向日葵と肝試しを

Tes🐾

「なあ、向日葵ひまわりあたまって知ってるか?」


 篠原蓮しのはられんがベンチの背もたれに寄りかかりながら呟くと、声と一緒に白い靄が漏れた。

 10月に入ったばかりだというのに、空気は冬のように冷たかった。けれど、それも期末試験前の詰め込み授業の後には心地いいくらいだ。


「……知らない」


 隣で気のない返事をするのは、親友である堀内拓真ほりうちたくまだった。

 その丸メガネの奥の瞳は、ひどく虚ろだ。彼の両親は昔から教育熱心で、すでに受験に向けて多大なプレッシャーを掛けられているらしい。

 常時赤点ギリギリの蓮とはベクトルは異なるが……期末試験を目前に控えた二人の中学生の頭は、今日の曇天のように濁り切っていた。気分転換にと、昼休みにこうして外に出てみたものの、花壇の花々はすっかり枯れ落ち、余計にみすぼらしい気分になる有様だった。


 これでは、せっかくの昼休みを茫然自失のまま過ごすことになってしまう。

 そんな空気を一変させようと、面白い話題を探した結果――蓮の頭にふと浮かんだのが、“向日葵頭の噂”だった。


「五月病の夏バージョンかなにかなの?」


「ちげえよ。旧校舎の噂だ」


「ああ、旧校舎系ね」


 二人は体を起こして前を見る。


 広いグラウンドを挟んで、二階建ての古い木造の建物があった。数十年ほど前まで使われていた古い校舎らしいのだが、今や所々傷んで倉庫にも使えないあばら家だ。地域の文化遺産がどうのと、何かしらの権利者と揉めているらしく、未だに解体されずに残っている。

 もちろん立ち入り禁止なのだが、好奇心旺盛な中学生たちが、そんな面白そうなものを放っておくはずがない。度々肝試しの舞台に使われたり、根も葉もない噂の出処にされたりと、意外なほど学校生活と密接な関係がある場所だった。


「ほら、うちの剣道部の高橋先輩知ってるだろ? この間、入院した」


「足折ったんだっけ。受験前なのに大変だよね。でも、それがどうかしたの?」


「実はその足を折った原因が……なんと向日葵頭の怨霊らしいんだ」


 蓮は声を低めて言ってみせる。しかし、拓真は訝しげに眉をひそめるばかりだった。


「つまり、怨霊が先輩の足を折ったってこと? 蓮、いくら退屈だからって、人をダシに変な噂流すの良くないよ」


「ちげえよ。これは見舞いに行った時、先輩本人から聞いたんだ」


 握りこぶしを作って、蓮はことのあらましを話し始めた。


――――


 高橋とその仲間たちは、中学生活の最後に思い出を作ろうと、旧校舎での肝試しをすることにしたのだという。

 彼らは剣道場の鍵を借りるふりをして、こっそり旧校舎の鍵を持ち出すと、日の落ちる頃合いを待って学校に集まった。


 最初はわいわいがやがや、探検を楽しんでいたらしい。

 しかし、ふと気がつくと、高橋は仲間たちとはぐれてしまっていた。大した広さの建物ではない。ちょっと歩けば見つかるだろう。そう思った高橋は、しばらく旧校舎をさまよった。

 すると、二階に辿り着いたところで、かすかに声が聞こえてくる。出処を辿ると、声は廊下の突き当り。美術室と札のある部屋から漏れてきていた。


 入り口の前に立ち、引き戸に手をかけるとすんなりと開く。中に仲間がいるものだと思った高橋は、声を掛けながら入った。


 けれど予想に反して、そこには誰もいない。美術室の中は完全な闇に満たされ、人の気配などしなかった。しかし、部屋に入る直前まで、確かにささやき声は聞こえていたのだ。

 寒気を感じた高橋は、すぐさま部屋を出ようとしたのだが――そこで、ぎぎっ、と音がした。


 弾かれたように音のする方を見ると、部屋の向かい側にある美術準備室の扉が、ゆっくりと開くところだった。

 身体が凍ったように動かなくなり、視線が釘付けになる。


 そうして、開かれた扉の暗闇から現れたのは――花だった。


 向日葵だ。

 暗がりに、一輪の向日葵のシルエットが揺れている。

 しかし、その下にあったのは、花瓶ではなく“人の身体”だった、という。


――――


「はあ? つまり、高橋先輩は、その花人間に足を折られたってこと?」


「いや。逃げようとしたんだけど、出口が開かなかったから、窓を割って飛び降りたんだと」


 蓮は旧校舎の二階の角を指す。その場所は、窓を隠すように外からブルーシートで覆われていた。ここが高橋が飛び降りた箇所なのだ。

 けれど、この確たる証拠を拓真はすぐさま笑い飛ばした。


「それで骨折って、馬鹿馬鹿しい。どうせ古い絵か何かを見間違えて、パニックになっただけでしょ。幽霊話は、そんな恥を隠すための作り話さ」


 話を笑われ、蓮は唇を噛んだ。

 気を使って面白い話をしてやったのに、なんて態度だ。確かにこの話だけでは、少し嘘っぽく聞こえなくもないが。

 しかし、蓮はこの話が嘘ではないと信じていた。話を聞かせてくれた高橋は、病院のベッドの上で怯えきっていたのだ。剣道の試合で大将を張っていた彼が、あんなに青ざめて震える姿を初めて見た。

 話のすべてが嘘だとは、どうにも思えなかった。


「よし。そこまで言うなら、確かめてみようぜ」


「え?」


 驚いた顔をする拓真をにやりと笑って、蓮はポケットに手を突っ込んだ。


「旧校舎の“向日葵頭”は本物か、見間違いか。肝試しがてら俺たちの目で確かめるんだ」


 そうして取り出したのは、錆の目立つ古ぼけた鍵。

 旧校舎の鍵だった。

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