第33話 休日の過ごし方 —アリスの場合—

「お嬢様、起きてください」

「——んん」


体育祭を1週間後に控えた土曜日。

アリスは扉をノックする音と老いた男性の声に起こされる。


「…時間ですか?」


目を擦りながら柔らかな声で尋ねるアリスに、扉の向こうから返答がある。


「はい、お嬢様。1時間もすれば彼が到着なさるでしょう」

「…え! もうそんな時間なの!?」 


事態の深刻さに気づいたアリスは一気に眠気も吹き飛び、跳ねるように天蓋のついたベッドから降りて部屋のカーテンを開けた。

差し込む日光に目を細めつつ、天高く昇る太陽を望んで身体を震わせた。


「大変…。ああ、寝癖も酷いわ。リチャード、正確な時間を教えてください!」

「9時50分でございます」

「あと1時間10分…。分かりました、ありがとうございます」


アリスがしっかり目を覚ましたことを確認した男性—リチャードはアリスの部屋の前から去った。

彼はアリスの両親がアメリカに住んでいた頃に雇われた執事であり、日本こちらに来てからも仕え続けている。

アリスは生まれた頃からずっとリチャードと生活していて、執事と主人という上下関係があるもののアリスはリチャードのことを家族のように思っていた。


アリスは時間の猶予がないことを知り、部屋の化粧台に座って寝癖を直す。


今日は遠方から親戚が来る日なのだ。

見苦しい姿を見せるわけにもいかず、アリスは約1時間で身支度を済ませなければならなかった。


「…うん、いい感じ」


アリスはなんとか化粧まで済まし、寝巻きから着替えて客間へと向かった。


赤い絨毯が敷かれ、天井からは大きなシャンデリアが吊るされた横長に広い部屋。

長い木製の机にはいくつもの椅子が並ぶが、それらには誰も座っていない。

アリスはその椅子の1つに腰掛けると、静かに来客を待った。


「…はぁ」


広い部屋にアリスのため息が静かに響く。


正直に言って、アリスはこれから来る親戚のことが好きではなかった。

嫌いとまではいかないが、どうにも波長が合わないのだ。

そうは言っても、わざわざ遠方から訪ねてくる以上それなりの対応をしなければならない。

だからアリスは時間の許す限り身支度に力を注いだわけだが、その心の中にはどこか憂鬱な気持ちが渦巻いていた。


そうして1人待つこと数分。

リチャードが部屋の扉を叩き、来客の知らせを告げる。


「お嬢様、龍也りゅうや様がいらっしゃいました」

「通して」

「かしこまりました。では、どうぞお入り下さい」


リチャードが扉を開けると、そこから1人の青年が姿を現した。

彼は白いドレス姿のアリスを一目見ると、朗らかに笑った。


「やあやあ、久しぶりだねアリス。元気そうで何よりだよ」

「お久しぶりです、龍也さん」

「〝さん〟だなんて距離を感じる言い方はやめてくれよ。僕たち親戚だろう?」

「そうですね。今後は気をつけるようにします、龍也さん」

「あはは、相変わらずつれないねぇ」


龍也はアリスと話しながら対面の椅子に座った。

アリスは龍也を見て眉を顰める。


神宮寺龍也じんぐうじりゅうや

亡き母の姉の息子であり、アリスの従兄弟に当たる17歳の青年だ。

縦落ちパーマの入った茶髪が甘い顔立ちとよく似合う彼は、いつも女の匂いを漂わせている。


睨むように見られて気まずくなったのか、龍也の方から口を開いた。


「それにしても、アリスももう高校生か。この前会った時はちんちくりんの中学生だったのに、早いもんだねぇ」

「そちらこそ高校3年生ではないですか。受験生の自覚はあるので?」

「ああ、僕は家業を継ぐから受験はしないよ。高校生活は3年間たっぷり遊び尽くすのさ」

「そうでしたか。それではさぞ楽しい学校生活を送られているのでしょうね」

「そうともそうとも。この前なんてクラスの女子と3ピ——」

「コホン」

「—おっと失礼。てっきりアリスはこーゆー話が好きかと思っていたけど、違ったかな?」

「変な勘違いをしないで下さい。ワタクシは純愛派なんです。そんな、複数人でそういうことをするのは…不純です」

「あはは、そーゆー問題…?」

「ええ」


アリスはリチャードが運んできたハーブティーを一口飲んでから続ける。


「…それで、今日は一体何用でいらっしゃったのですか?」

「ああ、もうその話を聞くのかい?」

「はい」

「そっか。じゃあ、早速話そうか」


龍也もハーブティーを飲み、一呼吸置いてから話し始めた。


「実はね、僕をこの家に住まわせてほしいんだ」

「……え?」


その内容に、アリスは自分の耳を疑った。

丸くした目を龍也に向け、もう一度言えと促す。


「だから、この家に僕も住みたいんだよ。今自宅を建て直しててさ、完成するまでの間でいいからここに住まわせて欲しいんだ」

「嫌です」

「えー、なんでだよぉ」

「いやいや、いきなりそんなことを言われても困りますよ。それに、ご両親はどうしたんですか?」

「親は社宅に住むってさ。『せっかくだし、アンタはアリスちゃんの所で仲良くなってきなさい』って言われたんだよ」


こちらの都合など考えないのか、とアリスは心の中で不平を垂れる。

向こうの親は扱いが中々めんどくさく、一度向こうが決めたことを変えるのは難しいことをアリスは知っていた。


だからアリスは諦める。


「……はぁ。どれくらいの期間ですか?」

「お、いいのかい!? 四ヶ月くらいだよ」

「長っ!? ………失礼。分かりました、好きにしてください。そもそも、初めからワタクシが断れないことを承知の上で来たのでしょう?」

「いやいや、そんなことはないよ。断られたらどうしようかなー、とは思ったけど」


ハーブティーを啜る龍也をアリスは恨めしそうに睨む。


「荷物はどうするんですか?」

「全部持ってきてるよ」

「……そうですか。では、後でリチャードとどの部屋で暮らすか相談してください」

「アリスと同じ部屋じゃダメかい?」

「腕の関節を増やしたいようですね」

「あっ、その拳を下ろして!! 冗談じゃないか!」

「ふふふ、そのような冗談はやめた方がいいですよ」

「あはは、そうだね…」


アリスは冷めたハーブティーを飲みながらこの後の生活のことを考え、憂鬱な気分に満たされた。





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