第5話 下半身消失事件

「竹林のお兄さんってちょーイケメンだよね」

 この手の質問は、竹林たけばやしさちが高良高校に入学して以来、耳にタコができるほど言われてきた。しかし、当のさちは、兄である竹林たけばやしともひさを心の底から嫌っている。

 ともひさは度を越えた超ド級のナルシストである。さちの表情が乏しいのは、幼い頃から兄に自惚れ話を永遠と聞かされた結果、感情の起伏が欠落していったためだ。ともひさは、自撮りで培われたスキルを活かして写真部に所属。今では部長の座にまで上り詰めている。かつてのさちも、兄の影響で写真部に入部していたが、写真部への情熱や視点の違い――というより、兄の自己陶酔っぷりに耐え切れなくなり退部を決意。そして今では、一人で立ち上げた『ちくわ部』という謎多き非公式の部活を運営している。

 さちは、兄のことを訪ねてくる哀れで可憐な純情派乙女に対し、内心では「兄の本性を知れば幻滅するだろう」と思っている。しかし、それを表に出すことはない。ただ淡々と無表情を保ちつつ、こう言うだけだった。

「無理強いはしないけど、やめておいた方がいい」

 ただ、さちが今一番気にしていることは兄についてではなく、図書館に隠されているとされる『秘密の書』についてだ。図書室での調査ミッションの際に、一緒に任務を遂行した久野たまに何度尋ねても、あの日を境に口をつぐんでいる。ちくわ部のモットーである「ちくわの穴のようにまるっとお見通しよ!」の名折れだ。

――そんなことを考えながら、さちは教室を後に、女子トイレへと足を向けた。

 ちくわ部とは高良高校に潜む秘密を独自に調査し、情報を武器に学校を掌握しようという、野望に満ちた部活である。そして最終目的は、あの自分勝手な兄、竹林ともひさを手中に収めることにある。そのための第一歩として、どうしても『秘密の書』の内容を知る必要があったのだが、久野が口を割らない以上、他の手段に頼るしかなかった。

 さちは、新たな情報を仕入れるため、首につり下げたデジカメを手に取り、女子トイレへと向かっていた。

 なぜ女子トイレなのかというと、情報収集のためである。女子たちの噂話は、時に信じれないほど有用な情報を含んでいる。『秘密の書』の噂についてもそこで耳にした。一部の生徒としか関わりを持たないさちにとって、女子トイレはまさに情報の宝庫だったのだ。

 廊下を歩いていると、さちは兄の友人である小林こばやしにであった。ともひさは3年で、小林も同級生のはずだ。一年生の階に用事があるとは思えない。

――妹のさちに用事があるなら話は別だが。

(名前は確か……小林。苗字は知ってる。後は知らん)

 小林と竹林。苗字に優越感を覚えた。

「よお、竹林妹。今日はまた、ふくれっ面だな」

 茶髪の彼は、手のひらを小林に向けるだけの軽い挨拶をした。

「これが私の平常運転」

 さちはこれでも笑顔のつもりだが、表情は相変わらずマネキンのように無表情だ。

「……そうか。実はちょっと頼みごとがあってさ」

「兄貴のことなら自分でやって」

 普段は無表情のさちだが、この時ばかりは不機嫌さが露骨に表情にあらわれた。

「そう言わずにさ。お兄ちゃんの友達の頼みを聞いてくれよ」

 そういいながら小林から手渡されたのは、兄のキメ顔が隙間なくプリントされたハンカチだった。さちは、どれだけ自分のことが好きなんだと飽き飽きする反面、「自分の顔がプリントされたハンカチで手を拭くのはどうなんだ」という微かな疑問もよぎった。

「分かった。兄貴にはちゃんと渡しとく」

「サンキュー、竹林妹よ。でさ、ついでといっちゃあなんだが、アイツの制服も一緒に渡しておいてくれるか?」

「……なぜ服?」

「アイツ、ことあるごとに裸になるんだよ」

 さちは思わず顔をしかめる。兄の制服が小林の手元にあるなら、今この瞬間、兄は裸なのでは――と、嫌な予感が背筋を駆けのぼっていく。

「そんな顔すんなって。これで最後だから」

 小林はそう言いながら、どこからともなくを取り出した。

「……もしかして、バラバラ殺人⁉」

「いや違ぇよ。冗談きついなぁお前!」

 小林は慌てて取り繕った。

「お前のお兄さんに頼まれたんだよ。自撮りには自分から見た視点だけじゃなく、多角的な視野が必要だって言われてさ、俺がともひさそっくりの人形を作ったんだ。俺、こう見えても美術部だぜ?」

