第78話 水泳部のある日の風景—下
クロール特訓。それは文字通りひたすらクロールをやり続けて少しでも上達しようというもの。とは言え無闇に泳ぎ続けるわけではなく、1年生2人につき1人の2年生の先輩がついてアドバイスしてくれる。おかげで俺も少しずつ上達してはいるが、まだまだ俺のクロールは上手とは言えない。
「————プハッ!し、死ぬぅっ!!」
俺は息を切らしながらプールサイドによじ登り、フラフラ壁まで移動して寄り掛かる。
ちょうどその時ペアの先輩がペットボトルの水を差し出してくれた。
「おつかれ藤宮さん」
「あ、ありがとうございます…」
俺は脇腹に痛みを感じつつ水を受け取った。
そのままそれを飲んでいると、今の俺の泳ぎを見てくれていた先輩も俺の横に座ってアドバイスしてくれる。
「もう少し息継ぎのペースを安定させたほうがいいね。後半になるにつれてどんどん間隔が早くなってるから、できる限り一定のペースで息継ぎすることを意識しよう。焦っちゃうと水飲んじゃうからね」
「分かりました。ありがとうございます」
そうアドバイスしてくれる先輩、
それに、筋肉質になりがちな水泳部にしては柔らかそうな肉質をしていて、ピッチリした水着が食い込んだ太ももなんかを見ていると心が癒される。目も癒される。
「あとはそうだなぁ、バタ足がバタバタし過ぎてるから、もっと爪先までピンと伸ばして一回一回しっかり水を掻くイメージを持つと良いかも」
「はい、次やってみます!」
俺は鈴音先輩のアドバイスを聞きながらゴクゴク水を飲んでいく。プールの水とは違ってこっちは美味しい。
ちなみに、俺たちが特訓している所の横のレーンでは今度の大会に出る人たちがガチ特訓している。部長は勿論、祇園先輩もそっちの大会組だ。
そして鈴音先輩のように1年生と一緒に練習しているのは大会に出ない先輩たちである。だけど、この人たちが下手というわけではない。
確かに大会基準で言えば実力は及ばないのかもしれないが、俺みたいな初心者からしたら十分上手に思える実力を持っている。それにアドバイスも参考になるし、普通に俺は尊敬している。
そんな鈴音先輩は、俺のペアであるレイカを見つめて微笑んだ。
「にしても、あの子は凄いね。1年生なのにフォームも綺麗だ」
「習い事でやってたらしいですよ、水泳」
「あー、そうなんだ!なるほどね。初心者の動きじゃないもんね」
「やっぱ見て分かるもんなんですか?」
「うん、結構分かるよ。その点で言えば藤宮さんは可愛らしいよ?去年のあたしを見てるみたいで」
「あはは、可愛いですか私?」
「うん。一生懸命やってるところとか特に」
「そうでしたか」
こう言われると何か嬉しいような恥ずかしいような、複雑な気持ちになるな。
まさか煽られてるってことはないだろう。
…いや、おっとりした顔の裏では俺を見て笑ってるのか!? いやいやいや、まさかな。
そんなことを思っていた俺の視線の先では、レイカが1セット泳ぎ終えて俺とは反対側のプールサイドに上がっていった。先輩は立ち上がってレイカの方にアドバイスしに行く。
そうして1人取り残された俺は、立ち上がってその場でストレッチをすることにした。
泳ぐのは全身を使うから、適度にストレッチしておくことが大切だ。
「んーっと、んーっと」
股関節やら太ももの裏やらを伸ばしていく。
そうしていると、大会組の方から3人の先輩が俺の方に近づいてきた。
「お疲れ〜。順調?」
「ぼちぼちですね。先輩たちもお疲れ様です」
筆頭は祇園先輩。そしてその後ろに2人の2年生の先輩がいた。祇園先輩と仲の良い2人だ。
祇園先輩がよく俺に話しかけてくれるので、順接的にその2人とも俺はそこそこ話す。祇園先輩ほどではないが、俺とその2人の3人だけになってもギリギリ気まずくないような、そのくらいの関係値だ。
「シュンちゃん、クロールって得意なんだっけ?」
「そうですね、私が泳げるやつの中では1番できます。ま、全然下手ですけど」
「最初は誰だってそんなもんだよー。あんただって1年の時はボロッボロだったもんね?」
そう言って祇園先輩が隣の先輩を小突くと、小突かれた側は笑いながら答えた。
「確かにそうだね。息継ぎするたびに体が下の方に沈んじゃうんだよねー」
「あ、分かります分かります!よかったー、先輩も経験してたんだー」
俺は心の底から共感し、先輩と謎のグータッチをする。
すると…
「バタバタし過ぎないことがコツだよ」
と、もう1人の先輩がアドバイスしてくれる。
「なるほど!ありがとうございます」
そう俺がお礼すると、3人は「じゃ」と言って再び大会組の方に戻ってしまった。そしてすぐに水に入って泳ぎ始める。
すごいな、あっちは。高い回転率でどんどんみんな泳いでる。俺もいつかあっちに行けると良いな。
そう思いながら向こうを眺めていると、その視界の端で鈴音先輩が俺の方を少し離れた所から見つめていることに気がついた。
どうしたんだろ?と疑問に思いながら先輩の方を見ると、先輩は大会組の方に顔をやりながら俺に近づいてきた。
「藤宮さん、祇園さんたちと仲良かったんだ?」
「はい。まあ、話すようになったのは最近ですけどね」
「そうだったんだ。…あ、そろそろ藤宮さんの番じゃない?」
「ですね。じゃ、やってきます」
一瞬寂しそうな表情を見せた後、はっとしたようにそう言った鈴音先輩。
読み取りにくい表情の変化だったが、俺が祇園先輩と仲良くしていることに何か思うところがあったのだろうか?
ま、人の心はよく分からない。考えても仕方ないか。
そう割り切りながら俺はスタート位置に歩いて向かう。
にしても、言われてみれば俺と関わりがある先輩とか同学年の人とかって増えたよなぁ。
学校生活を送っているうちに自然に増えて行った気がするが、前世じゃこんなことはなかった。やっぱ見た目か?見た目なのか?
俺はハーフだったし目立つ見た目してたと思うんだけどなぁ。
「はぁ。男の時にもこんくらい女友達がいたらなぁ…」
誰にも聞こえないような小さな声でそう呟きつつ、俺は水の中に飛び込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます