そして引きこもりに‥‥

その日は土曜日だったので、家族がいた。靴も履かずに全身を震わせて泣きながら、薄汚れて帰ってきた私を見て、家族全員が異常事態だと理解した。薄汚れたのは時折身を隠しながら帰ってきたためにあちこちに身体が擦れて服が汚れたためだった。



怪我もせずに、したくもない男たちにヤラれずに家まで逃げ切れた反面、もう洗いざらい言うしかなかった。そしてこの家ごと危険であることを理解してもらって警察に保護を願い出るしかなかった。


私はきっと、角谷家末代にまで残る恥晒しになってしまった。

親に連れられて警察に行き、洗いざらい証言した。


やはり吉川哲寿は暴力団組長若頭射殺事件と深く結びついていた。被害者側とはいえ、元々けしかけたのは吉川側のほうだった。吉川の半グレチームが勢力を伸ばせば伸ばすほどに周囲の組織と揉めていった。あの男は何十個もの罪で容疑者として拘留寸前だった。


その女だったとなれば、私も参考人としては重要な存在となる。警察に行って「怖い人から付け狙われています、助けてください」だけでは済まない。


私も一日中取り調べを受けた。取調官が何度も変わり、同じことを何度も何度も聞かれた。警察署に着く前にお父さんから、『同じことを何度も聞かれるぞ。お前の場合は、全部正直に何度も答えることで、信じてもらえるはずだ』と言われた。そのアドバイスが効いた。聞かれたことには素直に何度も答えた。お父さんの言ってたことと一緒だったから抵抗したりキレたりすることはないし、そもそもそんな気力も無くなっていた。


それでも中にはこんな男性警官もいた。


名前は忘れてしまったが『そたい?』とか言ってたかな?目付きが鋭く、柔道体型で短髪、はっきり言ってあの時クラブで会った、射殺されたヤクザ二人に、この人が一緒に並んでいてもおかしくないと思える風貌のおっさん。


私は、とにかく助けて欲しい。家族と自分を守ってほしいと全ての取調官に訴え続けていた。しかしこの男ははっきりと目を見据えてこう言った。


「そりゃあ守りますけどね、元々アンタが付き合っていたわけだし、危ないやつだなんてすぐに分かるでしょう、もう二十歳にもなってるんだから。で、はっきりと正体知ってビビらされたからって泣き言言ってきても遅いんですよ。あとね‥‥」

これが心に錘をつけて深い暗い海へと私を沈ませた。



「アンタも楽しんでたんでしょ。フフ‥‥その悪い連中等と悪いことした金を使ってねえ‥‥違いますか?」



都合の悪い時だけ被害者ぶるな、報いを受けろ、自業自得だろと言われた気がした。



私はあいつらの金で豪遊して、一般庶民が泊れないホテルで何泊も過ごし、普通なら一生食べることのない高級和食屋で料理を食べ、他にも一人何万円もするようなステーキハウスや、金粉が舞うような創作料理屋に通い、そんなことサラリーマンじゃあできることのない、クラブの大型VIPルームを貸し切って遊ばせてもらった。

――――間違っていない。その通りだ。


あれは全て、人からむしり取った、あるいは騙し取った裏社会の金だ。それで素人の私が不安で警告灯を出しているのにズルズルと甘えてしまっていた。

私なんかが共有して使ってはいけない金だったんだ。そして一緒にいてはいけない男だったんだ。分かっていた。分かっていたのにルーズに「まあいいか、今日のところは、良しとしよう」そんな答えで誤魔化し続けた結果がこれだ。



きっと美玖なんかだったら、それはそれ、これはこれ、で割り切れるんだろうと思う。吉川が良い時は、ホイサッサと何の懸念もなく楽しく派手に遊んで、逮捕されたり羽振りが悪くなったり、あるいは今みたいに自分の身が危なくなって警察に助けをお願いしに来た時なんかは、被害者面して「私はこんなことしたくなかったのに、彼が無理矢理しろといった」「私は被害者なんです、無理矢理付き合わされていただけなんです、助けてくださいおまわりさん」「私は何も悪くない。だって逮捕されるようなことなど何もしていないのだから」と平気で言えるんだろう。私にはできない。



お金に善悪はない。善悪があるのは稼ぐ人間・使う人間。だから悪人から一たび離れたお金はただのお金であり、善人が善行のために使う可能性はある。けど、私の場合はその悪人にと一緒にいた。悪人が楽しむために放ったお金で、私は楽しんだんだ。この場合は人に付く。



