第3話 覚醒の時

 マルコが住むリオナ村では年に一度、秋の季節に1年の豊穣に感謝を捧げる収穫祭が開かれる。

 リオナ村は土地が豊かで街の近くにあり、商人の出入りも多い裕福な村だが、この日は大きな焚き火を囲んで村人皆で豪勢な食事を摂り、夜通し酒を酌み交わす、年に1度の馬鹿騒ぎが許された日である。

 村人は誰もが朝からソワソワしていて、家事も畑仕事も手に付かない。

 それだけ年に1度の収穫祭を楽しみにしているのだ。


 そんな収穫祭の日でも、マルコは朝からヘントの家を訪ねていた。


「ヘントさんは今年も収穫祭に参加しないの?」


「俺は畑をやってないからな。収穫祭は俺みたいに金勘定をやってる奴じゃなくて、1年間真面目にせっせと働いた奴らを労う祭りなんだよ」


「そんな事、気にしなくても良いのに」


「お前だってちょっと顔出したら、さっさと帰っるんだろう」


「僕はほら、村に何の貢献もしてないから。それにあんまり騒ぐと疲れちゃうから」


「子供がそんな事を気にしなくて良いんだぞ」


「お互い様って事かな?あはは」


「そうだな。わはは」


 マルコもヘントも収穫祭にはあまり乗り気ではない。

 今、二人が言葉にした通りの理由だが、マルコは家に戻ってからも鎧戸を開けて眠くなるまで祭りの様子を眺めている。

 前世では入院患者向けに開催されていた病院の祭りにも参加出来なかったマルコは、皆で集まって馬鹿騒ぎする祭りの雰囲気が好きだった。

 ただ、何の役にも立たない自分がその円の中にいるのは気が引けて、疲れたと言ってすぐに家へと戻るのだ。


 夜になり、広場の中心で火が焚かれて、間もなく収穫祭が始まる。

 村人は皆うずうずしながら酒や果実ジュースの入った木のジョッキを手にしている。

 準備が整うと、1人が村長のリオナを呼びに行って、リオナにもジョッキを持たせた。


「それじゃあ、皆飲み物は持ったね?1年の豊穣を与えてくれた神に感謝を。厳しい冬を皆が苦労なく越せるよう神に祈りを。村の益々の繫栄を願って。乾杯!」


「「「「「乾ぱーーーい!」」」」」


 村長であるリオナ婆の乾杯の音頭に続いて、村人全員で飲み物の入ったジョッキを掲げた。

 大人達は皆、商人から仕入れたエールやワインをぐいっと一気に飲み干し、子供達はくぴくぴと果実ジュースを飲んだ。

 マルコはジョッキを持ち上げる力が無いので、両親に手伝われながら乾杯をする。

 その後は普段から使っている小さなコップに移してくれたジュースを飲んだ。


 誰もが笑顔を見せていて、大口を開けてガハハと笑い合う。

 大人達は肩を組んで、よくわからない踊りを踊り始め、子供達はそれに合わせて歌を歌う。

 年に1度の馬鹿騒ぎをする幸せな祭り。


 しかし、そんな幸せな祭りは長くは続かなかった。

 マルコがそろそろ家に戻ろうかという時に、それは起こった。


「魔物だ!魔物が来たぞ!」


 慌てた様子でそう告げたのは、交代で見張りを行っていた自警団の一人だった。

 幸せな祭りの雰囲気から一転して、緊迫感のあるざわつきが起こる。


「落ち着きな!まずは状況の確認だ。ヘントを呼んできな。」


 リオナは慌てた様子もなく、自警団にヘントを呼びに行かせた。

 リオナの言葉で落ち着きを取り戻した大人達は、子供達を抱き上げたりして落ち着かせる。

 すぐに家から出てきたヘントを連れて、リオナとヘントと村の自警団5人全員が魔物を確認しに行った。

 そして、戻って来た時、リオナの顔は沈んでいた。


「蛮豚亜人だよ。全員今すぐに酒と料理を置いて家に籠るんだ。誰が死んでも恨みっこ無しだよ」


 その重々しい空気に、事の重大さを理解した村人達は皿とジョッキを放棄して急いで家へと戻り、固く扉を閉めた。

 子供達は飲みかけのジュースを置いて行くのを嫌がったが、親がどうにか説得してその場に放置した。

 マルコも父親に抱えられて家へと戻る。


 村人達の中に蛮豚亜人‐バーバリアンオーク‐という魔物についての知識を持っている者は少ない。

 しかし、マルコはヘントから話に聞いて知っている。


(蛮豚亜人。普通のオークよりも二回りも大きくて筋骨隆々な上位種。凶悪な豚面と鋭い牙。物凄く力が強くて凶暴。名前の由来は見付けた獲物が何であれ、蛮族の様に命を奪うから。冒険者ギルドが発表している討伐推奨ランクはBランク)


