第82話 難しい問題
5時半予約の美容室から帰宅すると、家の庭にお父さんの自転車が置いてあることに気づいた。俺は最寄りまで歩いて通学しているが、数秒数分の時間を惜しむお父さんは自転車で駅まで行っている。
もう7時を過ぎてるし、帰宅していてもおかしくない時間だ。
「ただいまー」
「「おかえりー」」
やはり、家の扉を開ければお母さんと一緒にお父さんの声も飛んでくる。
そして2人は俺が美容室に寄ってきたことを知っているので、どんな風になったのか確認するためにリビングから玄関に出てきた。
お母さんが先に現れ、お父さんはその背中に続く。
「今度はどんな髪型にしてきたの?……!?!?」
「む、どうしたんだいきなり固まって。そんなにシュンが変なの、か…!?!?」
そして2人は俺を見るなり口をポカンと開けて固まってしまった。
切った量はそれほど多くないが、見た目の印象はガラッと変わっただろう。
縮毛矯正してきたので髪質はサラサラ。前髪は目に少しかかるくらいに揃え、サイドはツーブロにしてきた。
文化祭に向けてというのもあるが、これを機にイケメン度を上げておきたいなと思ったのでこうしてきたのだ。
「どう?似合ってる?」
「…あ、ああ。似合ってるけど、これまた随分と思いきってきたな?」
「うん、今度男装するし丁度いいかなって。カッコいいでしょ?」
「そりゃあカッコいいけどよ…、なんだ、せっかく女の子なんだし可愛い感じにはしなくていいのか?」
「まあまあ、シュンちゃんがやりたいようにすればいいじゃない。ねえシュンちゃん?」
「そうだよ。なに、お父さんはカッコいい私より可愛い私のが見たかったの?」
「い、いや、そんなことはないぞ?俺はどんなシュンだって大好きだからな。はっはっは」
大口を開けて笑うお父さん。本当は可愛い俺の方が見たかったんだろうな。
気持ちは分かる。俺だって顔の良い娘がいたら女の子らしい可愛い髪型でいてもらいたい。ポニーテールとかツインテールとか。
けどなお父さん。
今は可愛くなる時ではないのだよ!
カッコよくならないといけない時なのだよ!!
「ま、とにかく私はこうなりましたよっと。お母さん、お風呂沸いてる?」
「沸いてるわよ」
「ありがとー。じゃあ入っちゃうね」
「はーい」
俺はちょっと元気をなくしたっぽいお父さんの横を通り過ぎ、2階に上がって部屋に荷物を置きに行く。
そうして手ぶらになった後、涼太の部屋の扉の前で声をかけた。
「涼太ただいまー。もうお風呂入っちゃった?」
「まだー」
「なら久しぶりに一緒に入ろうよ」
「うん!」
扉の向こうではドタドタ物音がして、そのまま少し待っていると扉がガチャっと開いた。
そして小さな体を現した涼太は、俺の顔を見るなり目を丸くして驚いた。
「お姉ちゃんおかえり…!? 髪切ってきたの?」
「そ。どう、カッコいい?」
「うん!カッコいい!」
「でしょでしょー。偉いぞ涼太。どっかの金髪とは違って素直にカッコいいと思えるなんて」
「へへー」
俺は涼太の頭を撫でたあと、両脇を抱えて持ち上げた。
十字架に架けられた人みたいなポーズで運ばれる涼太は、両足をブラブラさせながらその状況を楽しむ。
「涼太、部屋で何してたの?」
「宿題してた」
「へえ。偉いね。何の宿題?」
「算数」
「相変わらず算数好きだね。国語とかは後回し?」
「…国語は嫌い」
「そうなんだ」
以前は国語も好きだった気がしたが、いつの間にか生粋の理系になっていた。
…確かにカエルの解剖とか好きそうだもんな涼太。どうか家で変な実験はしないでもらいたい。
いろんなものを解剖してニコニコしている涼太を想像しながら風呂場に着き、俺たちは服を脱ぎ始める。
そして俺より先に脱ぎ終えた涼太は浴室に入ってしまった。中からはシャワーを浴びる音がする。
そうして1人制服を脱ぎ続ける俺だが、洗面台の鏡に映る下着姿の自分を見てふと思った。
「…こりゃあお父さんも驚くわな」
美容室でも完成した姿は確認したが、家で見てみるとまた少し違って見える。
確かにだいぶ男っぽくなってるな、俺。
角度によるが、髪の毛で目が隠れてしまうと顔だけで性別を判断するのは難しくなる。
そんなレベルで今の俺はイケメンだ。
胸があるせいで女だとバレてしまうが、もし俺がぺったんこだったら多分男としてやっていけるだろう。
「イケメンすぎ〜〜」
鏡に映る自分の容姿を眺めて自慢げになっていると、風呂の中で涼太が俺のことを「まだー?」と呼んできた。
あんまり待たせるのも悪いので、俺は早々に切り上げてお風呂に入った。
「今行くよー」
* * *
風呂場の中、涼太は椅子に座ってシャンプーしている。一方俺はお湯の中に入ったままで、浴槽の縁に寄りかかって涼太のことを眺めていた。
泡立ったシャンプーで頭をゴシゴシするたびに涼太の涼太ジュニアがぷるぷる揺れて面白い。
「ところで涼太、最近の恋愛事情はどうなの?」
「れんあいじじょう?」
「ああ、えっと、好きな人は出来た?」
「分かんないー」
「分かんないかー」
頭にシャンプーの泡を蓄えた涼太はそのまま体も石鹸で洗っていく。涼太は、自分で体を洗うときは全身に泡を纏ってから一気に流すという謎のこだわりがあるのだ。
その様子を眺めながら俺は質問を続ける。
「けど色んな女の子から話しかけられるんじゃないの?その中に気になる子はいないの?」
「うーん……やっぱよく分かんない」
「分かんないかー」
やはり小2男子に恋愛は無理か。
…いや、好きという感情に気づいていないだけの可能性もある。お姉ちゃんとして俺が導いてあげる必要があるのではないか!?
