第9話・そんなまさか

 さて、私が記憶を取り戻し、ギルフォードから「結婚しよう」と言われてから、とりたてて特になにごともない日々が続いた。


 ギルが私がお願いしたとおり、おはようとおやすみのほっぺにキスはしなくなり、添い寝もしなくなった。


 転生した記憶が戻る前の私は研究室にこもるギルのそばにいて、ニコニコとギルの研究を見守るのが日課だったそうだ。自分自身のことなのに、というのも変な話だけど、まだまだ記憶は混濁している。


(現世の今の自分のことが一番ふわふわしてるっていうのも変な話だけど)


 ギルはちょいちょい、現世の私のやらかしを教えてくれる。


 現世の私はまあそれはもう、育て親のギルのことが大好きだったようで、なにもなくても膝に乗ったり、ギルが本や資料を読んでいるときはべたべたくっつきながら暇つぶしで自分も一緒に本を読んだりしていたらしい。らしい、ということにしておいてほしい。

 ……実はそのあたりのことは結構すでに思い出してきてる。やってた、やってました、このメリル・フォートサイトはやっていました。


 ギルは現世メリルの感覚でいるから、当たり前に今までしてきたことに対して「あれ? しないの?」という感じで不思議そうにしている。


「ギル、いくら親子関係でも、男女にはそれにふさわしい距離感というものがあるの。それを教えてあげないのはかわいそうだわ」


 自分で言うか、という感じだが、ギルに教えてやる人物が私以外にいないので私が言うしかない。

 ギルはというと、きょとんとしつつも「メリルが嫌なことはしないよ」と言って、案外あっさりと引き下がるのが常だった。その点は助かっている。

 ギルの行動原理は基本的に、私至上であり、私が嫌と言えば無理強いはしなかった。……結婚とか、好きになってほしいとかは、あきらめていないみたいだけど。


 家族間での適切な距離感については……。

 ギルもあの馬車の事件以来、義両親も義姉も同時に亡くした形になるから、家族といえど異性および他人に対する適切な距離感を学ばないままきてしまった、かわいそうな大人なんだろう。

 それについては私も反省する点がある。


(前世の私がもう少し長生きしてれば……ッ)


 もう少し、このギルフォードをまっとうに導けていたかもしれないのに。

 闇堕ちせず、健やかに大変美青年に育ったというのに、情緒面やら倫理観やら常識やらなにやらいろんなものがギルフォードには欠けている印象がある。


(馬鹿な子、義姉の私にこんな執着していなければ、もっといい未来があったでしょうに)


 外の世界に目を向けて、いろんな人と出会って、素敵な女性と会って、もっと普通に恋ができただろうに。

 呆れるやら、同情するやら、申し訳なく思うやら、まこと複雑な気持ちでギルフォードと向き合う日々だった。

 いまからでも遅くない、ギルが望めば、きっとどんな人とも出会えるし、素敵な女性と恋ができるだろうに。


 それはさておき、ギルは「やらなくてもいい」と言ったけど、何もしないのも退屈なので、私は日がなギルの研究やフォートサイトの領地管理の手伝いをするようになった。

 やるべきことがあるほうが気がまぎれる。ギルの言う通りにギルのそばにずっといるだけでいい毎日なんて、気がおかしくなりそうだ。


 ギルは放っておくと際限なく私を甘やかそうとする。

 十六歳の今、記憶を取り戻してよかったかもしれない。あのままじゃダメ人間になっていた。


「いままでのメリルもちゃんとメリルだったけど、昔のことを思い出したらなんだかお姉さんのメリルに戻ったみたい」


 なんてギルは呑気に微笑んでいた。


「……あなたは義姉になったメリルを好きになったんでしょう? やっぱり、はちょっと違ったんじゃ」

「そんなことはないよ、メリルを小さい時から大事に大事に俺が育てたらこんなふうになるかな、って感じだった」


 どういう感じよ、と思うけれど深くは突っ込まずに「ふうん」と返す。


 父親としてのギルフォードは過度の甘やかしとか、適切な距離感には問題があるけれど、これ以上なく私を慈しんで愛情を注いでくれていたことには間違いない、と思う。彼を父として慕う記憶も意識も、私にはちゃんと残っていた。


 転生していた事実を思い出さないままだったら、なんの疑問を持たずにギルと一緒に暮らし続け、もしかしたら記憶を取り戻さないままでもすんなりギルと結婚していたかもしれない。それがいいことか、悪いことかはわからないが、ひとまず、『記憶取り戻してよかったなあ』と思う。


 ◆


 そんな平々凡々日々が続いたある日のこと、私たちが暮らす王都に魔物が現れたと報告が入る。

 サッと血の気が引いて、思わずそのとき持っていた紙の束をばらばらと落とす。


「……え、そんな、まさか……」

「魔物なんて、ここ五十年ほどめっきり見なかったはずなのにね」


 驚く私を見て、ギルは苦笑しながら話す。

 私が驚いている理由はそうではない。


(ギルが悪魔の封印を解いたわけでもないのに……?)


 ゲームのストーリーで王都に魔物が出るようになったのは、ギルが悪魔の封印を解いて、悪魔と契約をしたからだ。でも、ギルはそんなことはしていない。


 悪魔の封印を解けるような闇魔術の使い手は今世ではギルくらい――あと、しいていうならメリルくらいか。


(もしかして、封印自体は元々解かれかかっていて、ちょうど封印が解かれるタイミングが、今?)


 今ギルが二十九歳。ゲームでは、二十歳のお兄さんだった。ようは約十年ほど本来のゲーム開始時から時間が経過したことで、悪魔の封印が解かれたのかもしれない。


 人為的に解かれたのではないとしたら、経年による劣化により、悪魔自身の力で封印が打ち破れたと考えるのが自然だ。


(原因がわかってるなら! すぐにどうにかしないと!)

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