幻想少女

 ◆


 門をくぐると街に着た。ワープだ。いささか驚く。

 やってきたのは浮遊都市の立体都市。上層下層に分かれている。みんな泳ぐように飛んでいる。不思議な感覚。川が流れて、端に水が垂れる。まるで古代人が想像したような世界観。青色を帯びた景色。統一された街並み。丘の上にゴシックの城、大聖堂も見える。自分が思い描いた空想の都市。既視感がある。いつか見た夢に似ていた。

 実際にそこにいるのだから当たり前だけど、没入感がある。まるで別世界だ。思わず見入ってしまう。まるでお上りさんだ。

 せっかくだからスケッチでもしようかとキャンパスを片手にうろついていると、急に声が掛かった。

「あの、あなたはまさか、神様?」

 甘ったるい声に、容量を得ない発言。怪訝げに眉を寄せながら振り向くと、超絶美少女が立っていた。分離袖にミニスカート、むっちりとした太ももをニーハイソックで覆う、白い肌がまぶしい。胸元は丸みを帯びていて、ついつい惹きつけられる。

 雰囲気はヨーロッパ風なのに顔立ちは日本人で、親しみやすい。かといって違和感があるわけではなく、フリフリとしたかわいらしい衣装は彼女によく馴染み、似合っていた。

 ソラは目をパチクリとさせ、まじまじと相手を見る。いままで会ったことがないタイプの少女を前に、言葉が出ない。まさか彼女のような人物が現実に存在するとは。幻を見ているような気分になって、放心としてしまう。

「ねえあなたソラ様でしょう? そうだと言って」

「確かに俺の名前はソラだけど」

「やっぱりー! そうだと思ったぁ! だって神様の偶像とそっくりだもの。よかった、敬虔に信じる者は救われるのね。もう神様、いるならいるってしっかり言ってよ」

 少女は顔をほくほくと緩めながら、にんまりと笑っている。

 状況についていけない。この異界には神がいて、それは山村ソラと同じ顔をしている、でいいのだろうか。

「さあソラ様、ここで出逢ったからにはきちんと思い出を作りましょう。今からきちんと見せてあげる。これがあたしたちが暮らす街。人間たち生み出した営みだった」

 ぐいぐい腕を引っ張って、歩き出す。ピンクのパンプスが石畳を蹴って、軽快な音を鳴らした。

「ちょっと待て。まだ君の名前を聞いてない」

 焦って呼びかけると少女は停止した。ふわり、やわらかな髪が揺れて空気を含む。

 彼女はおもむろに振り返ると、花が咲くように笑いかけた。

「あたし、香澄よ」

 明るい声が透き通って聴こえた。


 手始めに美術館へ足を踏み入れる。絵画が展示されるギャラリーには、確かに宗教画が並んでいた。荘厳な絵画に交じるように、ソラの平凡な顔立ちが浮かんでいる。ドッキリかなにかかと思うほど奇妙な光景。あからさまにシュールだった。くわえて彫像とやらも造形されているようで、視界に入れるだけで頭が痛くなった。

 美術館を出て表通りを進む。先ほどから周囲の視線がまとわりついていた。あきらかに見られている。そわそわとした感覚がつきまとう。しかし、香澄は全く気にせず、堂々と胸を張って歩いていた。おかげでバストが強調されて目のやり場に困る。

「ねえ、あれ買いましょう。夢の味がするんですって」

 喜々として彼女が指さした先は虹色の屋根をした売店だった。

「夢の味?」

「そう、想像した通りの味が舌で溶けるの。ねえ、あれ食べたい。いいでしょ、奢ってあげるから」

 圧に押されてうなずく。

 二人は売店に並んで、綿菓子を購入した。ソラは平然と奢られ、ふわふわとした砂糖菓子と向き合う。

 綿菓子といえば甘く、溶けるような口溶け。常識的に考えればそうだが、ここは常識が通じない場所だ。少し変化球で想像してみる。

 夏らしい、爽やかな味。ソーダ色で、まるで海に浸かるような清涼感。目を閉じて食べてみると、しゅわゆわとした味が舌の上に溶けた。はっとなって目を開ける。本当に味が変わった。

「うーん、甘い。やっぱり綿菓子はこうでなくっちゃ!」

 内心、興奮していると、少女が頬が落ちそうな表情でうっとりとしていた。結局、ノーマルにしたのか。なんともいえない気持ちになった。


 ふと、城を見上げる。丘の下には立派な街並みが広がっていて、建物の陰には騎士は常駐していた。通りのほうには革の装備を身に着け、シンプルな剣を挿した男たちの姿が見える。冒険者のようだ。

