第3話 ステルスミッション

「ねえねえ、たまちゃん知ってる?」

 文庫本を読みふける久野くのたまの机の前で、前のめりに手をつき、ぴょんぴょんと跳ねているのは転校性の泉妻いずつまたんぽ。まるで真夏の夜に飛び回る蚊のように彼女の動きが視界の隅にちらつく。

「知らん」

 ぶっきらぼうに返事をする。

「そうかそうか、たまちゃんはそんなに私の話に興味津々なのか。それじゃあ仕方があるまい。教えてしんぜようぞ」

 泉妻は、まるでたっぷりと蓄えられた髭をなでる仕草をした。

「勝手に話を進めるなよ!」

 パタンと本にしおりを挟み、アホ面の泉妻に本の角を向けながら言った。

「あなたに関わるとロクなことがありゃしない。昨日も、そのまた昨日も、あなたの所為で廊下に立たされる羽目に!」

「久野がいつも遅刻するからじゃないか……」

「今言ったの誰!」

 蚊の鳴くような声で呟いた誰かの声は、すぐに昼休みの喧騒に呑まれ消えた。声の主を特定すべく、キッと周りを見回した久野は、視線を再び泉妻に戻し、怒りを鎮めるように深く息を吐き言った。

「まあ、私が十中八九悪くても、その二割はあなたの所為で……」

「この学校の図書室には、くんずほぐれつな本が隠されているのさ!」

 泉妻の突拍子もない言葉に、久野は一瞬ぽかんとした。まるで頭に疑問符が浮かんでいるかのように。しかし、その意味を察した瞬間、頭には妙な光景が広がった。男女がまるで秘密の花園で取っ組み合いをしているような……。

「ちょ、ちょっと待ってよ! それってまさか……」

 久野の頬がみるみる紅潮する。彼女の頭に浮かんだイメージを払うかのように、慌てて頭を振るも、その光景は頑固に頭に居座ったままだった。

「しょうがないなぁ。たまちゃん、耳を貸して」

 泉妻は口元に手を当て、久野の耳元に顔を寄せると、ふっと息を吹きかける。久野は驚きに肩をすくめ、思わず身を震わせる。

「ひゃあ……って、何も言わんのかーい!!」

 こてこてのギャグに思わず、迫真のツッコミを返してしまった久野だったが、泉妻はただニヤニヤと笑っている。

「あれあれたまちゃん。興味あるんじゃないの?」

 挑発的な態度に、久野は言い返す言葉が見つからず、発情期の猫のように歯ぎしりし威嚇する。そんな二人の一悶着を遮るように、教室にもう一人の声が響いた。

「話は聞かせてもらった」

 二人の間に割り入った割にはぼんやりとしているのは、『ちくわ部』と呼ばれる謎の部活に所属する、部長兼補佐兼書記の竹林たけばやしさち一年。小柄で一見頼りなく思える彼女だが、その表情はどこか得意気だ。

「話は聞かせてもらったというか、その話をたーちんに教えたのは私」

「あのさ、たーちんてのは……」

「泉妻たんぽ」

 久野は泉妻を見る。泉妻は身体をくねらせる。

(なんの恥じらいだよ……)

「……呼び名がたーちんでも何でも私は気にしないけどさ。竹林さん。図書室にあるゴニョゴニョ……を泉妻さんに教えて何の魂胆があるのさ」

「それはもちろん。秘密が本当かどうか確かめるため」

 淡々と、それでいて熱のこもった口調で竹林は答えた。久野は厄介ごとに巻き込まれると本能的に察し、そそくさと自分の席を離れようとするも、一足遅かった。すぐに泉妻が彼女の前に立ち塞がると、後ろに回り込み、両手で肩をがっちりと押さえた。泉妻は久野より背が高く、簡単に逃げられないことが一目で分かった。久野は心の中で、「そのための泉妻か。竹林め、図ったな……」と恨めしく思った。

「我々のミッションは、図書室の奥に隠されているとされる本の奪取。ただ、そこで最重要課題とされるのが、図書委員にばれず図書室の奥へと侵入すること。そこへは三年生以外立ち入り禁止」

「じゃあ三年に頼めば?」

 久野が半ば諦め気味に提案すると、竹林は首を横に振った。

「カーテンに区切られている場所の本は持ち出し禁止。そもそも、私は自分の目で見たものしか信じないの。……だからね久野先輩。あなたはデジカメで本の内容を撮影する。それがあなたの任務」

