木之葉ちゃん

博雅

第1話 はじめに

(ここは…どこ…?)


目を開けると私は仰向けになって寝ており、眼前には見慣れない天井があった。木製で、板が連なっているのがわかる。右を見ると囲炉裏があり、また左に目をやると蠟燭立てに火が灯されていた。障子の隙間からは、沈みかけの太陽の影が差し込んでいる。


(時代劇で見たみたいな…草庵、ってところかしら)


だが、自分の名前も思い出せない。どこでどう育ったかも。

つまるところ、私は記憶喪失というものにかかってしまったらしいのだ。


重い体を起こす。

なんと、尼僧さんが着るような簡略化された法衣を纏っているではないか。

髪の毛は…セミロングよりもっと短いけれど、ショートというほどでもない。

法然上人は「髪の毛を女性が伸ばすのは好ましくない」とおっしゃっていた。一方、親鸞聖人は、髪の毛を伸ばしておられた。


…上人、聖人、って今私思ったよね?


どうしてだろう。


そんな事を考えるより、まず状況整理が必要だ。

部屋の隅にあった等身大の鏡に体を映してみる。

17,8歳の、女子高生といったような顔つき。

やや痩せ気味で、身長は160cnほどか。髪の色はきれいな墨色。

目鼻立ちはくっきりしていて、細く長い眉に、大きくはないけれど、ぱっちりと(自分で言うのもなんだが)凛とした目。メイクは控え目、アイラインを気持ち強めに。


「あのー、誰かいますか」


声を出してみる。すると即座に障子の向こうから返事があった。


「はい、木之葉このは様」


「ここはどこ? 私、名前忘れちゃって…」


「あなたがご起床なされたということは、和尚さんの預言が成就したということでしょう。あなたは西楽さいらく様、わたくしは唯念ゆいねん房と申します。今年で十歳、木之葉様のお手伝いをさせていただいております」


障子をそっと開ける私。そこには、ふさふさとした髪の毛を七三に分けた、あどけない少年が片足を跪かせて居た。


「唯念…君、私は誰なんですか?」


「呼び捨てで構いません。尊敬語もお使いにならないでください──あなたは西行法師様にたいへん所縁の深い、西楽という血筋の方・西楽木之葉様です。上人はあなたの出現を今か今かと待ち望んでおられたといいます」


「西楽に、上人…? 訳あり、ってやつかな?」


「ええ」


「でも、私にできることなんて無いよ」


「いえ、それが、大いに御座います。あなたはこの町・尼崎でも一、二を争う尼僧にあらせられるからです」


なんということだ。いきなりライバル寺院との応酬が始まるとでもいうのだろうか。


「具体的に、何をすればいいの?」


「まずは、西楽様には尼僧としてのおつとめ、法要、檀家さんとの会合やおもてなし、悩み相談や近所のごみ拾い、迷子の子供の親探しにたこ焼き屋の屋台店主等、多岐にわたる社会活動をしていただきます──それに、何より『すべての人に、数珠を』というのが西行様のかねてからのお望みです」


「数珠…は、なんとかなるかもだけど、お勤めといっても、お経のひとつも知らないのよ? それに、法要なんて…」


「とりあえず、西楽様は病気で記憶を一切失ったということになります。法要のいろははわたくしがご伝授いたします。それに──『南無阿弥陀仏』はご存じでしょう?」


「え、そりゃあ…」


私は手をポンと叩いて、


「そうそう! お念仏ね!」


言うと、ニコリとする唯念君。


「そうです、西楽様。実践していただき、また、それを地域の皆様にご教示なされるとよい、とのことです。いずれ、念仏についての講義をなされることになっています」


「えーっ、無理無理! だって、講義なんて…」


「ご心配なく。わたくしが全てご教示いたします。木之葉様は方ですゆえ。それに──阿弥陀仏がいつもおられます」


感極まったのか、唯念君の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。


「それでは、早速お仕事にとりかかってください」


「え、もう!?」


「はい。ここは西楽様が住まわれる庵なのですが、このご近所にタマちゃんというメスの三毛猫が迷子になってしまっていて、その捜索願が出ております」


「そりゃ、大変ね。まずはどうしようかしら」


「それはですね…」


訊くと、今は2024年、私は17歳だという。それより前に気を失って「転生」したのか、過去へタイムトリップして「交換」したのかはわからない。ただ、唯念君やご近所さんと喋っていてわかったことは、どうやら「日本」という国の「令和」という時代であり、私は西憶寺さいおくじというお寺の住職の──今はその人を含めた両親を早くに亡くした──跡継ぎの一人娘、それも現役の住職だというのだった。


草庵の裏…もとい、本堂の裏には草庵があり、近くに便所と風呂場とがある。

そして敷地全体を囲うように、竹林がそびえたっている。一帯は、とある田舎町の北端にあるとのことだ。


とまれ、私の諸々の「仕事」の日々が、この小さな場所から始まるのだ。


☆☆☆


次回は、「本田家の、ぬこ様は、いずこ」ですよ。お楽しみに。

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