 彼らはソラの顔を見るなり目を輝かせ、続々と彼の元へ集まる。まるで蜜に吸い寄せられた蝶のようだった。

「神様、神様だ。この地に降臨なすったぞ」

「どうだい? ここが俺たちの都だ。あんたが創った世界はこんなにも彩り豊かなんだぜ」

 興奮しながら話し掛けてくる。

「世界を創ってくれてありがとう。あんたが始まりにいてくれてありがとう」

「ああ、なんて壮大な世界なんだ。不気味な魔の領域、星の砂が降り積もった砂漠、宝石が打ち上げられる海岸、黄金郷が眠る秘境」

「みんなロマンを求めて旅立つんだぜ。その果てを誰も知らないから、誰もが追い求めるんだ」

 情熱的に早口で告げるも、ソラはついていけない。香澄は横でうんうんと得意げに腕を組んでいるだけなので、ツッコミ役が不在だ。

「どうか俺たちを見守っていてくれ。代わりに俺はいっぱいの冒険を届けるよ」

「ああ、いずれはこの世界を解き明かそう。それこそが神から課せられた宿題なんだな」

 言いつつ、懐から菓子やら鉱石やらと取り出して、押し付けてくる。ソラはおずおずと受け取り、小さくなった。

「じゃあな、この国の繁栄が約束されんことを」

「偉大なる神の名の元に、今日も俺たちは生を謳歌するのさ」

「だから見ていてくれ。我が旅立ちを」

 口々に言い捨て、続々と去っていく。

 大量の荷物を抱えさせられた青年は、ぽかんとした顔で立ち尽くした。

 さあ、冒険者たちは出払い、通りには二人だけが残される。

「どうしよう、これ」

「まずは一つずつ消費しましょうねー」

 ポーションを試してみると、体が一気に軽くなり、浮力を得た

「お、おお!」

 目を丸くしながら、驚く。テンションが上げると一気に上昇。香澄と手を繋いで飛び上がる。鳥になった気持ちで街を巡回すると、浮遊島を一望できた。

 端のほうが滝となっていて、無限に落ちていく。果てはどうなっているのだろうか。そら恐ろしいような神秘的なような気持ちを抱いた。


 浮遊感をアトラクションのように堪能してから、広場に戻ってくる。カスミソウがふんわりと咲く花壇のそばに足をつけ、噴水を囲うベンチに腰掛けた。

「しかし、なんでもありだなこれ」

 あきれたような感心したような、気持ちであふれてくる。もう帰らなくてもいいんじゃないか。軽いノリで口走りかけたとき、香澄が神妙な面持ちで切り出す。

「あたしたちにはきっと帰るべき場所がある。でも、それはきっとこことは別の空間。言うなればみんなの夢のようなところ」

 淡々と、神への祈りを捧げるように、彼女は言葉をつむいだ。

「いつかゼロに帰るとしても、あたしはちゃんと生きた証を残したい。ねえ、君は望みを叶えてくれる?」

 困りげな顔をこちらへ向ける。首を傾けるとカールのかかった横髪が、ふわりと揺れた。彼女の美しさに見入りながら、ソラはなにも考えずにうなずく。

「ああ、もちろんだ」

「じゃああたしの絵を描いて。そこにあたしがいるって、証明してみせて」

 晴れやかな笑顔で誘う。

 ソラは黙り込んだ。ちょうど頭上に雲が垂れ込み、あたりが薄暗くなりだす。

「貶したり、しないよな」

「あなたから見たあたしだもの。どんな形で出力されても、嬉しいわ。それに、貶すなんて、そんなにブサイクに描くつもりなの?」

「そんなことはない。君はきれいだよ」

 首を横に振る。

「じゃあ、描けるわよね」

 やわらかな表情。

 これは命令ではない。逃げてもいい。だけど、彼女の望みは叶えるべきだ。自分と向き合い、彼女と向き合う。

 そして青年は懐から筆を取り出し、キャンパスに色を載せ始めた。夢中で筆を走らせる。細く線を引いたものを塗りつぶす。淡く色を重ね、にじませる。グラデーションをかけ、陰影と光を書き込む。

 いつの間にか夢中になっていた。絵の中の少女と向き合う度に心が踊り、気持ちが上がる。自分の中に眠っていた熱が呼び起こされるよう。一気に覚醒し、時を忘れた。

 そして、ついに完成する。青い空を背景に、ふんわりとしたドレスをまとった少女が、お姫様のように構えている。生地の質感まで繊細に書き込まれた彼女は、まるでもう一人の香澄。覗き込めば、飛び出してきそうだった。

「あら、鏡の中のあたしってこんなにもきれいだったんだ」

 ワクワクとキャンパスを受け取る。たちまち彼女は光に包まれた。魔法の光が少女を覆い、優雅なシルエットを作り出す。きらびやかで清楚な装い。まるで本物の王女みたいだ。その完成度に息を呑む。少女もまた宝石を散りばめた装飾を身にまといながら、感嘆の意を表した。

