第7話 桜から数珠を造る
先日の台風は酷かった。幸いにも、事前に私と唯念君で補強していた本堂の壁や屋根、特に危なっかしかった草庵の暴風対策のおかげで、最低限の破損ですんだ。しかし、庭の大きな大きな桜の木が倒れてしまったのである。
台風の翌日の早朝、唯念君が倒木の前で読経していた。
わたしはそれを遠くから眺めている。しばらくすると、唯念君が崩折れてしまった。思わず駆け寄って声を掛ける。泣きじゃくっている彼。
「どうしたの、唯念君」
「あまりに、残念で……」
「そうね、でもお天道様には抗えないわ。風神様にもね」
「そりゃそうですが、これは酷すぎます。春には檀家さんのみならず、観光の方も大勢いらっしゃって…辺鄙な観光名所だけど、その「辺鄙なところ」という事実がわたくしの…いえ、わたくしたちの誇りだったんです」
(私たちの、誇り…!)
「木之葉様にお会いしてから三年間、ほぼ毎日のように此の木を二人で眺めておりました。それが、もう、出来な…」
言い終えるやいなや、再び涙を流し始める。私はそっと背中から抱きしめてあげた。
その数日後。
唯念君が、とある老婦人──久遠寺君枝さん、という──を紹介してくださった。檀家の方で、兵庫念珠製造師という資格を持っているそうだ。昼下がり、その工房にて。
「ご縁さん、この際です、あの桜から数珠を作って、門徒さん、そして信徒さんに頒布するというのはどうでしょうかね」
年に似合わず覇気のある女性だ。商売っ気のある人だなぁと突っ込みたくなったが、こちらも負けじと、
「そうですね、皆の思い入れのある桜ですしね…お金の話でちょっといやらしいかもしれませんが、一本三千円に設定しましょう。飲み会を一度我慢すれば入手できるお値段です」
「それはよろしい。では、略式念珠にしましょう。宗派が異なる方も、中にはお参りにいらっしゃるでしょうし」
「はい、そうしましょう」
「それで…」
何やらニヤリとした、悪戯っぽい目つきで私を下の方から見やる久遠寺さん。
「念珠づくりに、ご興味はありますかな?」
聞くと、この地に移住して以来、数珠を造る機会がめっきり減ってしまったという。それには、ことにご主人と死別してからこの地に移り住んだということも多分にあるとのことだった。数珠を造ってゆうに50余年。その卒業を惜しむ声もあったというが、実際のところ弟子を探したかった、また数珠造りをする仲間が欲しかった、というのが久遠寺さんの本音だったようだ。
「数珠造り、ですか…面白いかも!」
飛び上がらんばかりの喜び方をする久遠寺さんであった。私は二つ返事でそれを受諾することにした。週一で西園寺さんのお宅にお邪魔して、修行をはじめるというものである。
まず、いかに身分は住職といえど、師弟関係においてはこちらが弟子の身分である。
置いてあった乾燥したものと思しき幹が手に取られ、皮が剝がされ、乾燥のため木工加工がなされてゆく。久遠寺さんのワザマエには感嘆せざるをえなかった。
「ご縁さん、こういった木材の加工、鋸の類や旋盤の使用、紐の編み込みは私におまかせください。ご縁さんには、珠の最後の仕上げ、もとい、一つ一つのヤスリがけをしていただきます。倒れた桜は乾燥待ちですので、以前から用意していた黒檀で練習してみてください」
「あ、はい」
「南無阿弥陀仏、まぁるくなぁれ、南無阿弥陀仏──とお唱えになりながら、やさしく丸めてあげてください。切り口が尖っていると糸を痛めます故、一応カドの面取りはしていますが、私の見落としもあるかもしれませんし、さらに念を入れて磨いてください」
「了解しました」
これが意外と難しい。珠の一つ一つは、気をつけねばすぐ指と指の間からこぼれ落ちてしまう大きさだからだ。しかも、ヤスリがけをすればするほど、その表面は摩擦度が低くなり、より零しやすくなってしまう。早速、2,3回落としてしまった。
「すみません久遠寺さん、木工工作というものを、全くやったことがなくて…」
「そうでしたか?」
素っ頓狂な声で答える久園寺さん。
(そ、そうだ、久園寺さんは昔の私を知っているんだから!)
「え、んーと、記憶を失ってしまってて、全てを忘れたみたいなんです」
「ご縁さんはほんとに若くしてご住職となられました。これからまぁぁぁだ先は長くございます。忘れ物の一つや二つ、いや数十、数百あったって、気にしちゃあいけません」
久遠寺さんによると、私は以前もこの工房を訪れたことがあるという。ただ、少し興味があるといったくらいで、実際にこうして作ってみるという程には至らなかったそうだ。
木工工作は面白い。何てったって、思い描いているものが形になるからだ。一時間で十二、三個しか作れなかったが、久遠寺さんはそれでも上出来だ、立派な仕上げだと感心して褒めてくださった。
「そういえばご縁さん、週一で通うとおっしゃいましたが、私も無い頭で必死に考えたら、やはり法要やご用事などでお忙しいでしょう。なので、お暇なときに、いわゆる『箱入れ』といって、出来上がった製品を箱詰めしていく、という工程をお願いする、ということでどうでしょうかね」
「それがいいかもしれませんね」
ふくふくと笑う久遠寺さん。ほんの少しだけれど、こうして皆さんの信仰を深めるに大切な仏具造りに加わることができて、これひとつの幸、と思う私であった。
☆☆☆
次回は、『リスのぬいぐるみを補修する』ですよ。お楽しみに。
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