 ヘントが教えてくれた情報を頭の中に思い浮かべて、マルコは鎧戸の隙間から外の様子を窺う。

 両親は二人で別の鎧戸から様子を窺っていて、マルコの行動には気付いていない。

 普段であったならばマルコの存在を忘れる事なんて有り得ない二人だったが、それだけ正常な精神状態ではないという事だ。


 収穫祭は村の中心にある広場で行われていて、リオナ村は広場を囲む様に村人の家が建っている。

 大きな焚き火は村を薄暗く照らし、どこの家も僅かに鎧戸が開いているのを確認出来る。

 全ての家で村人が息を潜めて、事の成り行きを見守っているのだろう。


 家の周囲には畑がある。

 既に多くの穀物と野菜の収穫を済ませているが、まだ幾らかは残っている。それを食べて満足してくれないか。

 そんな淡い期待を多くの村人達は抱いていたが、残念ながら地面を強く踏む蛮豚亜人の足音が村から離れていく事は無かった。


 ズシンズシンと重そうな巨体を揺らして現れた蛮豚亜人は、焚き火の傍まで来ると、祭り用に用意されていた肉の塊をバクバクと喰らい始めた。

 串に刺して焼いていた肉も串ごと大きな口の中に放り込んで、樽いっぱいの酒も飲み干す。

 祭りの為に用意した肉と酒はあっという間に無くなり、蛮豚亜人は醜悪な笑みを浮かべると360度周囲を見回す。

 まるでどの家から始めようかと吟味している様な動きだ。


「ひっ…」


 運悪くと目が合ってしまったのか、怯えた声を上げたのはマルコの母だった。

 父は慌てて母の口を塞いだが、母の決して大きくは無い悲鳴は蛮豚亜人の耳に届いていた。

 まずはあの家にするか。そう決めた様に一層歪んだ笑みを浮かべると、蛮豚亜人はマルコの家へと歩を進める。


 ドーン ドーン ドーン


 それはまるで他の村人に見せ付ける様に。村人の恐怖を煽る様に。一発本気で殴れば破れるであろう家の扉を蛮豚亜人は殴りつける。

 明らかに人に恐怖を与えて楽しんでいる。

 その恐ろしい魔物に母は悲鳴を上げそうになるが、父は必死で母の口を塞ぐ。

 時すでに遅しだとしても、奇跡的に気付かれずにやり過ごせないかと必死で恐怖に抗う。


 しかし、そんな努力も虚しく、蛮豚亜人の拳は頑丈とは言えない木の扉を殴りつけ。


 バキャッ


 遂には扉に穴が開いた。


 マルコは考えていた。

 ここで自分が食べられたなら、優しい両親は助かるのではないか。

 こんな小さな、何の役にも立たない自分の体でも、骨や内臓も合わせれば少しは蛮豚亜人の腹が満たされるのではないか。

 自分が食べられている間に、少しでも両親が逃げる隙が生まれるんじゃないか。


 マルコは既に前世で一度人生を終えている。

 きっと前世の両親と神様が与えてくれた、奇跡みたいな二度目の人生。

 それを少しでも、優しい今世の両親の為に使おう。

 そう考えて一歩踏み出そうとした時に、何処かでバタンと扉を開ける音が響いた。


「こっちだクソ豚!お前の獲物はこっちにいるぞ!」


 そう言って声を張り上げたのは、村一番の賢人ヘントだった。

 ヘントはズボンをずり下げて尻を見せ、尻を叩いたりして蛮豚亜人を煽る。

 恐怖に怯える顔を浮かべているのに、必死で、どうにかして蛮豚亜人の気を引けないかと煽ってみせる。


 鎧戸から様子を見ていた村人は、頭の良いヘントなら何か策があるのかと期待をした。

 しかし、マルコはそんな策が無い事を瞬時に理解した。