「却下よ却下。なんで私が……」

 反論しようとするものの、竹林はぐっと顔を近づける。久野の両肩はホールドされており、簡単には逃れられない。

「私はあなたの秘密を何でも知っている。例えば、あなたがさっきまで読んでいた表紙の下には―――」

「あーあー! 分かった、分かったよ。やればいいんでしょ、やれば!」

 久野は仕方なく承諾すると、自分の肩に置かれた泉妻の手を振る払うようにして、ぷりぷりと教室を後にした。後ろでは、竹林が満足そうに「むふー」と鼻を鳴らしていた。


 そして、遠巻きに聞いていた坂本ギャルソン竜馬とその他クラスメイトは同じことを思った。

(秘密、全部聞こえてるけど、関わるのめんどくさいな……)

 そうして、再びクラスメイトは、三人のいない平穏な日常へと静かに戻っていったのだった。

 

 先陣を切る泉妻大佐と竹林中尉、そしてしぶしぶ二人に従うのは久野二等兵。三人は図書室でのステルスミッションを開始した。目標は、図書室の奥に隠されているとされる『秘密の書』。しかし、彼女たちの前には大きな障壁が立ちはだかる。

 竹林はカウンターを指さす。視線の先には、地獄耳の二つ名を持つ伊自良いじら先輩が鎮座していた。彼女の存在は、転校したばかりである泉妻の耳にも届いており、その恐ろしさは学校中に知れ渡っている。

 ゴリラのような風貌を持つ彼女は、まるで猛獣のような威圧感を放ち、双眸からは冷酷な光が輝いている。丸太のような腕から繰り出されるハリセンの一撃は、地震をも止めると言われるほどである。彼女率いる図書委員にバレず、図書室の奥に侵入することこそ、このミッションの最重要課題である。

「こちら竹林、こちら竹林。これより、『うっふーんな本激写ミッション』を開始する」

「やったりますかー!!」

 泉妻が意気込んで声を上げた瞬間、図書室内に快音が響き渡った。

「大佐……!」

 二人が声を合わせた時には、泉妻はすでに床に突っ伏していた。伊自良先輩のハリセンの一撃が、泉妻の後頭部に直撃し、彼女はその場で気を失っている。

「泉妻大佐は脱落。全治一週間と見た」

 冷静に状況を分析する竹林に、久野は思わずため息をつきながら呟いた。

「呑気なこと言ってないで……早く終わらせるよ」

 厄介ごとから一刻も早く逃れたい久野は、心を落ち着けるために深呼吸をした。その時、竹林が突然間抜けな雄叫びを上げ、何の前触れもなく走り出した。

「おりゃー!!」

「スニークはどうしたんだよ、中尉!」

 竹林はゆっくりと振り返って言った。

「ステルスゲームは履修してない……」

「お前が立案者だろうが!」

 久野がツッコミを入れる間もなく、竹林は伊自良先輩のハリセンの餌食となった。

「私を置いて早く目的の場所に……」

 久野は竹林がずるずると引きずられていく様子をじっと見つめていたが、「自業自得」だと心の中で呟き、あっさりと見捨てた。竹林は心のどこかで助けを期待していたが、結局、抵抗の声すら上げられずに、伊自良先輩に無言で引きずられていった。

 重い足取りで久野は、目的の場所へと到着した。幸いにも、上級生たちはいない。辺りを見回すと、そこには分厚い本が壁一面に所狭しと並んでいた。彼女は背表紙を流し見し、気になる本を手に取ってはパラパラとめくってみたものの、目的の本は一向に見つからない。

「何で私がこんなことやらなくちゃならないのよ……」

 久野のイライラが募り始めた頃、予鈴のチャイムが鳴り響いた。これ以上無駄な時間は費やすまいと、早々に帰ろうとしたその時だった。分厚い本にはあからさまに異質な一冊、薄い本が目に留まった。おもむろに手を伸ばし、取り出してみると―――

「ノックぐらいせんかいワレー!!」

 棚の奥に目をやると、そこには関西弁を喋るネズミが立っていた。久野は驚いて一瞬固まったが、その間もネズミは休むことなくぐちぐちと文句を垂れている。

「ほんま近頃の女子高生は、どんな教育をしたらそんなマナーになるんや。お前の母ちゃんにノックの一つも教えてもらわんかったんかいな、うだうだうだうだ……」

 久野はそっと本を元あった場所に戻すと、無言のままその場を走り去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る