第3話・メリル、二度目の転生す

(……なんだか、変な夢を見たような……)


 私の名前はメリル。メリル・フォートサイト。

 物心つく前に、フォートサイト家の養子として引き取られてきた16歳の乙女だ。


 ……なんだけど、どうして私、記憶が二つあるのかな。


 ふかふかの柔らかいベッドの上でうーんと考え込む。


「どうしたの? メリル。そんな驚いた顔をして」


 落ち着いた響きの男性の声が耳に入る。振り向くと、当然のように彼はいた。

 ベッドサイドに置かれた丸い木の椅子に、長い脚を組んで座っている。


 慌てて「なんでもない」と誤魔化しながらも、私の心臓はドクドクと音を掻き立てていた。


(……この男は……)


 少し紫がかった色の濃い銀髪、切れ長の青い瞳、きりりと形の整った眉……見覚えのあるこの顔。いや、一緒に暮らしている相手なんだから、見覚えがあるもなにもないんだけど、あえてこの言い方をしよう。


 私はこの男を、前に見た記憶があるから。


 前世の前世に、ゲームの中で。


 脳細胞がサーっと音を立てて頭の中を波打っていく。前世の記憶と、前々世の記憶と、いまの記憶が交錯していく。 


 私の名前はメリル・フォートサイト。


 目の前にいるこの男性は、ギルフォード・フォートサイト。孤児だった私を引き取って、十六歳のこの歳まで育ててくれた命の恩人だ。


 そして、前世の私の名前もメリル。

 さっき見ていた夢は、前世の記憶だ。


 その時も私は、このギルフォードと一緒に暮らしていた。血は繋がっていないけれど、弟だと思って可愛がっていた。

 かつては私のほうがお姉さんで、かわいそうな境遇で生まれ育ち、不安そうにフォートサイトの屋敷にやってきた彼を、一生懸命かわいがった記憶がある。


 ただ、その時の私は前々世のことは覚えてなくて……。


 そして今の今、ようやく思い出した前々世。とあるゲームをプレイしていた私……。

 うん、間違いない。


 かつてかわいがっていた義弟ギルフォード、そして今目の前にいるこの男は、そのゲームで、ラスボスだった男である。


(え、これ、ゲームの世界だったんじゃん)


 三度目の人生、二度目の転生(?)にして、ようやく衝撃を受ける。


(私が前世でかわいがってたあの男の子……ラスボスだったんじゃないの!)


 かわいいかわいい義弟ギルフォード。


 死の間際、唯一心残りだったかわいい私の義弟。そんな彼が、かつてプレイしていたゲームのラスボスだった。


 そんなことある? いやあった。


(嘘でしょ、じゃあ、私、前世悪女メリルだったの? この私が?)


 ゲームでのメリルは妖艶な悪女で、さまざまな男性と関係を持ち、そして破滅していく様を見て楽しむ女だった。


 前世で私が転生していたメリルは小さい時に死んでしまったわけだけど……。


 ゲーム本編だと、あの事件ではメリルは死なずにギルフォードとともに大人の女性に成長していた。

 ギルフォードは義姉のいじめから多少なりとも守ってくれていた義両親にあたるフォートサイト当主とその妻を亡くしたことで、ますますきつい虐げを受けることとなり、人格が歪んでいくのだった。

 誰のことも信用できず、未来に希望を抱けなくなった彼は闇魔術の研究に没頭し、いつしか封印された悪魔を召喚してしまい、その悪魔とともに世界の破滅を目指していくこととなる。

 そんな彼を成敗するのが、ゲームストーリーの目標だった。


(まあそれはゲームの話で、今は……)


 前世のメリルの記憶で知っているギルフォードはまだ幼かったけれど、今目の前にいるギルフォードは立派な成人男性になっていた。

 おそらく、ゲーム本編での彼よりも年上……に見える。ゲーム本編よりも顔色は良さそうだけど。


「ねえ、ハインツベルの橋って無事?」

「ハインツベル? 別になにも聞かないけど……この間の大雨でなにかしていたっけ?」

「ううん! なんだか橋が壊れる夢見ちゃって、それで聞いてみただけ」


 ……橋、壊れてない。ハインツベルの橋はゲームイベントで闇落ちギルフォードが粉々に粉砕した橋である。あの橋が健在ということは……。


(ギルフォードが闇落ちしていない世界線だ……!)


 たしかに、身にまとうオーラも闇っぽくないもの! ダウナー系ではなくて、クール系におさまってる程度の物憂げ具合の美青年である。なるほどそうか!


