第10話 喪失感

 手間暇かけて準備した衣装に身を包んだとき、ちり、と心が焼ける音がした。

 裾や袖には魔除けの小さな鏡を縫い止めていて、それが擦れ合って弾けるような音を立てる。はじめはその音かと思ったけれど、家を一歩出た時に、ちり、とまた音がしてちがうとわかった。

 中庭のブドウの木に挨拶して、近所の人に見送られて歩くと、小さな子たちが歓声をあげながらついてきた。それに笑って返すと、赤ん坊の頃から見知っている子供たちがくるくる回りながら喜んで、とってもかわいい、愉快な光景なのに、また心がちりりと焼けた。


「トーヤ、元気でね」

「幸せになってね」

「いつかまた、会いにきてね」


 あちこちから声をかけられて、とうとうトーヤは決壊した。トーヤが小さな子達を知るように、トーヤを赤ん坊の頃から知ってくれている大人たちの声だった。

 鶏につつかれて泣いた日も、なんでもないところで転んで卵を割った日も、祭りの日に友達と羽目を外して髪を焦がした日も、いつだってトーヤはこの町に見守られて育った。

 もう帰れないかもしれない、この町に。


「ああほら、花嫁さんがそんなに泣くんじゃないよ」

「幸せになりに行くんだから、笑ってお行き」


 しゃくりあげながら頷くが、一度意識してしまうともう頭から離れなかった。

 ずっと寝起きしていたトーヤの部屋はきっと姉の子たちの部屋になる。ブドウの木が今年どんな実をつけたか知る術はない。近所の子たちがどんなふうに大きくなるのか確かめられないし、昔からトーヤのことを知ってくれている人たちにはもう会えない。

 町の外れにある井戸のそばに迎えがきていた。何頭も馬が並んでいて、どれも普段のそれとはちがう儀礼用の馬具を付けていた。きらきら輝くそれを見て、また胸がちりちり焼けるようだった。

 馬に乗せられる前に両親と別れた。ここから先付き添ってくれるのは伯父で、父や母とはここで最後の挨拶をする。言葉もなく手を握ることしかできなかった父とトーヤに対し、母はばしんと背中を叩いてトーヤに言った。


「仲良くやるのよ。向こうのご家族のこととか、仕事のこととかいろいろあるけど、一番はそれなんだから。うまくいかないことがあっても落ち込まないで。あなたは望まれて行くんだから」

「わ、わかった」


 鼻をすすって答えると、母は穏やかにまなじりを下げ、それから父とトーヤの手に自身のそれを重ねた。


「あんなに小さかったのに、こんなに大きくなって。きれいよトーヤ。私が自信を持って送り出せる、立派な花嫁さんだわ」


 父もうんうんと頷いている。思い切って、トーヤはふたりの肩に手を回した。しゃらん、と花嫁衣装の裾が揺れ、装飾が触れ合って光を反射し、きらきら輝き祝福するような音を立てた。


「ありがとう、お父さんお母さん。わたし、がんばります」

「頑張れないと思ったらいつでも帰っておいで」

「なにを言ってるの、あなた」


 父の言葉に、母が突っ込む。毎日のように聞いていたこのやりとりも最後だと思うと寂しい。けれど最後だからこそ、トーヤは思い切り笑った。それでも胸を焼く痛みは消えないが――――それを抱えて生きていくのだと思った。

 

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