第12話 恋

「……………………」

「……………………」

「……………………あの」

「は、はいっ」


 宴も終わり、夜。スレンとトーヤの二人は、新しい家の中でふたり向き合って座っていた。

 初夏とはいえ、夜は少し肌寒い。真新しいかまどの中で、ぱちぱちと小さな火が燃えている。ぴかぴかに輝いていた金属製のかまどの色がさっと変わって、新しい家に最初の汚れを残した。

 寒さは感じなかった。昼間あれだけ飲まされたせいだろうか、喉がからからに渇いていた。お茶でも入れようか、と思ったけれどどこに何が置いてあるのかまださっぱり分からない。探してもいいのだけれど、新しく妻になったこの人が、目の前でがちがちに固まっているのでそれも忍びない。

 今も、沈黙に耐えかねたスレンが声を発すると、それだけでびくりと身を震わせている。狩られる前のウサギに似ている、としょうもないことを考えた。

 こうして顔を合わせるのは昨年の秋以来だった。ぼんやりと薄れかけていた記憶が、花嫁衣装に身を包んだ姿に一気に塗り替えられて、きらきら輝く衣装がまぶしくてまともに見られない。

 それでも。ここはこちらから行くべきなのだ、と思ってスレンは意を決して膝を少しだけ前に進めた。自身がまとっている衣装も、着慣れた普段着ではなく婚礼衣装なので動きづらい。


「えっと……今日は疲れたでしょう。早めに休みましょうか」

「あ……はい」


 彼女は――トーヤはどこかふわふわと頼りなげに答えた。彼女が緊張しているわけも、意識していることも分かるが、とりあえずスレンはそれを頭の隅に追いやった。絨毯と毛皮を重ねた寝床を整えていると、トーヤが小さな声で言った。


「わたし、自分の家――自分が生まれた家以外で寝るの、はじめてなんです」

「ああ……そうか、そうですよね」


 スレンにとっては想像もつかないが、町の家で定住するとはそういうことだろう。スレンは季節によって宿る場所を変え、野宿することも珍しくはない。まるでちがう世界にトーヤを連れてきてしまったことを改めて意識して、スレンは少し、考えた。


「……これからは、いろんなところに行きますよ。秋の宿営地は一番町に近いから、ご実家にも行けるだろうし」

「行っていいんですか?」

「もちろん」


 笑って返すと、トーヤもほほえんだ。ようやく肩の力を抜いて、ずっと被っていた頭巾を取ると、まっすぐな黒髪がさらりと揺れる。ふわ、と薔薇の匂いが広がって、鼻の奥を刺激した。

 ごく、と喉が鳴るのを自覚したところで、トーヤがにっこりと笑って言った。


「あの、ずっと聞きたかったことがあるんです」

「――――あ、はい。なんですか」

「こういう家って、どういうふうに組み立てるんですか」

「…………えっ?」


 思わず呆けた声が出る。トーヤはぱっと顔を赤くして、意味もなく手を振った。


「すみません、もの知らずで。でも本当に不思議だし、知りたくて。すぐにできるものなんでしょうか」

「あ~……ええと、はい。おれたちだったら、まあすぐに、食事の準備してる間くらいにはできます」

「へええ、そんなにすぐ」


 心から感心した様子で目を輝かせ、ゲルの内部をあちこち眺めているので、スレンもおかしくなってほほえんだ。かわいい人だと、改めて思う。


「まず壁の格子を組んで、屋根と天窓を取り付けます。骨組みができたらフェルトを巻いて、その上に更に雨よけの布を被せて、ひもで縛って固定します。簡単ですよ」

「簡単ではないですよ……」


 トーヤはあちこち見回して、あれはなに、これはなにに使うもの、それはどう作るのか、など尋ねてきた。はじめは控えめだった態度が、やがて笑顔がはじけるようになり、広くはないゲルの中をふたりであちこち見て回るようになるのもすぐだった。そうしているうちに茶器も見つけて、お茶を淹れようということになり、ふたたびかまどの前に戻って並んで座って――スレンは、もうちっとも緊張していない自分に気がついた。


「入りました。どうぞ」


 トーヤが両手で小さな器を渡してくれる。それを受け取って、スレンは答えた。


「ありがとう。…………トーヤ」

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