 悲し気に才能が無かったと語ったヘントに、蛮豚亜人を倒す手段が無いのは明白だった。

 それでもヘントは蛮豚亜人を挑発し、蛮豚亜人はヘントの狙い通りに苛ついた表情で一歩一歩とヘントの元へ歩き出した。


(ヘントさんは僕達家族を…もしかしたら僕を助ける為に、蛮豚亜人に無謀な戦いを挑むんだ。誰かの記憶に残る名も無き英雄。ヘントさんはそんなささやかな、けれど、僕達家族にとっては大きな、偉大な英雄になろうとしているんだ。何て格好良い英雄なんだろう。そんなヘントさんの姿を見て、僕は。僕には何が出来る…)


 マルコはヘントを見て、それから蛮豚亜人を見て、心に強く湧き上がる熱い物を感じた。


(僕だって、何かをするんだ!)


 小さくてひ弱な自分に何が出来るのかはわからない。

 けれども、あの格好悪くて格好良い英雄の様に、何かをする。してみせる。

 強い決意を持ってマルコは家から飛び出した。

 そして、いつも両親が使っている鍬を引き摺って蛮豚亜人の後を追った。


 蛮豚亜人はマルコの存在に気付いてはいた。

 しかし、スライム以下にしか思えない矮小な存在は何ら脅威にはならないと考えて無視した。

 いつでも殺せる。一瞬で殺せる。指一本でも殺せる。

 そんな自然界でも特別弱いマルコには、少しばかりの意識しか向ける事は無かった。


 蛮豚亜人がその間合いにヘントを入れて、下卑た表情を浮かべながらヘントを睨みつける頃。

 息を切らせ、肩で息をしているマルコは、ふらふらになりながら蛮豚亜人の背中に追い付いた。

 鍬を引き摺って来た腕も、まともに走ることすら出来ない足も、体中が悲鳴を上げている。

 ヘントはマルコに気付いて声を上げた。


「坊主!どうして来たんだ馬鹿野郎が!」


 蛮豚亜人を挟んでマルコを𠮟ったヘントの体は、大きく震えていた。

 あまりにも強大で、現実的な死を運んでくる存在。

 そんな存在の注意を、どれだけ大きな勇気を持って引いたのだろうか。


 マルコの3倍もある、見上げる程に大きさの体躯。 

 人では到達出来ない程に発達した筋肉。

 人に確実な死をイメージさせる圧倒的な威圧感。


 蛮豚亜人の拳が握られ、ヘントに向けて手を振り上げたその時。


「うわぁぁぁあああ!」


 マルコは前世も合わせて、生まれて初めて腹から大きく声を出して気合を入れた。


 その瞬間、奇跡は起こった。


 マルコの中で、何かのスイッチが入った感覚があった。

 あまりにも明確に、自分の何かが変わった感覚があった。


 マルコはジュースの入ったジョッキすらも持ち上げられない腕で鍬を高く掲げ。

 走る事すら満足に出来ない足で地面を蹴った。

 数㎝の跳躍すらも難しいマルコは蛮豚亜人の頭を超える高さまで飛び上がり。

 今にも折れてしまいそうな細い腕で蛮豚亜人の頭目掛けて鍬を振り下ろした。


 鍬は頭頂部の皮膚を裂き肉を潰し。

 頭蓋骨をぐしゃりと割り。

 そのまま脳へと突き刺さった。


 その間、たった1秒にも満たない早業だった。


 ビクンと体を大きく痙攣させて、背中から倒れた蛮豚亜人。

 マルコは驚愕の表情を浮かべたヘントの顔を確認すると鍬を手放し、そのまま意識を手放して蛮豚亜人の腹の上に落下した。

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