その鍵を見た途端、拓真たくまの顔色がさっと青ざめた。彼の目は、掛けてるメガネと同じぐらいまん丸になっている。


「なんでそんなモノ持ってるのさ!」


「へへ。実は見舞いの時、先輩に学校に返しておいてくれって頼まれたんだ」


 話していたら思い出した、とれんはつまんだ鍵を揺らしてみせる。

 高橋は、もう持っていたくもないからと、半ば強引に旧校舎の鍵を押し付けてきた。損な役回りだと最初は思ったが、思わぬ使い道ができたと蓮は上機嫌になった。


「だから鍵を返す前にさ。ちょっと旧校舎の美術室を拝見して、本当に向日葵ひまわりあたまがいるかどうか確かめてみようぜ」


 頬を釣り上げながら言ってみせると、拓真はわなわなと震え始める。

 拓真は、昔から超常現象など一切信じない、超のつくほどの現実主義者だ。しかし、それは心霊に対する恐怖の裏返しに過ぎない。そんなもの、長年の付き合いがある親友にはお見通しだった。


「よし! じゃあ昼休みの残りを使って計画を立てようぜ! 題して、『旧校舎肝試し! 噂の幽霊、向日葵頭は本当にいた!』」


「いる前提じゃないか! そんな怖――馬鹿馬鹿しいことに付き合ってられないよ。そもそも旧校舎に入ったのがバレたら、熊センが黙ってないよ?」


 熊センこと、山下は屈強な体育教師で、熊みたいな外見から“熊セン”と呼ばれる大男だった。風紀指導も担当しており、蓮も何度かお世話になったことがある。

 確かに山下は恐ろしい。だが、拓真が怖がっているのが彼ではないことは、誰の目にも明らかだ。


「なんだよ。お前が怖いのは、熊センじゃなくてお化けだろうが」


「ち、違う! そんなもの、怖くもなんともないやい!」


 拓真は、掴みかかるような勢いで捲し立て――けれどすぐにはっとして、取り繕うようにずれたメガネを押し上げた。


「というか、僕だって旧校舎の噂はいくつも聞いたことがある。けど、“向日葵頭”の幽霊なんて初めて聞いたよ。蓮は聞いたことあった?」


「いや、俺も初めて聞いたけど……」


「ほら。だったらどう考えたって、即席の作り話じゃないか。そんな明らかに嘘と決まってる噂を確かめに行くなんて、時間の――」


「ええ? ふたりとも、向日葵頭の幽霊のこと本当に知らないの?」


 その言葉に、蓮と拓真は、互いの顔を見合わせる。そして、大きく頷き合った。


「なんだよ、お前は何か知ってるのか?」


「うん。よく知ってるよ。昔は結構有名な話だったんだけどね……」


 そうして、少し低くなった声で語られたのは、こんな話だった。


 ――――


 旧校舎がまだ現役だった頃、1人の男子生徒が美術準備室に閉じ込められた。彼は日頃から不良たちにいじめられていて、それもその一環だったという。


 昔はそういう行いに甘かったことから、教師たちも見て見ぬふりをした。どうせそのうち開放するだろうと、帰ってしまったのだ。

 けれど、当の不良たちもまた、扉を封鎖したまま帰っていた。自分たちがいなくなれば、誰かが開放してやるだろう。その程度に考えていたのかも知れない。


 しかし、重なった不幸はそれだけではなかった。翌日、学校関係者の殆どが流行りのインフルエンザに罹り、学校は休校となってしまう。

 そうなれば当然、美術室の準備室を確認に来る者などいない。


 学校が再開されたのは、それからちょうど1週間後のこと。

 美術教師が授業の準備に来てみると、入り口は封鎖されたままだった。

 驚いて開けてみると、中には男子生徒の遺体が――


 ――――


「彼はね。絵の題材として用意されていた向日葵の花瓶の水を飲み干し、それでも足らずに向日葵を齧った状態で亡くなっていたんだ。それから、美術準備室には彼の幽霊が出るようになったんだよ。向日葵を食べたせいなのか、頭が大きな向日葵のようになっちゃった幽霊がね」


