第7話 親心2
その日、トーヤは近所に住む姉のところへ届け物に行っていた。ふたつ上の姉は身重で、母に頼まれてブドウを届けに行ったのだった。
「ありがとうね、トーヤ。お母さんにもお礼、言っておいてね」
「うん。お姉ちゃんは、体調どう?」
「ぜんぜん元気よ。大丈夫」
家に上がらせてもらって、お茶をいただき、届け物だったはずのブドウを少しだけ一緒に食べて。年頃の姉妹らしくふたりはよく喋った。姉の縫い物を手伝っていると、不意に姉が言った。
「ねえ、トーヤはいい人いないの。そういうお話、お父さんから来てないの?」
「えっ?」
びっくりして針を落とした。慌てて拾っていると、姉はおかしそうに眉を動かした。トーヤはどちらかというと父に似て見た目も性格ものんびりしているが、姉は母似ではきはきしている。母に似た瞳を輝かせて、姉はずいと膝を近づけた。
「あやしいわね。そういうお相手がだれかいるの」
「いないわ、いるわけないよ、わたしみたいなのにそんな人。ずっと家のことして過ごしてるのよ」
トーヤの言葉に、それもそうねと姉は小さなため息をついてお腹をなでた。大きくなってきたお腹にトーヤが目を細めると、姉も微笑み、それから微妙に表情を変えてトーヤを見つめた。
「なあに」
「でもね、トーヤ。本当に、いいなって思う人もいないの」
「……いないったら。どうしたの急に」
本当はトーヤの頭に浮かぶ顔があった。ほんの一度だけ会った遊牧民の青年だ。また会えるはずもない顔だった。とてもそれを説明できず、ただ首を横に振ったトーヤに、姉は静かに言葉を続けた。
「お父さんはああいう人だし、かわいい末娘のあなたを手放すのも寂しいと思ってるんだからあんまり期待しない方がいいわよ。もしそういう人がいたら、自分から行かないと」
「自分からって、そんな」
「遠慮しなくていいのよ。トーヤがお父さんとお母さんを手伝って、姉さんを助けてくれてるのはみんなすごく感謝してるわ。でもトーヤはそれだけの子じゃないんだから、自分が好きなようにしていいの」
姉は真剣だった。両親も姉も、誰もトーヤに家のために生きるようには言っていない。そう自分に言い聞かせているのは自分自身なのだと、トーヤも薄々気付いていた。
だからきっと、自分には想像もつかないような生活をしているひとに惹かれたのだ。
「…………かわいい末娘って歳でもないわ、もう」
「ばかね、いくつになっても娘は娘だし、わたしにとってはかわいい妹よ」
:
夕食の支度を始める前に姉の家を出る。ぼんやり歩きながら、トーヤは姉の言葉について考えた。けれど、なにをどれだけ考えたって、頭に浮かぶのはあのときの顔である。
旅装は少し汚れていたけど、よく使い込まれていることが見るだけでわかった。顔を洗うときに見えたおさまりの悪い黒髪、馬に水を飲ませたときの、あの明るい笑顔。
そしてどれだけ考えたって、もう一度会うのは無理な話だった。はぐれ馬を追ってたまたま流れてきた旅人、遊牧民だ。季節が変われば別の土地へ移動する。
冷たい風が吹き抜けて、トーヤは頭巾を抑えた。もう秋も深まってきた。そのせいか、ずいぶん心が痛かった。
家の前まで来て驚いた。見知らぬ馬が何頭かつながれて、戸口に荷物が置かれたままだ。姉の子たちがそれをつついて遊んでいる。
「ただいま。どうしたの、これ」
「おかえりトーヤ! すごいんだよ。あのね、これぜーんぶ、馬にのっけてはこんできたの!」
「それでさ、かっこいいんだよ! ひょいひょいおろしちゃった!」
「……だれが?」
容量を得ない話にトーヤが首を傾げていると、奥からあわてふためいた様子で一番上の姉が走り出てきた。いつも家ではしゃぐ子供たちをはしたないとたしなめている姉が、必死の様子だった。
「トーヤ! よかった、帰ってきた!」
「ただいま姉さん。どうしたの、これ」
子供たちに尋ねたのと同じことを聞くと,それどころじゃない、と姉は白い顔で首を横に振り、ごくりと唾を飲んだ。
「覚えてる? 少し前に、馬を追ってきた子をあなたが連れてきたでしょ。あの子が、今度はお父様と一緒にお礼に来たのよ」
トーヤは目を丸くした。もう会えないと思っていた、心の中に残っていた人。胸の高鳴りを感じていると、姉はトーヤの肩を掴んで落ち着いて聞いてねと言った。
「今、お父さんと話してるんだけど――あれは、あなたをお嫁にもらいたいって、そういう話をしてる、きっと」
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