「一緒に話してて楽しいとかさ、もっと知りたいとかさ、そーゆーこと思うような女の子はいないの?」
「うーん…」
本日何度目か分からない唸り声を上げながら涼太は体の泡を増産し続け、そして驚くべきことを口にした。
「…いるかも」
「分かんないかー。…ん? えっ、いるの!?」
マジかよ。いないと思ってたのに。
「え、その子はどんな子なの?」
「えっとー、静かでー」
「うんうん」
「優しくてー」
「うんうん」
「静かな子」
「うんうん。…ん?」
とりあえず涼太のタイプが静かな子なのは分かった。だけど、涼太に話しかける行動力がある時点で俺が想像するような〝静かな人〟とは違うんだろうな。クラスの隅で誰とも話さず本を読んでいるような、そーゆー人物のことではないのだろう。
けど、そうなるとますます疑問だ。
消極性を極めている涼太に認知されるほど積極的にアタックしてくる静かな子、か。
一回でいいから涼太の心の中を読んでみたいな。独特な感性してそうだから。
「それで、その子とは席が隣だったりするの?」
「うん」
「へえ!いいじゃんいいじゃん」
隣になった人を好きになるの、あるあるだよな。俺も前世で経験あるわ。
「ま、その子との進展を私は期待するよ」
そう言いながらお湯に体を沈める俺。
肩まで浸かってジンワリ温まっていると、今度は涼太の方から質問してきた。
「お姉ちゃんは好きな人、いるの?」
「えー。それは内緒」
いざ自分に聞かれると答えにくい。俺はお湯をパシャッと涼太に振りかけて誤魔化した。
すると涼太は「そっかー」と言いながら大し
て気にする素振りも見せずにシャワーを浴び始めた。
…好きな人ねえ。
時々考えるが、これは俺にとって結構難しい問題だ。
前世の俺だったら、そもそも女子との関わりが少なかったせいで「あの子も好きだけどこの子も好き」だなんてことを考えたことはなかった。選択できるほど人脈が広くなかったからだ。
だけど今は違う。周りに可愛い子が多すぎる。
例えば花。いつもいい匂いがするし、結構空気が読めるし、全身が柔らかいし、顔だってちゃんと可愛い。
こんなスペックの女子と仲が良かったら、前世の俺だったら一瞬で惚れ込んでる。
そんな女の子が沢山身の回りにいるのだ。
一体誰を選べば良いと!?
…そんな状況にあるからこそ、俺もある意味〝好き〟というものが分からなくなってきているのかもしれない。
童貞であり処女でもある恋愛弱者の俺は、当たり前だと思うが、恋愛的な意味での好きという感情は1人のみに対して向けられるべきだと考えている。だから今俺が友達に抱いている感情は、きっと恋愛的なそれではないだろう。
俺が仲良くしている誰かと付き合ったとして、その人といちゃいちゃする未来は全員に対して想像できる。花と付き合った場合でも、ポムと付き合った場合でも、アリスとでも誰とでも。
つまり、「この人以外に考えられない!」というのがないのだ。
なら、それは1人だけに対して抱いている感情ではないから〝好き〟ではない。全員に対して向けられた感情なら、それは〝好き〟ではないのだ。
そんな考えを持っているからこそ、俺の中での好きという感情はややこしくなっている。
まだ特別な感情を抱くような人に出会っていないというだけかもしれないが、今の友達は間違いなく前世の俺なら本気で恋していたような人たちなのだ。
そして前世の価値観からそれほど変わっていない今の俺は、もれなく全員〝好き〟であると同時に〝好き〟ではない。
そんな矛盾が、最近、誰かと付き合うということを考える時は俺の頭を悩ませてくる。
もちろん可愛い子とは付き合いたい。だけど、中途半端な考えで付き合おうものならその人を傷つけてしまうし、同時に俺もダメージを負うに違いない。誰も幸せにならない。
だから慎重にならなければいけない。
モテたい!と思って行動している以上、そこから生まれる責任はしっかり負わなければならないのだ。相手の為にも、自分の為にも。
「はぁ…」
「どしたの?」
「何でもないよ」
これは、この葛藤は神が俺に与えた代価だ。
男の精神のまま女に生まれ変わる。男の時に「女だったら…」と想像していた全てのことが体験できる。こんなに最高なこと、タダで楽しめるはずがなかったのだ。
最初は全てがハッピーだった。なにしろ、俺の中身は思春期真っ只中の男子高校生だ。
容姿端麗なこの体を文字通りに好き放題できるともなれば、嬉しくないはずがなかった。
だけど、最近気づき始めている。
実は、俺は結構複雑で苦しい状態にあるのではないかと。
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