「ひっ!」


 そのおどろおどろしい声色に、拓真はびくりとベンチの上で跳ねる。蓮の背筋にも冷たいものが這っていた。


「すごいな。そんな怖い怪談があったなんて、知らなかったよ」


「校舎が使われなくなって長いからね。でも、最近にぎやかだから、向日葵頭も楽しくなって目覚めてしまったのかも……」


「やめて! 首筋に指を当てないで!」


 拓真が悲鳴を上げる。それを見て、蓮はいい気味だと笑った。さっき自分の話を馬鹿にした罰だ。


「まあ、噂はともかく、旧校舎の探検ってだけでもなかなか楽しそうだよね。あんな古い建物、この町には他にないし。蓮くんの先輩じゃないけど、思い出作りにも良さそう」


「だよな? せっかく鍵もあることだし……」


 そこまで言うと、拓真は血相を変えて顔を上げた。


「ちょっと待って! 僕は絶対行かないからね!」


「何? 怖いの?」


「ここ、怖くはない! けど、ほら、期末の勉強しなきゃいけないし!」


「ああ、なるほどなるほど。拓真くんは勉強家なんだねえ。でも、それってさ。期末が終わったら来るってことだよね?」


 はっとした顔で、拓真は表情を固まらせる。蓮はそれを見て、ニヤリとしながら頷いた。

 彼は自分で言ったのだ。怖くはない、期末試験が問題なのだと。ならば、試験が終わった後ならば、肝試しに参加するのが道理というものだ。


「でもまあ、まずは計画を決めなきゃね。鍵は既にあるから良いとして……集合場所は学校でいいよね。時間はどうする?」


「そりゃ、もちろん夜だろ!」


 肝試しなのだ。明るいうちにやっては興冷めだろう。と、思っての蓮の意見だったのだが、


「よ、夜なんて危ないよ! ただでさえ、旧校舎は傷んでるって話しなんだから!」


 拓真が叫ぶように異議を唱えてくる。

 その顔には『怖い』と書いてあるのが蓮には見えた。


「うーん、まあそれはその通りなんだけど。雰囲気重視なら確かに夜だよねえ」


「ほら、お前もそう思うだろ? なら、時間は夜で決定な」


 そこへ拓真の焦ったような声が飛ぶ。


「ま、待って! なんで決定になるのさ!」


「多数決だよ、多数決。ここは日本、民主主義の国だからな!」


 蓮が胸を張って言って見せると、彼は悔しそうに口をへの字に曲げてしまった。

 普段、言いくるめられてばかりの拓真を、こうも言い負かせられるとは。いつもこんな後方支援があればいいのに、と蓮は思った。


「まあまあ。別に肝試しは手ぶらでやらなきゃいけないわけじゃないし、道具をしっかり準備すれば良いんじゃないかな?」


 あまりに哀れだったのか、後方支援は拓真の方へ行ってしまう。とはいえ、蓮も準備は必要だと思うので許すことにした。


「そ、そうだよ。懐中電灯は必須、あと念のために予備の電池も……」


「お、じゃあ俺は菓子類担当!」


「お菓子って、遠足じゃないんだから」


 呆れたような拓真の言葉。けれど、今日の後方支援は冴えていた。


「いいや、念のためって言うなら、そういうところこそ、ちゃんとしなきゃいけないんじゃないかな?」


「ええ。そうかな……」


「でも、そういうのはお菓子じゃなくて、ちゃんとした食べ物の方が良いかもね。保存が効くやつ」


「保存? なら、乾パンとか?」


「あとチョコとかもいいらしいぜ」


 すかさず蓮も自分の意見を滑り込ませる。


「チョコはお菓子に戻ってるんじゃ……って、そうじゃなくて、そんな大げさな準備しなくても……」


「ダメダメ、準備に気を抜いちゃ。最悪――君たちも花瓶の水を飲んで、向日葵を食べることになっちゃうかもよ?」


「え?」


 不意に、二人の間を乾いた風が吹き抜ける。その冷たさに、蓮はぞくりとして腕をさすった。


「はは、面白い冗談だな……」


「あと、寝袋とかは持ってる? 夜は結構寒いから持っておいた方がいいと思うよ」


 背後からの声は、何事もなかったかのように喋り続ける。


「古いやつなら、昔キャンプで使ったものがあるかもだけど……」


 拓真は正直に答えているが、その顔はどことなく泣き出しそうに見えた。

 なんだか、さっきから話の方向がおかしい。


「おい、肝試しっていっても、流石に泊まるつもりは――」


「古い建物なんだよ? 誰も来ないし、事故でも起きて閉じ込められた時のことも考えなきゃいけないんじゃないかな……念のために、ね」


 そういう可能性は、確かにあるかもしれない。けれど、そう思う反面、心のどこかではこの状況を異様に感じ始めていた。

 しかし、その疑念を表に出すことができず、二人は会話を続けるしかなかった。

 ――二人?


 蓮の疑問を他所に、“声”は楽しげに笑う。


「さあさあ。準備はしっかり考えよう。でないと、死んじゃうかもしれないからね」

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