第56話 【大蟻戦争】蟻の襲撃
——翌朝、国境の街アルタへ続く街道にて—————————————
「ここ、カルネル領に来るときに曲がった分かれ道よね。メノアさん、今日アルタに到着する予定と聞いているけど、到着はいつごろなのかしら?」
数日前、カルネル領に向かうために南に曲がった分かれ道を、今度は西に曲がったところで、馬車の御者台に乗っているリリヴィアは隣で手綱を握っているメノアに質問する。
「だいたい今日の昼頃にはアルタに着くと思うわ。ここから先は村に寄ることもないし、街道を進むだけだから迷うこともないし」
「なるほど。それなら魔物か盗賊にさえ注意していれば特に問題ないわけね」
「ふふっ。さすがにトラブルはもう出尽くしてるわよ。今回はなぜか普段の3倍くらいトラブル続きだったけど、これだけ色々あったらもう当分は何も起きないわよきっと」
メノアはリリヴィアにそう答える。
これだけ色々起きたのだからもう厄介事は出尽くしているだろう。
これはあくまで希望的な観測であり、安全を保障する根拠にはなり得ないが、しかし確率というのは収束するものである。
さらに目的地が近いという点も踏まえれば、いくら何でもこれ以上トラブルが続くことはないだろうと考えるのは尤もだ。
「まあそれもそうね。カルネル領に着くまでのあれこれに、【不死教団】に【赤獅子盗賊団】。私達にとっても普段の5割増しくらいの頻度でトラブルに遭っているわけだし」
「イーラの街を出発してから今日を入れて……4日間でそれだけ大変な目に遭っても5割増し程度なの?」
メノアはリリヴィアの漏らした言葉に顔を引きつらせながら聞く。
彼女の感覚からするとリリヴィアが口にしたトラブルはどれもかなり危険な部類に入る。
それが何度も立て続けに起きている異常事態が、リリヴィアにとっては普段の5割増しでしかないというのはいったい……
そんなことをメノアが考えるのも無理もない話だ。
「え? ……まあ冒険者ならそんなものじゃない? そもそも危険な仕事だし」
断じて違う。
通常の冒険者は確かに危険な目に遭うことも多いのだが、さすがにそこまで波乱万丈な人生は送っていない。
仮に普通の冒険者が今回の行商の護衛を引き受けていたなら、軽く数回は死んでいただろう。
しかし、そのことに気付ける者はここにはいなかった。
「冒険者って大変なのね。私のような行商人は基本的にトラブルを避けて通るから、今回のようなトラブルは1回の行商の中で1度起きるかどうかってところよ」
ちなみにメノアも大概である。
トラブルを避けているにもかかわらず何度も命の危険にさらされる、というのは普通の行商人であればちょっとあり得ない話である。
そんな人生では命がいくつあっても足りない。
「今回は運が悪かったのね。まあ無事切り抜けたわけだし、気にすることないわよメノアさん」
「ありがと。別に気にしていないから心配しなくても大丈夫よ、リリ」
まともな感覚の持ち主であれば、ここで「気にしない」などとは言えない。
むしろ必死になって原因を追究するか、あるいは家に引きこもって少しでも危険を減らそうとするだろう。
しかしリリヴィアはもちろんメノアも大変な人生を送っているせいで危機意識が麻痺しているようだ。
「あら、アルがこっちにやってくるわね。何かあったのかしら?」
「魔物でもいたのかしら? メノアさん、とりあえず聞いてみましょう」
アルフレッドは馬車の数十メートル程先にいたのだが、手を振りながらこちらに走ってきていた。
この日、彼は馬車には乗らず、その前方を走りながら〖気配察知〗などのスキルを使用して周囲の索敵を行っていたのだった。
昨日は馬車に乗って〖ヒール〗の練習をしていたアルフレッドだが、いまは練習を止めている。
<MP>を回復させるための【マナポーション】が残り少なくなったため、これ以上続けると旅に支障が出るからだ。
そして取り止めた代わりに今度は【斥候】の職業レベルを上げるための特訓をしようと考えた。
彼は馬車の前を先行して索敵を行うと決めて、いままで実行していた次第である。
そのアルフレッドが索敵を止めて、馬車に向かって走ってきている。
どうやら何かあったらしい。
「メノアさん!」
「アル、どうしたの?」
「〖気配察知〗で北の森の中に人と魔物の気配を察知したんですが、どうも人が襲われて逃げているみたいです。感じ取った限りだとその人が逃げ切れるかどうか怪しいので、ちょっと助けに行ってきてもいいですか?」
「いいわ。行ってきて。1人で大丈夫?」
「ありがとうございます。気配や移動速度からするとそんなに強い魔物じゃないんで、1人で大丈夫です。リリはこっちの護衛を頼む」
