第7話・「結婚しようか」
そういえばギルって、もう二十九歳だけどいい人はいないのかな。
私を育てるのだって、奥さんをもらっていればもう少し楽だったかもしれないのに。前世の記憶がないうちはギルが独り身であることに何も思わなかったけれど、こうして前世と前々世の記憶が蘇ると、疑問が湧いてくる。
「ねえ、ギルってどうして結婚してないの? いい人もいたんじゃない、
朝食を終えて、お皿を洗ってくれているギルの背後から声をかける。
ちなみに、お皿くらい洗うのに、と言ったら「俺がやりたいんだよ」と返された結果である。本気でギルは私に何もさせないつもりなのかもしれない。
教育上、そういう過度な甘やかしはよくないんじゃないかなあ! 記憶ミックス状態の私はもやもやするが、それはさておき。
泡を洗い流し終えて、水切り棚に皿を置いたギルはきょとんとした顔で私を振り返った。
「俺はメリルを待ってただけだけど?」
「ん?」
話が噛みあっていない気がする。
どういうこと、と言おうとした私の頬をギルの大きな手のひらが撫でる。しゃがみこんで目線を合わせ、ギルは私の瞳をのぞき込み、薄い唇を開いた。
「そうだな。メリル。記憶も取り戻したことだし、そろそろ結婚しようか」
「……はい?」
なんで、「結婚しないの?」って聞いて、「じゃあ、俺たちで結婚しようか」になる?
話の流れがわからなくて、ひたすらぽかんと口を開く。
とぼけた様子の私にギルは苦笑した。
「もともとその予定だったんだよ」
「も、もともと、って?」
「前世の時から」
目を見開く。
前世、というと、かつての義姉弟だったときの話だ。
「まって、ギル、あなたは養子だったでしょ?」
「うん。だけど、闇の魔力持ち同士でまぐわったほうが確実に子どもに闇の魔力が遺伝されるだろ? だから、お義父様も俺の提案を承諾して、大きくなったら俺たちが結婚できるように、って取り計らってくれていたんだよ?」
「そんなあっさり、知らなかったの? って感じで言うんじゃない!」
いつの間にそんな話を進めていた。
「俺、いつか姉さまと結婚したいってことは話していたじゃない。前世の記憶、思い出したんじゃないの?」
「お、思い出したけど……」
そして、言ってたけど。言ってた。「姉さまのお婿になりたい」とか「姉さまの『特別』になりたい」とかは、言ってた。そうだけど、それはそうだけど。
「俺、姉さまと結婚できるように頑張ったんだ。闇の魔術の訓練も、貴族としてのふるまいも、領地経営の勉強も、全部」
「が、頑張ってたのも、優秀だったのもよく知ってるけど、あの、まさか……」
「そうしたら、義父様も結婚を認めるって言ってたから……」
唖然としていまだ開いた口がふさがらなかった。そんな間抜けな顔をした私のこともギルはうっとりと愛おしげに見つめてくる。
待って、愛おしげ、って本当に? これは親愛のラブではなくて、いわゆる。
「メリル。前世のときから、今日にいたるまで、ずっと愛してる。俺と結婚して、ずっと一緒にいて」
「ま、ま、待って! そんな……」
「俺、ずっと待ってたよ。あなたと初めて会った二十四年前から、ずっと」
二十四年――前々世で私が死んだ歳よりも長い歳月だ。
熱っぽいギルの瞳からけして冗談ではないことが嫌というほど伝わる。そして、実際にその情熱から、本来であれば成し遂げられないことも成していることも、身をもってよく知っている。
その情熱をもってして、ギルは私を、転生させた。
「わ、私、無理よ。あなたと結婚なんて、あなたは弟だったし、それに……」
舌がもつれてうまく話せないなりに、なんとかギルを説得しようと試みる。今のメリルにとっては、親代わりになってくれていた人である。
もともと日本人だった私の倫理観的にも、無理だ。いくら直接の血のつながりはないからといっても、かつて義弟で、今は義理の父である人物とそういった関係になることはできない。
「メリル。忘れちゃった? 小さいときは俺と結婚する、って言ってくれていたじゃない」
「……あ」
そういえば、言っていたような気がする。