 前世と前前世の記憶を一気に思い出した私の記憶は混濁していて、現世……今現在の記憶がなんだかあやふやになっていた。


(ギルフォードが闇落ちしない、ってことは……前世の時点で前々世の記憶はなかったけど、転生した私が無意識にギルのラスボスフラグを叩き折っていて……代わりに私は死んじゃった、みたいなこと?)


 今になって思い出すと、そういえば前世の私が死んだとき、本当だったら従者になりすましていた悪漢に刺されて死にかけていたのはギルフォードのほうだった。


 その事件がギルフォードの闇落ちの後押しになったのよね。騙されて、刺されて死にかければそりゃあ人間不信にもなるだろう。


(――え? で、今、どういうことになってるの?)


 前世の私がギルフォードの闇落ち展開を回避してくれていたことはわかったけど、今の私が成長済みのギルフォードと一緒に暮らしているのは、なぜ?


 あれ? 私、孤児で、運よく闇の魔力があるからって理由で引き取られたんじゃなかったっけ。あれ。


(……前世がメリルで、今もメリル? たまたま、転生していた私を、ギルフォードが、引き取る?)


 改めて疑問符を飛ばしている私を、ギルフォードがじっと見つめていることに気がつく。


「な、なあに」


 ギルフォードは長い脚を組み替えて、口元に手をやり、何やら思案顔を作った。


「……ねえ、メリル。夢って他にも見た?」

「えっ、えーと、わからない」


 見たみた。ガッツリ前世の走馬灯みたみた。なんなら前々世のも見た。

 大嘘のあまり、つい目が右上に泳いでしまう。ああ、天井、白いなあ。


「……メリル」

「なっ、なに?」


 低い声で名前を呼ばれ、思わずびくつく。

 ギルフォードは切れ長の青い瞳で射るように私を見つめていた。


「俺の名前がわかる?」

「ギ、ギルフォード・フォートサイト」

「ああ。俺の好きな食べ物は?」

「ピクルスが入ったサンドイッチ」

「好きな飲み物は?」

「りんごジュース」

「……」


 ギルフォードは破顔する。


 なんだ、その笑顔は――。嫌な予感がして身構えた私を、ギルフォードは上からふんわりと覆いかぶさるように、ハグしてきた。


「メリル、記憶が戻ったんだね」

「うん??」


 今まで聞いたこともないような甘い声、柔らかい口調で、ギルフォードが囁く。


 どうも、質疑応答でやらかしたらしい。

 あっさりと、バレた。


「今の俺がよく飲むのはコーヒー。りんごのジュースばっかり飲んでたのは、小さかった時の俺だよ。今のきみと一緒に暮らすようになってから、俺はりんごジュースなんてほとんど飲んでない」

「……え? あ、そういえば……?」


 それか、と合点する。


 そうだ、つい、前世の記憶に引きずられてしまった。なにしろ、現世のことはなんだかちょっともやがかったように記憶が混濁してしまっているから。

 言われたら「そうだった」と思い出せるけど、いまいちハッキリとしないのだ。


 前世で会った幼いギルフォードは、りんごのジュースが大好きだった。フォートサイトの屋敷に来て、初めて果実のジュースを飲んだらしいギルフォードが瞳を輝かせていたのを私はよく覚えている。


「なのに、今のきみが俺の好きな飲み物をりんごジュースって言ったということは……。思い出したんだよね? 前世」

「……は、はい……」


 これは逃げられないな、と素直に答えると、ぎゅっと強く抱き締められる。細身に見えても、男性らしく硬く大きな身体に包まれて、私は困惑する。

 すりすりと頬擦りされて、おまけに頬に軽くキスまでされる。


(ほっぺすりすりからのほっぺたちゅーのコンボは、昔の私がギルこの子にしょっちゅうやってたわね……)


 自分よりも相当身体の大きい成人男性に抱き抱えられたまま、思わず前世を思い出し半笑いになる。

 私が仕込んだ対身内へのコミュニケーションか、これ、なんて思いながら。


 小さいうちはいいけど、大きくなったらもう少し、する相手とするシチュエーションは考えようね、まで教えておくべきだった。……いまからでも、教え直せるだろうか。


「よかった……うまくいったんだ。メリルに、もう一度会えたんだ……」

「あっ、あの、どういうこと?」


 はー、とため息をつきながら、彼は私の首に顔を埋めるようにもたれかかってくる。重たい。どうにも、ギルフォードは『弟』モードになっている――気がする。


 甘えきった潤んだ青い瞳を細めて、うっとりと涙袋を膨らませながらギルフォードは微笑んだ。


「だって、きみが転生するようにしたのは俺だもの」


「……説明を求めるわ?」

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