第4話 定期テスト
深夜12時。家々が寝静まる中、久野家の二階からほのかに明りが漏れ出していた。
中間テストを翌日に控えた久野は、机の上に広げられたノートとにらめっこしている。ただ、卓上ライトに照らし出された小さな影が一つあった。
「お前、真面目そうなツラしとるくせに、ほんまアホなんやな」
「ぐぬぬぬ……」
久野は実際、テストの平均点は副教科を含めおよそ70点ほど。優秀でもなければ、かといって劣ってるわけでもない、至って平均的な成績を収めている。
「真面目に授業を受けてその成績っちゅうなら、地頭が相当悪いんやろな」
「今回はテスト勉強をする時間がなくて……」
「それ、毎回言うてることやろ」
堪忍袋の緒がぷっつんと切れた久野は、シャーペンの先端を関西弁を喋るネズミに向かって突き立てた。
「居候の分際で!」
久野は水風船のようなネズミの腹につんつんと突きながら言い放つ。ネズミは後退りをしながら、慌てて久野から距離をとった。
「たとえお天道様が許しても、動物愛護団体はお前を許さへんで!」
久野は目の下に冷笑を浮かべる。卓上ライトの光が濃淡を作り、その冷笑はより一層冷たく見えた。
「じゃあ、私の飼っている猫吉の餌になればいいよ。今は真夜中。夜行性の猫は元気いっぱいだね。たとえ動物愛護団体でも、動物同士の争いは干渉できないよ」
「すんませんでした」
ネズミは素早く土下座をした。このネズミ、実は半分機械、半分動物の超知能サイボーグ。名前はネズ
ネズ田はかつて、実験室から逃げ出すと鞄に潜り込んで脱走を図った。頃合いを見計らって飛び出したその場所は、久野の通う高良高校だった。この学校内に自分を改造した者がいると判断したネズ太は、正体不明のマッドサイエンティストの素性を暴くため、図書室の棚奥を根城に、密に高校生たちを観察していたのだ。そして、そんなネズ太を偶然見つけてしまったのが、久野たまだった。
見つかってしまったネズ太は、仕方なく彼女に自分の事情を打ち明けると、他の生徒にバレないように、自分を改造したマッドサイエンティスト探しを手伝って欲しいと頼んだ。その結果、ネズ太は久野家に居候することになったのだ。
ネズ太はネズミだが、人間以上の知能を有するスーパーネズミ。久野はそんな彼にテスト勉強を手伝ってもらっていた。
「文句ばっか言ってないで、テスト勉強を手伝ってよ」
「あんなぁ、たまちゃん」
ネズ太は立ち上がると、神妙な面持ちで言った。
「ネズミが高校の範囲を教えんのはさすがに酷やで」
人間以上の知能を持っていても、習ってもない高校の範囲を教えるのは無理だった。
「うわーん!」
「泣き言いっとらんで、さっさとテスト勉強の続きを始めんで」
「…………」
「おい、急に落ち着くなや! ビビるやろ!」
久野はストレスがマックスになると感情が抜け落ちる体質だった。そのまま、何とも言えない顔でカリカリとノートに向かった。
テスト初日。一限目、国語。
「……」
二時限目、数学。
「…………」
三時限目、社会。
「………………」
就業のチャイムがなると、久野は大きく背伸びをして言った。
「いやー、終わった終わった。初日のテストも、私の人生も……」
久野は独り言を呟きながら、その声は次第にか細くなり、彼女の顔から全ての感情が抜け落ちた。石ころでももう少し表情があるだろうと思わせるような無機質さで、どこか能面を思わせる虚ろな瞳で、ただ虚空を見つめる。
その時、男子生徒が投げた野球ボールが、偶然にも彼女に向かって飛んできた。
「あっ、やべ」
ボールは久野の側頭部に直撃。風に揺れる枝木のように一瞬しなったかと思うと、静かに動きを止めた。声すら出さず、ただ静かに座ったままだ。
男子生徒は急いで駆け寄る。
「久野すまん! 本当にすまん!」
しかし、今の久野は無敵だった。喜びも悲しみも、テスト期間前に置いてきてしまったかのような顔で、少しも動かない。いや、そもそも彼女の無反応さは、息をしているのかどうかさえ分からないほどである。
どこを見つめているのか分からない洞のような瞳と、耳を塞いだ時に感じる静けさが恐怖となって男子生徒を襲った。耐えきれなくなった彼は一目散に教室を飛び出した。
久野の周りには不自然な距離ができていた。そんな中、マイペースの体現者である
泉妻は言った。
「たんぽって名前の由来だけど、元々はたんぽぽになる予定だったんだ。でもね、パパとママが考えたの。たんぽぽの根っこや葉っぱ、茎と花の部分をそれぞれ『た・ん・ぽ・ぽ』に分割したとき、枯れたたんぽぽは本当にたんぽぽなのかなって。もし花の部分がなくてもたんぽぽなら、最後の『ぽ』っていらないんじゃないかって。だって、髪って人の一部だけど、それがなくたって自分は自分だよね。だから、私の名前はたんぽになったんだってさ」
唐突に名前の由来を聞かされた久野は、何一つ反応せずに家に帰った。
晩御飯を食べる時も、風呂に入る時も、テレビを見る時も無表情だった。そしてその夜、ベッドの中で、彼女はただ一つのことを思った。
「何が何だかさっぱりわからん……」
久野は感情を吹き返した。
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