第8話 踊るように

 草原に雪が舞い始めた。乾いた土地はそこまでたくさんの雪が積もるわけではないが、それでも一面白く染まって、地面は硬く凍りつく。冬営地は山の裾野にあって、強い風を遮ってくれる。

 ここに移ってきたのはほんの数日前である。一年ぶりに戻ってきて、ゲルを立て辺りを見て回り家畜を囲う柵を補修して、本格的な冬が始まる前の準備に追われていた。


「兄ちゃん、ここもぐらぐらしてる」

「ああ、ほんとだ。ちょっと抑えてろ」

「うん」


 父が馬の群れを連れ、少し離れた牧草地と水場の確認に行っている間、スレンは弟と一緒に家畜小屋を点検していた。朽ちた柵を抜いて削って打ち直し、野生の獣が掘り返した穴を埋める。弟が補修箇所を探してきてはスレンに伝えてくれた。弟は次の春には九つになる。まだ頼りないが、少しずつ仕事を教えてやらねばならない。


「兄ちゃん」

「ん?」


 脆い部分を小刀で削っていると、弟が腰をかがめてスレンの顔を覗き込んだ。弟とスレンはよく似ていて、フェルトの帽子からぼさぼさの髪が飛び出している。もこもこの冬着はスレンが昔着ていたものだ。


「兄ちゃん、本当に来年になったら家を出てくの」

「……出てくと言っても、遠くに行くわけじゃない。しばらくは同じところにゲルを立てるし、一緒に暮らすのと変わらない」

「でも、同じ家には住まなくなるんだ」


 拗ねたような口ぶりに、スレンは笑って頭を撫でた。やめろよ、とその手を振り払い、弟はわざとらしくくるりと回る。踊るようなその動きに、秋の出来事を思い出した。


 :


 どういうわけか、とんとん拍子に結婚が決まった。向こうもそれを望んでいるらしい、ということにスレンは目を白黒させた。

 親同士の話し合いで、来年の夏に結婚式を挙げることになった。これからすぐ冬になりスレンたちは遠くへ移動するし、春は家畜の出産で忙しい。夏営地ならそう遠くないし準備も終えられるだろう、ということでそうなった。

 最後まで話し合いの場に彼女は出てこなかった。母親が何度か出入りして父親に耳打ちして、彼女の意志を伝えているらしかった。そういうものか、とスレンは思った。あの時スレンと口をきいてくれたのは、よっぽど規格外の出来事だったのかもしれない。だから結婚すると言ってくれたのかも。

 そんなことを考えていると、細かい持参金や結納金の話になって、おまえは荷運びをしてさしあげなさいと外に出された。彼女の家に、男手は父親と姉婿だけなのだ。

 扉の裏に張り付いていた子供たちに追いかけられながら外に出ると、彼女がいた。


「あ――……、あの……ええと、よろしくお願いします」

「……はい。あの、ありがとうございます」

「いえ、こちらこそありがとうございます」


 お互い深々と頭を下げる。結婚相手にする態度ではないと思ったが、さて結婚相手にはどんな態度をとったらよいものか、スレンにはさっぱり見当がつかない。いつ頭を上げたら良いかもわからず固まっていると、子供たちの笑い声が響いて思わず顔を上げた。ちょうど、彼女も顔をあげるところだった。

 目が合って、頭巾からこぼれた髪が一筋額に流れているのに気付く。これが妹なら手を伸ばして直してやるのに、スレンは指一本動かせなかった。

 見つめ合って固まって、さすがにお互いふっと吹き出す。その瞬間も同時だった。


「あの、どこに運べばいいですか」

「ええと、こっち。こっちにお願いします」


 毛皮の束をひょいとかつぐと、子供たちから歓声が上がった。気分は悪くない。彼女もおかしそうに笑って、くるりと回って家の奥を示した。


 :


 舞い落ちる雪片も、踊るように動き回る弟も、なにもかも彼女を想起させた。来年の夏が遙か遠くに感じる。

 早く、早く夏になればいい。そう思った。

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