「了解よ」
「それじゃ行ってきます」
アルフレッドはそう言うと北の森の方へと走っていった。
——メノア達の馬車から少し離れた森の中にて———————————
「はあっ、はあっ」
一人の少女が森の中を必死に走っている。
歳は10歳くらい、小さな手足には擦り傷がいくつもできているが、少女にはそれを気にする余裕はない。
「ギチギチギチ」
彼女の数メートル後ろには体長50cm程の蟻の魔物、キルアントが5体追いかけてきているのだ。
キルアントは一般の成人男性と同程度の強さとされるEランクモンスターであり、それほど強い部類ではないとはいえ、ごく普通の少女が勝てる相手ではない。
しかも集団で追いかけてきているのだ。
追いつかれたならあっという間に殺されてしまうだろう。
「ひいっ!」
だからこそ少女は必死に足を動かす。
息が上がり、次第に足が重くなる。
だが止まったら死ぬのだ。
ただ死にたくない一心で出かかっている弱音を飲み込み、とにかく走る。
だが少女がどれだけ必死に走ってもキルアントの方が速かった。
「ギギィーー!」
キルアント達が少女のすぐ後ろまで迫り、その牙で捕まえようとする。
「助けてぇー!」
「任せろ!」
「え?」
思わず叫んだ少女は返事が返ってきたことに驚く。
彼女は確かに助かりたい一心で叫んだわけだが、助けてくれる者がいることに気付いていたわけではなかったのだ。
彼女が振り向くと既にキルアントの1体は首を斬り飛ばされて倒れており、その傍に冒険者風の格好をした少年が1人剣を構えて残る4体のキルアントと睨み合っていた。
「えっと、あの……」
「俺はアルフレッド。とりあえずこいつらを仕留めるから、ちょっと待っててくれ」
「ギ!」
アルフレッドが少女に話しかけた瞬間、それをチャンスと見たのか1体のキルアントが飛び掛かってくる。
「よっと」
だがアルフレッドは攻撃されるよりも早く剣を振ってあっさりと仕留める。
「〖鑑定〗」
---------------------------------------------------------------------------------
<名前> :
<種族> :キルアント
<ジョブ>:兵隊蟻Lv8/12
<状態> :通常
<HP> :32/32
<MP> :10/10
<攻撃力>:23
<防御力>:25
<魔法力>: 6
<素早さ>:16
・
・
・
---------------------------------------------------------------------------------
(よし。特に変わったところのない普通のEランクモンスターだな)
アルフレッドはキルアントの1体を鑑定して強さを確認する。
そして他の個体も同様に鑑定したが、多少レベルが違うだけでいずれも問題なく倒せる相手だということを確認できた。
「これなら問題ないな。残り3体。〖気配察知〗で確認した限り近くに他の魔物もいないし、速攻で仕留める!」
今度はアルフレッドの方が突撃する。
キルアント達も応戦するが、しかしEランクモンスター程度ではアルフレッドには敵うはずもない。
あっという間に残りのキルアントは全て倒されたのだった。
「さてと、君、大丈夫か?」
他に敵がいないことを確認したアルフレッドは少女の方を向いて話しかける。
「あ、はい。助けてくれてありがとう」
「どういたしまして。俺は冒険者のアルフレッド・ガーナンドだ。君は?」
「ルール―・ドルチェです。猫人で、この近くにあるカノーラ村に住んでいます」
(やっぱりか。猫耳に猫尻尾、初めて見た)
猫人とは猫の獣人のことである。
獣人とは獣の因子を持った人類のことで、基本的な外見は人間と変わらないのだが、耳が獣耳だったり、尻尾が生えていたりと一部獣の特徴があり、また性格や身体能力も獣に近いと言われている。
ルール―にも猫の耳と尻尾があり、一目で猫の獣人だと分かる外見だ。
「あの……お願いです、助けてください!」
「え!?」
もう助かったんじゃないの、とアルフレッドが聞こうとしたところで、ルール―の方が先に答えを言う。
「あたしの村、今魔物達に襲われていて、大変なの!」
「あ、そういうこと。それならちょっと仲間と相談するから、とりあえず一緒に来てくれ」
アルフレッドはルールーの手を引いてメノアとリリヴィアが待つ馬車のところに向かった。
——街道の側に止めたメノア達の馬車にて—————————————
「つまり、貴女の村が蟻の大群に襲われて、命からがら逃げだしたらアルに助けられた。自分は助かったけど村はまだ襲われているはずで、村の方も助けてほしいと」
