第12話 神狼

「何かが来るぞ!」


 クロムがそう口にした瞬間、ディアナは直感的にマルコと神狼フェンリルの幼体を抱えて後方へ飛び退いた。

 それからたったの1秒後、ディアナ達のいた場所に巨大な何かが着地した。


 それは雄大で、あまりにも美しい白銀の毛並みを持つ狼。

 体長は血目銀狼ブラッドアイシルバーウルフと変わらないが、圧倒的な存在感を放っていて、生物としての格は明らかに違う。


 クロムを絶望させ、ディアナでさえも畏怖を覚える程の存在感。

 数多くの英雄譚に登場する伝説の魔物、神狼が小さな剣の目の前に現れたのであった。

 神狼は神狼の幼体に視線を送ってからディアナを睨み、鋭い牙を覗かせる口を開いた。


「姿が見えぬと思って我が子の気配を辿って来てみれば。矮小なる人族風情が、この神狼の子をを連れ去るとは実に愚かな事よ」


 神狼は我が子をディアナが抱えているのを見て、ディアナとその仲間が犯人だと断定した。

 状況証拠としては十分だろう。

 ディアナもクロムも神狼の威圧感に怯んでしまって口を開けないでいたが、そこにマルコが待ったを掛けた。


「待って下さい。事情をお話しますから話を聞いて下さい」


 マルコはディアナと視線を合わせて、地面に下ろして貰いながら神狼に話掛けた。

 しかし、残念ながら神狼の反応は期待したものとは違った。


「盗人の言葉など聞く耳持たぬわ!我が子を奪った貴様らに魔法は使わぬ。この爪で無慈悲に、無残に、貴様らをズタズタに切り裂いてやろう!」


 威圧的な低い声で脅しを掛ける神狼。

 神狼の言葉は単なる脅しなどではなく、直ぐに事実となる未来であろう。

 もしもその場に居合わせた者がいたならば多くがそう考える状況だが、どうやらマルコは違ったらしい。


「仕方ないか…」


 マルコがそう呟いた瞬間、神狼はディアナへと襲い掛かった。


 神狼はディアナもクロムもマルコも等しく脅威とは感じていない。

 だが、3人の中では比較的力があり、我が子を抱えていて、我が子に害を及ぼせる可能性があるディアナを優先して狙いを定めた。


 飛び掛かって鋭い爪を振り、首から胸に掛けて骨ごと肉を切り裂く。

 その未来には何者も介入の余地は無い。…筈だったのだが。

 マルコが刀を抜いた瞬間、神狼の毛がゾワッと逆立った。

 神狼はあまりにもリアルに、明確に、自分の首が刎ね飛ばされる気配を感じ取ったのだ。


 まさか神狼である我が恐れているのか。


 神狼の予感通り、マルコには神狼の命を刈り取る致死線デッドリーラインが見えていた。

 神狼が距離を詰めた事で【大番狂わせジャイアントキリング】が発動し、致死線をなぞって刀を振れば確かに神狼を殺す事が出来たのだろう。

 しかしマルコはそうはせずに、致死線から僅かに下へとずらして刀を振った。


 ガギン


 マルコの刀と神狼の爪がぶつかり合い、神狼は後方へと弾き飛ばされた。


 【大番狂わせ】の発動条件には対象との距離が関係している。

 神狼はまだ効果範囲内にいるので、マルコの【大番狂わせ】は切れていない。


 マルコは刀を正面に構えて、神狼の出方を窺う。

 今日はこれで二度も剣を振っている事になり、【虚弱体質】なマルコの貧弱な肉体は既に限界が近い。


(もし、もう一度攻撃を仕掛けて来たなら、僕が命に代えてもディアナを守らなきゃ)


 そう心の中で決意を固めたマルコだったが、神狼は戦闘態勢を解いた。


「いきなり襲い掛かってすまなかったな。小さな人間よ、話を聞こう」


 神狼が話し合いに応じる姿勢を見せたのは、偏にマルコの刃が自分の命を刈り取れるものと認めたからである。

 互いの刃がぶつかり合う直前、確かに神狼は自らの死が頭を掠めた。

 結果としてそうはならなかったが、マルコと打ち合った神狼の爪は罅が入り、欠けていた。

 竜の鱗すらも切り裂く神狼の爪。それを砕く威力の斬撃が、もしも首に向けられていたとしたら。

 恐らくは神狼が感じ取った気配の通りに、首を刎ね飛ばされていただろう。


 この矮小と思っていた存在は、自分を殺せなかったのではなく殺さなかったのだ。

 その理由は子を攫った事を弁明をする為であり、神狼に話し合いに応じさせる為。

 ならばまずは話を聞いて、その後どうするかを決めれば良いだろう。

 そう神狼は考えたのだ。


「ありがとうございます。それでは僕達に分かっている事を全てお話します」


 マルコは神狼の幼体がどうして自分達と共にいたのか、その理由を神狼に説明した。

 とは言え分かっている事は少なく、血目銀狼が連れていたとしか説明出来なかったのだが。

 しかし、どうやら神狼は今の説明で納得した様である。


「クハハハハ!なるほどな!我の子を連れ去ったのは、そこに転がっている馬鹿者の仕業か。確かにその馬鹿者が犯人であれば、人族が連れ去るよりもよっぽど説得力がある。恐らくは何かの理由で子を亡くした馬鹿者が、我の子を見付けて自分の子だとでも思い込んだのだろう。油断して巣から離れていた我にも責任はある。まぁ、我の子が無事で、馬鹿者は既に無残に殺されているのであれば、これ以上怒っても仕方がないであろう」


「話の分かる神狼さんで良かったです。さっきはどうにかなりましたけど、次の攻撃を捌ける自信は無かったので」


「クハハ!手加減をしておいてよく言うわ!貴様、本当に人族か?我が死ぬかと思ったのは数百年ぶりだぞ」


「はい。僕は人族の中でも弱い方で…」


「そんな訳があるか馬鹿者!」


 神狼と和解したのは良いとして、伝説的な魔物と普通に話をしているマルコの大物ぶりに、クロムは大きく首を傾げたのであった。

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