「やった。またなにか夢が叶っちゃったみたい」

 やがて頬をほころばせ、目を細めた少女を見て、ソラの中でもなにかが救われたような気がした。


 日が沈み、夜になった。満天の星空の下、大通りから派生した小道を通る。

「あたしたちだけの秘密の場所よ」

 いわく空間がねじれているらしい。

 繊細な装飾が施されたランタンであたりを照らすと、うっすらと道が伸びる。干潮時に開く海の道のように透明な地面を、二人で歩いていく。

 真っ青な空間を切り裂いた先には、ルピナスの幻想的な花畑があった。全体が輝くイルミネーションのような光景。

 こんな場所が隠されていたなんて。あまりにも現実離れしすぎていて、圧倒される。完全に世界観に呑まれていると、香澄は落ち着いた態度でぽつりとこぼす。

「幻想的。この世のものじゃないみたい、そう思うでしょ? 実はあたしもそうなんだ」

 憂いを秘めた顔で、視線を下げる。ソラは彼女の横顔をそっと覗き込んだ。

「まるで朝露みたいに夜が明けると消えちゃう。幻の中の空間なの。それはあたしたち自身も同じ」

 顔を上げる。ふわりとした横髪が頬にかかった。

「あたしたちはね、みんな幻だって自覚してるのよ。ここでしか生きられない人たち。この世界だってただ一人の人間が自分の精神をかけて作り上げた作品なの。仮にこの空間が壊れたら、住民の魂はどこへ消えていくんだろう」

 夏の終わりに消えた蛍を追いかけるように、少女は語った。

 儚げに映る香澄を見て、彼女は消えるのだと理解する。やはり、別れのときはいずれ来るのだ。同時に、ずっとそばにいたいという気持ちも湧き上がる。熱く、狂おしいほどの想い。もっと、彼女を知りたかった。もっと、楽しい時間を過ごしたかった

。おのれの心に眠る本当の気持ちに気づいたときには、いつだって遅い。

「ねえ、聞いて」

 ハッキリと、大きく口を動かす。彼女はいつになく真剣な表情で、青年と向き合う。豊かなまつ毛に縁取られた大きな目が、彼をとらえた。

「あたしはね、今とっても幸せなの。あたしはいつ消えてもおかしくない身。存在自体不確かで、誰も証明なんてしてくれない」

 切なげに語りながら、ふんわりと笑う。

「だからね、見せつけたかったの。あたしたちはここにいると、ほかならぬあなたに向かって」

 彼女の望みは叶った。最後に大切な思い出も作った。もう、思い残すことはない。

「あなたの目から見て、あたしたちはどう映る?」

「ちゃんと、ここにいるよ。だから大丈夫だ」

 安心させるように、温かな口調で告げる。

 たちまち少女はぱあっと顔を明るくした。

「そっか、神様にそう言ってもらえるなら、それ以上のものはないわ」

 本当に幸せそうに彼女は目を伏せる。

「あー、願い叶っちゃった。もうあたしがここにいる理由はないわね」

 透き通る風が吹き抜ける。彼女の輪郭が淡く光り、薄れていくのを感じた。青年はこれから起きることを理解しておきながら、なにもできない。口元を引き結び、見ていることしか。

「最後にありがとう。あたしにとっておきの絵をくれて。あたしを、この世で一人だけのお姫様ヒロインにしてくれて」

 顔を上げる。眉を垂らし、目を細める。紅に淡く色づいた口元が弧を描く。花が咲くようなとびきりの笑顔は、青年の目に確かに焼き付いた。

 そして見たことのない花びらが視界を横切る。やわらかな花吹雪が舞い、彼女の姿を隠した。瞬きをする暇もなく、少女は消える。風に攫われ薄く溶けるように。

 劇的な終わりをしかと見届けた。

 これが彼女の選んだ結末。願いを叶えて消えるこそこそが理想だというように。

 胸には曖昧なむなしさと、彼女の幸せを喜びたい気持ちと、ほんのりとした希望がにじむ。

 ソラはうつむき、まぶたを閉じる。黒くなった視界にプリンセスラインのドレスをまとった少女が映し出される。

 彼女はいない。そもそも最初から現実にはいない人物だ。

 頭をよぎったのは絵本の中で展開されたファンタジーのストーリー。香澄は主要人物ではない。強いていうなら単なる村娘に過ぎなかった。けれどもその容姿は城の中に閉じ込められたお姫様によく似ている。

 きっと彼女はそれをモチーフにしたキャラだったのだ。

 全ては幻。おのれが作り出した幻想。この世界から抜け出せば、二度と出会えない。

 それを意味するように儚くと透明感のある青い破片が、宙を舞う。花びらのように空気を流れてきたそれを、手のひらに。

 形見のように受け取りながら、心が波立つのを感じる。

 自分はいったい、なにをすればいいのか。

 急に心細くなり、不安感が足元から霧のように這い上がる。まるで自分という存在も幻に溶けてしまいそうな気配を感じた。

 本当に自分は元の世界に帰ることができるのかと、曇り顔で天を見上げる。星空はすでになくあたりは漆黒に包まれていた。

 今はただ手のひらに舞い込んだ青い破片を握り込むだけ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る