第83話 桃山京香の苦悩

シュンが髪を切った日の夜、彼女と同じタイミングで桃山京香も入浴中であった。

浴槽の壁に深く背中を預け、大きな大きなその胸を湯船に浮かばせながらため息を吐く。


「はぁ〜〜。今日もダメだったなぁ〜」


桃山は今日の学校のことを思い返してみる。

特に放課後の文化祭の準備のことを。


(あの雰囲気苦手なんだよねぇ…。ウチがいてもいなくても何も変わらない感じ。存在価値を見失いそうだよー)


文化祭ではメイドとは別にノーマルなスタッフも接客を行う。もちろんメインはメイドだが、そのサポートや客の案内を行うのだ。

そんなノーマルスタッフである桃山たちは、当日のシュミレーションを放課後に行った。しかし、既に出来上がっている人間関係の中に入り込んでいく勇気を桃山は持ち合わせていなかった。

その結果、空気と化した桃山。

言われたことは聞くが、自分からはまったく発言しない桃山にわざわざ話しかけにいく人など1人もいなかった。


(みんなのこともっと知りたいし話しかけて欲しいのになー。自分から話せたら良いけど、いざとなると緊張しちゃって全然話せないからなー。この前も2人来てくれたけどまったく喋れなかったし…)


以前話しかけに来てくれたシュンと花のことは桃山も鮮明に覚えている。

どうしてアレを忘れることができようか。

転校生だからと気にかけて話しかけてくれた人たちに冷たく対応してしまったあの日のことを。


(藤宮さんは大丈夫だろうけど、ピンク髪の子には嫌われちゃったかなぁ。優しそうだったけど、あのタイプは裏が怖いに決まってるからなぁ…。てかそうじゃん。最初は頑張って藤宮さんに話しかけるところから目指していけばいいじゃん!あの人ならウチのことも何となく察してくれそうだし!)


桃山はシュンの隣に座る不審者じみた服装の人物を思い出す。

名前は知らないが、あの少女からは自分と近しいモノを感じた。


(そうだよ。藤宮さんはウチに話しかけてくれた最初の人だし、きっとウチみたいな陰属性強めの人間の扱いにも慣れてるに違いない!やっぱ真の陽キャは陰キャにも優しいからなー!…よし、会話のシュミレーションをしてみよう!!)


そう決め、桃山は一人二役でシュンとの会話を想像していく。

声色も切り替え、完璧に役を演じ分けていくのだ。


「おはよう藤宮さん」

「あ、おはよー桃山さん!今日はいい天気だね!」

「そうだね。朝から日光を浴びれてポカポカだよ」

「あはは、ホントだねー。ところで、京香ちゃんって呼んでもいい?もう私たち友達でしょ?」

「うん、いいよ。ウチら友達だもん。じゃあウチはシュンちゃんって呼ぶね」

「おっけーおっけー。よろしく京香ちゃん!」

「よろしくシュンちゃん」

「「あはははは」」


2人揃って笑顔で笑い合うところまでシュミレーションし、桃山は「ふぅ」と満足気に微笑んだ。


「…いける、いけるぞ!我ながら完璧なシュミレーションだった。これなら普通の会話ができる!!」


そう思うと、桃山の心は希望とやる気に満ち溢れてきた。


「よし、明日こそは藤宮さんに話しかけるぞ桃山京香。頑張れ桃山京香。えいえいおー!」


* * * *


そうして迎えた翌朝。

いつもより早めに登校した桃山は、自分の席に座ってシュンの到着を待つ。


(そろそろだと思うんだけどなー。…よし、今のうちにもう一回復習だ。藤宮さんが来て席に着いたら、ペットボトルを捨てにいく途中で藤宮さんの横を通る。で、その時に「おはよう」って話しかけて会話スタート。うんうん、バッチリバッチリ。あとは昨日のシュミレーション通りにやればいけるはず…)


静かに胸を躍らせながら、数秒ごとに教室の扉に視線を向ける桃山。


そして、そうすること数分。

ついにその時がやってきた。


「おはよー」

「おはようシュンちゃん。…!?」


ちょうどスマホを見ていた時に聞こえてきたシュンの声。どうやら扉付近にいたクラスメイトに挨拶しているようだ。


(—!!来た来た!よし、この時間ならまだ人も少ないから話しかけやすい!)


シュンの登校に心をピョンピョンさせながら桃山はスクールバッグからペットボトルを取り出す。そしてゴミ箱に向かおうと立ち上がり、シュンの方に目を向けた時だった。


(え、何で…。何でぇぇぇぇぇー!!!!!!!!)


その光景を目にした桃山は立っていることができず、思わず椅子に座り直してしまった。


(ど、どうして藤宮さん!!??!!??何でこのタイミングで髪を切ってきちゃったの!そんなことしたらみんな気になって集まっちゃうじゃん!!!めっちゃカッコよくなってるし!!!)


後ろ姿だけで分かる。新しい髪型の藤宮春は直視できない眩い光を放っている。アレと対面しようものなら会話など成り立たない。


全ての作戦が崩壊したことを悟った桃山は、大人しくシュンの背中を見守った。


(…ほら、さっそく1人。あ、2人目)


桃山の予想通り、クラスメイトはシュンの所に集まってきた。1人、また1人、とその場にいた7人全員がやがて彼女の机を取り囲む。


「どうしたのそれ!めっちゃ似合ってる!」

「シュンちゃんカッコいいんだけど!?文化祭のため!?」

「え、ホントにカッコいい〜〜!」

「あはは、ありがとうありがとう。みんなどんな反応するのか気になってたけど、最高の反応だったよ」

「そりゃビックリするよ〜」

「うん、一気にボーイッシュになったもん。もともとそうだったけど」


桃山の視線の先で盛り上がるクラスメイトたち。

その様子を眺めながら、桃山は静かに自虐的な笑みを浮かべた。


(…はは。これがウチみたいな陰に住む人間と陽に住む人間との差か。ウチもあんな風にチヤホヤされたいな。…けど、頑張るぞ桃山京香。絶対あの陽キャに話しかけて仲良くなるんだ桃山京香!今日じゃなくても、明日、その明日と頑張るんだ桃山京香!!)


そうして、人知れず1つの戦いが終わったのだった。

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