第4話 消えた道具箱
「うーん、どこ行ったんやろ」
インターホン越しの男性はいきなりそう口にした。
晴れやかな夏、八月の朝である。唯念君は珍しく朝寝の最中だ。
私は男性に問う。
「お名前は」
「山川です」
「どうされましたか」
「いや、大工道具を入れた道具箱を紛失してしまって」
それは大変だ。これからのお仕事に支障をきたすだろう。
「一緒にお探ししましょうか?」
「それには及びません。ただ、ヒントをもらいに来たんですわ」
冷たい麦茶を用意し、草庵を出、山川さんという人と対面する。
白髪で、シワも多く、見た所70歳行くか行かないかといった男性。
しかし背筋は伸びており、体の衰えはみてとれない。
「こんにちは、山川さん」
「はいこんにちは、ご縁さん。…おぉ、お茶まで、ありがとうございます」
「お暑い中、ようお越しくださいまして」
ぐいっ、ぐいっと一気に飲み干すご老人。
「ふー、生き返りますなぁ。━━で、件の道具箱なんですが」
「まず、山川さんの日々のルーティンを復習しましょう。朝、最初に起きて、次にどうされますか?」
「道具箱を車に積み込みます」
「では、お仕事中は箱はどこにありますか?」
「現場の、手の届く場所に置いてますね」
「なるほど」
現場仕事には詳しくないが、すぐに無くなるというものでもなさそうだ。
たとえば休憩スペースに置いていて、間違って持ち帰られてしまうということもないはずである。
「作業中も、道具を出し入れしますか?」
「もちろんです。手元に無いと、すぐ、困るという場面もありますし」
「うーん、では、お仕事の後はどうされます?」
山川さんは、持っていたグラスをお盆の上に戻すと、こう言う;
「道具をすべて工具箱に仕舞って、車に積みます」
「車に積んだ後、ご帰宅されますよね?」
「はい」
「帰宅された後は、箱はどうされるんですか?」
「工具のメンテのために、一旦家に運び込みます」
「そうですか…」
私は頭を抱えた。どう考えても紛失するはずがないからである。
失礼ながらも、私は認知症の疑いを抱いてしまった。
「盗られた、という考えは浮かびませんか」
「はは、そこまでもうろくはしていませんよ」
だが、無くなったというのは事実らしい。では、どこで、何時、どうやって。
あるいは、誰が。
(事件性があるものとは、考えたくないけれど…)
「お仕事の同僚の方が、間違って持ち帰った、とかはどうでしょう?」
「いや、それはないです。みんな自分の箱には愛着がありますし」
ふとここで、ある考えが頭を過った。
「そうだ! 山川さん、いつ、ですよ! いつ、無くされたって気づいたんですか?」
「え? あ、んーと……今朝、こうして出かける前ちょうど頃ですね」
「ご家族のお仕事は?」
「息子も大工をやっとりますが、現場は別です」
「もしかしてですが、御子息と山川さんの道具箱、見てくれがそっくりだったりしません?」
「!!!」
狐につままれたような顔をする山川さん。
「そう、その通りです! そういや瓜二つなんですよ。まったく、あのせがれは……」
「一度、ご連絡されてみてはどうでしょう」
「そうですね、ケータイにかけてみます」
トゥルルル。
「あ、波平か? お前、俺の道具箱、持ってってへんか? 手元にないんやわ」
返答が大声で聞こえてくる。スピーカーモードになってしまっているが、山川さんはそれに気づいていないようだ。私は可愛らしさに笑みを浮かべるのをやめようと必死だった。
「それな、ごめん! 親父のやつ、そっくりやから車に積んでもうてん」
「ならはよ電話せぇや! 気いつけなあかん言うとるやろ!」
「電波悪くてな、繋がらんかってん」
「幸い今日わしは監督だけやけど、これがもしやで、もしわしがお前の道具箱持って行っとって、現場で使えへん、なったら、使い物にならんのはお前さんになるんやで」
電話の向こうで息子さんが頭を下げているのが見えるかのようだ。
「ほんまごめん! 今から持っていくわ、車で20分くらいやさかい」
「いや、ええよ、ええよ。急いで事故してもお互い困るやろ」
「すまんかったなぁ」
「今度から気をつけぇよ? じゃ」
「おぅ」
一件落着である。山川さんをボケ扱いしてしまいそうになった己を深く恥じた私であった。
何ということはない、息子さんの勘違いで起こった小さなトラブルだった。
(これが、オヤジとせがれ…子供と、親)
そのことを唯念君に相談したところ、写真を見せてもらった。
立派な袈裟を着てはいるものの、物腰柔らかそうな、それでいて目力のる男性の僧侶の横に、きれいな刺繍が施された浴衣を着ている長髪の美麗な女性。この二人が私の親である、と教わった。
(お父さん、お母さん)
追憶のさ中、心の中で大声で呼びかけてみるが、思い出が浮かんでくる様子は微塵もない。
だが、山川さんと息子さんのやりとりを聞いていた時、親子という関係の中でかわされる言葉の端々に、愛情というものを感じることもできたのは事実だ。いつか、きっと私も、山川さんのような親の心遣いがわかることができますようにと、南無阿弥陀仏と唱えながら祈る私であった。
☆☆☆
次回は、『芋を一緒に植える』ですよ。お楽しみに。
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