今のメリルとして生まれて五歳くらいのときに。
「そんな、『パパ♡ あたしパパと結婚する♡』的なノリで言ったことを……」
「でも、俺はすごい嬉しかった」
思わず胸がトクンとなってしまうほど、甘やかに、本当に嬉しそうにギルは目を細めた。長いまつ毛が青い瞳にかかり、神秘的な美しさと色気を醸し出していた。
「だから、俺、きみと結婚するための手筈は整えていて……」
「いやいやいやいや」
だめだ、惑わされてはいけない。
ぐっと顔を寄せてきたギルの胸を両手で押してなんとか距離をとる。しかし、ギルが本気で私に迫ろうと思えば、たやすく距離を詰められるだろう。それくらいの対格差がある。ギルは細いけれど、肩幅は広くて上背があった。
「今すぐにでも結婚できるよ。メリル」
「――無理よ、私、あなたとは結婚できない」
「どうして? 俺のこと好きじゃないの?」
「好きよ、だけど、それは、家族に向けての愛情で……結婚って、そういうのじゃないでしょ?」
「? 結婚したら家族になるじゃない。何が違うの?」
「や……それはそう、なんだけど」
ふと、もしかして、と思う。
(そもそもギルの『好き』って、私と同じ家族に向けての『好き』と一緒だった……?)
ギルは生まれ育った家では家族からの愛情に恵まれなかった。そして、出会って義姉の私に優しくされて、『好き』という感情が芽生えた。
(本来、家族に向ける愛情をギル自身も勘違いしているだけ、とか……?)
恐る恐る、ギルの顔を見つめ返す。
澄んだ青い瞳はまるで宝石のように煌めき、銀色のまつ毛に縁どられて一等の宝飾品のような美しさを称えていた。そんな美しい瞳が、熱量を持って私だけを見つめている。
「ねえ、ギル。あなたの『好き』って、もしかして……」
私と同じ、と言いかけて、でもその二の句が出ることはなかった。
「好きだよ、メリル。愛してる」
柔らかい唇が重なっていた。何度も頬には口づけたことも、口づけられたこともあるけれど、直接唇同士が重なるのは初めてだった。
「――!」
「俺の好きは、こうだよ」
そっと囁かれたときだけ、離された唇だけど、すぐにまた角度を変えて重ねられ、今度はにゅるりと口の中に何かが入ってきた。
(こ、これって)
ディープキス、というやつだ。前々世でも、こんなことはしたことない。
ギルの長い舌が私の怖気づいてる舌を絡めとり、歯列をぞわぞわとなぞっていた。
「……ッ」
頭がぼうっとしてくるのを感じて、なんとか意識を取り戻し、ギルの胸板を突き飛ばす。
「な、なにするのよ」
「なんだか、メリルはよくわかってなさそうだったから」
「……わからないわよ、そりゃ」
「俺はメリルを女性として見ている、女性として愛して、家族になりたい。メリルは俺のことは家族として見てる。……それなら、俺と夫婦として家族になることだって、構わないんじゃない?」
「な、なにそれ! そんなめちゃくちゃ……」
無理やり後半の『家族』と絡めてごり押ししてるだけじゃないか。
「とにかく! わ、わたしは、そういう目で見ていない人とは、結婚できないから!」
「メリル、俺にキスされて嫌だった?」
「……」
ギルは眉をやや下げて、私を見つめる。
「きゅ、急すぎて、よくわからない……」
「そっか」
取り繕えず、素直に答えてしまうと、ギルはなんだかホッとしたように目じりを下げた。
「ねえ、メリル。メリルはどうしたら俺と結婚してくれる?」
「……してもいい、って思えたらしてもいいけど、たぶん、無理よ」
「じゃあ、『してもいい』って思ってもらえるように俺、頑張るから」
ギルはぎゅっと私の身体をハグする。
そこにさっきのキスにあったような性愛の気配はなく、ただただ優しい抱擁だった。なので、つい私も抵抗しないでそれを受け入れてしまう。
「急にキスしてごめん。次はメリルが『いいよ』って言ってくれるまで、もうしないから。……でも俺、あきらめないからね」
耳元でささやかれた声は甘く優しいものだったけれど、なぜかぞくりとした。
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