第2話 本田家の、ぬこ様は、いずこ
猫のタマちゃんが失踪したのは昨日、夕食時の出来事だったという。私は今朝、飼い主である本田さんのお家にお邪魔していた。
相当ご年配の女性と見える齢であろう本田さんが、苦しそうな顔つきで静かに言う。
「ご
ご縁さん、とは、住職のことを指すらしい。
本田さんはしくしくと泣き出してしまった。
「大丈夫です、本田さん。…昨日の夕方までは元気だったんですか?」
「はい。オカメインコのピヨたんと一緒に遊んでいました」
「出ていったのは…どこからでしょう?」
力なく、庭に向かって開かれた扉の隙間を指で示す本田さん。
「あそこ…でしょうね、いつも庭で走り回っているか、家の中のあのあたりを行き来しているんです。それに、ご飯は毎日毎日家でとるのに…昨晩から今朝にかけて、まったく来なくなってしまって」
「うーん…」
私は頭を抱えた。唯念君曰く、「いわゆる外飼いの猫がいなくなるのは、ままある事」とのことだったが、それでも、毎食律儀に我が家で食事をとっていた愛猫が突然姿を現すのをやめた、というのは、何かがあったに違いない。問題は、その何かだ。
「本田さん、タマちゃんの好きな餌で釣る、というのを試してみましょう」
まずは、大のお気に入りだという庭の真ん中に、これまたお気に入りのおやつ、「イタバ・にゃんツルツル」をお皿にのせておいておく。タマちゃんが姿を現す前に、家の中を大捜索してみる。──が、居ない。居る気配すら見えない。こちらが探しているのを後からこっそりつけている、もといかくれんぼをして遊んでいるのかと、たまに振り返ったりもするが、それも無駄足だった。
次は近所である。猫猫ネットワークがあるという公園も探したが、本田さんが言うには、いつもの面子しか顔を出していない、それもタマちゃんを除いて全員が出席しているとのことだ。こうなってはもうお手上げだろう。夜も近い。業者の出番か、と私は危惧した。
私は急いで草庵に戻り、パソコン(正直どうやって操作するのか見当がつかなかったが、唯念君が丁寧に教えてくれた)で、「猫、探しています」の貼り紙を作っていた。
早めの夕食をすませ、本田さんの家を訪問する。少し蒸す日だ、汗が額に滲む。
黄昏時、雲の様子はどんよりとして、時間の割にとても暗い。今にも降りそうだ。
チャイムを鳴らし、
「本田さん、いらっしゃいますか」
言うと、数秒間がさがさという音がした後、声がした。
「ご縁さんですか?」
「ええ。これを持ってきまして」
モニター越しにポスターを見せる。
「あぁ、わざわざ作っていただいたんですね。どうもご面倒をおかけして申し訳ない」
「いえいえ、これくらいしか思いつかなかったので」
「どうですか、お茶でもお召し上がりになりはってください」
幸い時間に余裕はある。明日も法要があるが、唯念君がすべて取り仕切ってくれるというので、こうして時間を作れた。たった10歳というのに、大したお子さんだ。
ありがたや。
玄関から本田さんが出てきた。
「ご縁さん、ぜひ、ぜひご一杯」
「それはかたじけない」
ぽつ、ぽつと雨が降り始めた。
「では、お言葉に甘えて」
言って、玄関に入り、傘立てに傘をさそうとしたまさにその時!
「うわぁっ!」
あまりの荒唐無稽な光景に私は大声をあげた。
──傘立てから尻尾が生えている! しかも、くにゃくにゃと動きながら!
どうやらこういう事らしい。
飼育していたオカメインコは、常に放し飼い状態だった。インコちゃんがおやつを口にしながら傘立ての上を飛んだものだから、うっかりしたのか、おやつが傘立てに入ってしまったのである。それを凝視していたタマちゃんが、おやつ目掛けて空っぽの傘立てに入り込んだはいいものの、抜けなくなっていたのである。幸い、上半身は自由に動かせたらしく、頭は充血していなかった様子だ。不幸中の幸いとはまさにこういうことを言うのだろう。
本田さんが愛おしそうに猫を抱きしめ、頬ずりをする。私もついついもらい泣きをしてしまった。
「よかったですね、本田さん」
「ええ、本当に。立派なお布施もできない私のために、色々と考えていただいて…ありがとうございました」
「とんでもない、本田さんは大切な門徒さんです。…ところで、タマちゃん、撫でてみてもいいですか」
「ええ。人見知りをまったくしません」
一瞬怪訝な顔をする本田さん。
それもそうだ、こちらは向こうのことをまるで知らなくても、向こうはこちらのことを知っているのだから。私は、やるせなさと戸惑いとが綯い交ぜになった感情を抱きつつ、右手でゆっくりと優しく背中を撫でてあげた。綺麗な柄だ。柔らかさを感じると、
「なー」
と言ってくれた。
帰宅すると、私の顔を見た唯念君が、いの一番に
「見つかったんですね」
と云う。どうやら私は、思っている事が直ぐに顔に出てしまう性格のようだ。
「うん。それがね、笑っちゃだめよ? なんと、傘立てにハマってたの!」
「ふふ…あ、笑っちゃいました」
てへ、とした顔つきの唯念君。その愛くるしさはタマちゃんに勝るとも劣らない。
こうやって、一日一日が過ぎてゆくのであろう。
立派な住職とは全然言えない今だが、少しずつでも前進は出来ていると思う。タマちゃんを見つけられた時のように、役に立てればいいなと思う私だった。
☆☆☆
次回は、「住職、早起きをして音楽に目覚める」ですよ。お楽しみに。
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