした頬は健康的で、規則的な寝息を立てている。唇は紅がとれてもほんのり赤い。閉じたまぶたの下にある瞳の色を考えていると――ふと、まつげが動いた。

 スレンが目を離せないうちに、トーヤはぽっかり目を開けて、ふたりはしばらく無言で見つめ合った。


「……………………」

「……………………」

「………………あっ、ごめん、いや、ずっと見てたわけじゃなくて、今ちょうど見てただけで、いや、えっと……」


 スレンを見つめるトーヤの頬が朱に染まり、それから状況を理解して青くなるのを見て、スレンは慌てて視線をそらし、言い訳を探しながら手を振った。


「……ごめんなさい、わたし、寝ちゃって――」

「いや、おれも寝てたし、今起きたところで、えっと……その、だから……」


 あれこれ言葉を探して、言うべきことをなにひとつ見つけられず、ようやっと拾い上げたひとことをからからの喉から絞り出す。


「…………おはよう、トーヤ」

「……おはよ、スレン」

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