リリヴィアがルールーから話を聞いて状況をまとめる。
ちなみにルールーは蟻に襲われた時、村の外側で遊んでいたらしい。
そして蟻の襲撃に気付くのが遅れ、蟻たちによって村と分断される形になって戻れなくなってしまい、やむなく村とは別方向に逃げたのだそうだ。
なお、逃げる途中で負った擦り傷については既にリリヴィアが回復魔法で治療済だ。
「うん……お願いします」
「どうする? メノアさん」
ルールーの願いを聞いてリリヴィアがメノアに指示を仰ぐ。
メノアがアルフレッドとリリヴィアの雇い主なので、こういう時は基本的にメノアがどうするかを決めることになる。
「そうね。出来るなら村も助けてあげたいわ。アル、リリ、出来るかしら?」
「俺は問題ないです」
「私もそれでいいと思うわ」
メノアが助けたいとの意向を示したことでルールーの村を助けることに決定。
具体的な作戦の話に入る。
村の場所はここから歩いて1時間弱のところで、村を襲っている蟻の数は正確には分からないが数百体はいるらしい。
蟻というと大したことないと感じるかもしれないが、蟻の魔物であるキルアントは1体1体が普通の人間とそう変わらないくらいに強いため、それが数百体ともなると小さな村程度の戦力ではまず勝てない。
例えるなら武装した一般人が集団で襲ってきているようなものである。
さらにまずいことに村を襲っているのが全てとは限らない。
蟻を含めた虫系魔物は繁殖力が高く、あっという間に増えるので有名だ。
普通なら鳥などの他の魔物に食べられたりするため、そこまで大きな群れにはならないのだが、何かの要因が重なったりすると一気に数千体くらいに増えたりする。
もしも今がそうだとすると村だけでなくこの辺り一帯が危険地帯になっていると見なければならない。
「とりあえず、俺が走って一足先にその村に行くから、リリは2人を守りながら来てくれ。村まで行く途中に魔物がいた場合はなるべく俺の方で倒しておくけど、全部は無理だろうからそっちも警戒しておいてくれ」
「OK」
「分かったわ。気を付けてね」
なお4人全員が固まって移動するのではなく、アルフレッドだけが先に突撃することになった。
理由はメノアとルールーの2人は非戦闘員であり、村の救援と並行して彼女らを守り続けねばならないためである。
ルールーの村を助けると決まった以上は手を抜くようなことはしないが、考えなしに全員突撃して、本来の護衛対象であるメノアやせっかく助けたルールーを死なせる事態になるのは避けたい。
なのでアルフレッドとリリヴィアのうち、片方が先行して途中に敵がいないかの確認や敵がいた場合は戦って排除するわけだ。
ちなみにリリヴィアなら蟻系魔物の数百体くらいあっという間に殲滅できるので、彼女が1人で突撃して、その間アルフレッドがメノアとルールーを守って待機するという手もあるのだが、あえて不採用とした。
その場合だともしもリリヴィアと入れ違いに蟻の大群が押し寄せてきた時、アルフレッドだと対処できなくなってしまうからである。
リリヴィアならば結界で2人を守りつつ攻撃魔法で範囲攻撃するなどして、護衛しながらでも問題なく戦えるので、彼女は2人と離さない方が良いのだ。
そんなわけでアルフレッドはルールーから聞いた情報を頼りに森の中へと走っていく。
「ところで森の中へは馬車が入れないから、馬車が通れる道を探すかどこかに置いていくかしかないのだけど……」
「ああ、それなら私の〖ディメンション〗で馬車を収納してしまえば解決するわよ。4頭の馬はさすがに入れられないけど、このくらいの森なら走らずに手綱を引いて歩かせれば連れて行けるでしょ」
「馬車も収納できるの? すごいのね」
リリヴィアは〖ディメンション〗を発動して馬車を亜空間へとしまい込む。
「おお、消えた。すごい……」
「ふふふ。すごいでしょ」
突然馬車が消えたことでルールーが目を丸くして驚き、それを見たリリヴィアが胸を張って自慢する。
「それじゃ、私達も行きましょう。ルールーは馬に乗って、私とリリで2頭ずつ手綱を引いて村に向かいましょ」
「了解よ。ルールー、ちょっと持ち上げるわよ。馬に乗せてあげるわ」
こうしてリリヴィア、メノア、ルールーの3人も村へ向かって出発するのだった。
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物語世界の小ネタ:
〖ディメンション〗で亜空間に収納できる容量は使い手の<魔法力>に比例します。
リリヴィアの場合だと大きめの倉庫1棟分くらい入ります。
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