 そう言って見せられたのは、兄にそっくりな人形だった。関節が動くように作られており、自由にポーズを取らせることができるらしい。まるで生きているかのような仕上がりに、さちも一瞬驚きを隠せなかったが、一つ疑問が浮かんだ。

「……なんで上半身?」

「分割した方が運びやすいだろ? さすがに人一人分の大きさはきついだろうからさ」

「……なるほどね」

 さちはやや呆れた顔をしつつ、小林の頼みを承諾した。

「つねづねお前には感謝するぜ。竹林妹」

 そう言い残して、小林はダッフルバックを背負い直し、軽やかに去っていった。彼の後ろ姿を見守りながら、さちは心の中でふと思った。

(友達というものがありながら、どうして兄貴はこんなにもナルシストなんだろうか……)

 荷物が増えて重くなった身体で、兄を模った人形(上半身)を引きずるようにして、本来の目的である女子トイレへと向かったのだった。


 自販機で買った新作のドリンクをトイレットペーパーホルダーの上に置き、準備万端なさちは一瞬、後悔の念に駆られた。荷物を教室に置いてくるべきだった。狭いトイレの個室に、兄の上半身を含む大量の荷物と一緒では窮屈すぎた。

 便座に腰掛け、兄を模した人形を手に取ってまじまじと観察する。どう見ても兄そのものである。一瞥しただけでは人形と人体の区別がつかないほどに精巧だ。とはいえ、この人形を上裸のまま個室に置いておくのは生理的に嫌だったので、兄の服を着せてやった。

 荷物の件については、過去を振り返っても仕方がない。さちは溜息をつき、ペンとメモ帳を取り出して周囲の女子生徒の内輪話に耳を傾け始めた。女子トイレは情報収集の宝庫。ここで得られる噂話が、ちくわ部の活動にとって重要なものになるかもしれない。じっと耳を澄ませていると――

「理科室のグッピーが巨大化して、生徒を襲っているらしいぞ!」

 廊下の方から男子生徒の声が響き渡る。その瞬間、さちの心は躍った。学校の秘密を暴くチャンスだと確信した彼女は、すぐさま個室から飛び出す。デジカメを両手に握り締め、一目散に理科室へ向かった。

――しかし、彼女は重要なものを個室に置き忘れたことに気づいていなかった。兄そっくりの上半身人形が、トイレの個室に残されたままであることに。


 女子トイレに用を足しに来た一年生の鯖江さばえアリスは、個室の扉を押し広げると、目の前の光景にぎょっと固まった。何が起きてるのか理解できず、頭の中が一瞬真っ白になる。状況を把握すると同時に、素っ頓狂な叫び声をトイレ内に響かせた。

「なんじゃこりゃー⁉」

 アリスの目の前には、友達である竹林さちの兄の上半身がぽつんと置かれていた。乱雑に脱ぎ捨てられたズボン、その上に置かれた特徴的なキメ顔のハンカチ、そして意味ありげに転がる新作ドリンクの缶。あまりにも異様な光景に、アリスは再び茫然と立ち尽くした。

 彼女のチャームポイントである真っ赤で大きなリボンと金髪を揺らしながら推理を始めた。

(竹林さんのお兄さんは女子トイレに侵入したんだ。だけど、バレたから転移する薬を飲んで逃げたんだよ!)

 頭の中で、漫画で鍛えた妄想がどんどん膨らんでいく。

(上半身だけが残っているってことは、転移に失敗したってことだよね……? じゃあ、お兄さんの下半身はどこかに放置されてるってこと⁉)

 顔がみるみる赤く染まっていくアリス。金髪のツインテールが揺れ、リボンも一緒に跳ねる。恥ずかしい妄想に陥り、思わず両手で顔を覆いながら、女子トイレを逃げ出した。

 

 後日、「竹林ともひさの下半身が女子トイレで消失した」という噂は、瞬く間に学校中に広まった。ともひさ本人も、噂を耳にすることとなった。彼は当初、信じられないような表情を浮かべていたが、踊り場の姿見の前に立ち、自分の姿を丹念にチェックし始めた。

「下半身……ちゃんとあるじゃないか! 俺の完璧なプロポーションに、何の問題もないな!」

 彼はナルシストらしく、堂々と自分の下半身を見つめ、何度もポーズを取って確認した。それでも不安なのか、何度も自分を鏡に映し続けた。

「完璧な俺にこんな噂が立つなんて、嫉妬の裏返しと見た」

 ともひさはそう言って満足げに笑みを浮かべたが、傍らでそれを見ていた妹のさちは、ただ無言でため息をついた。

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