私は自分が吉川と居て、楽し気にし、愉快そうに笑っている自分を想像し、そしてその後は吉川とキスをし舌を絡ませている自分を思い出し、嫌悪し吐き気を催し、嘔吐を繰り返した。

途中からはバケツ傍らにおいての取調べだった。いつ吐くか分からなかったから。



周りからキレイだねと言われ、

背が高くて、スタイルがいいね、と羨望の眼差しで見られ、

運動も凄いんだね、と感心され、

スクールカーストは最上位クラスに位置し、

私の言う一言や一挙手一投足まで注目され、

チヤホヤされ、

同じく周りが付き合いたがるようなカースト上位の子たちとつるみ、

男からはモテて、

イケメン、遊び上手な男子、スポーツマンでモテモテの男子たちも、

好きな女子を複数人上げて見ろと言ったら、必ず三人目までには入る私。


年下の何も知らない真面目な男子が真心を持って告白してきても、

『あんなん男ちゃうわ』と吐いて捨てた私。


帰り道を付けてきた男子。ただ私に対する悪意なき感情、好きという感情がちょっとだけ度を超えてしまって尾行してしまった男子。


あんな東尾や吉川の手先の尾行と意味が違うのに、ストーカー呼ばわりし、毛嫌いしてその後も他の女子と寄ってたかって迫害するような態度をとった私。


どんな男でも手に入るんじゃないか、と思っていた私。


合コンに行って、美玖がいくら口説いても反応しないボス級の男を、たった一瞬で惚れさせた私。

人とは違う能力のある私。



――――人とは違うから、人と違う遊びが許されるんだ。一泊で何十万もする部屋に泊めてもらい、何万円もするような晩御飯をタダで食べさせてもらう。アフターは一晩何十万もするクラブのVIPルームで上っ面の友達らと高いシャンパンを抜きまくる‥‥だってスクールカーストのトップレディだったんだ。そういう特別な選ばれた女なんだから、このぐらいのお遊びしていたっておかしくないでしょ?それが私の個性、私が人と違う所以、私の能力。そんじょそこらの普通の女とは違う‥‥だから許されるんだ。

そんな思い違いをしていた私。



そんな私。



そんな私が今、薄暗い狭い部屋で取り調べを受けている。

親から金を盗みだせ。出来なければアダルトビデオに出演しろと命令された私。

子分たちの餞別代りにセックスをしろと、まるで物のように扱われた私。

あやうくクソみたいな男たちにヤラレそうになって三階のベランダから飛び降りて逃げた私。

途中自分の愚かしさに嫌気がさし、思い上がりに気が付いて精神的にぶちのめされ、アホさに吐き気がして、下顎から首元まで吐瀉物まみれで座っている。


惨め‥‥

生きることすら叶わなかったかもしれない。


命を狙われている。それは大袈裟かもしれないけど、少なくともただでは済まされない身。


私だけじゃない。

お父さんも、お母さんも、そして阿須那にも危険が及ぶかもしれない。

そんなことになってしまった私。

さらに警察官から、ひいては世間から、「ああ、あなた自身のせいでしょ」と現実を直視させられた私。



あのスクールカーストの上位に君臨した時代は何だったの?

夢?

だとしたら楽しく見えて、実は悪い夢だったのかな?

私は‥‥何がしたくてあんなものに固執したの?あんなものの上位にいることが、そんなに良かったの?将来に役に立った?明るい未来をもたらした?

私は‥‥何してたんだろう?

私は‥‥何なの?



そして小学校の同窓会。現実はもうあの時に私に突きつけてくれていた。それを認めなかったからこうなったんだ。

地味でスクールカーストのランキングなんかには絶対名前が載らない下っ端な子たちが、良い大学を決めて輝きだしていた。

自分は高校を卒業し、スクールカーストから卒業したら、ただの燻り(くすぶり)だった。



私の時代は、去ってしまったんだ。

もう何も残っていない。

それを無理に「残っている!」「私は本気だしたらまだまだ凄いんだ!」と実力ももはやないのに、努力もせずに楽に、安易に勝とうとしたから、こんなことになった。

もっと前からちょっとずつちょっとずつ崩壊は近づいていたんだ。

それを知らぬ顔して、現実を見ることから逃げていた。


逃げ癖がついて、時には現実の今の状況、時には勉強、そして最悪な男とそのありえない遊び方の中へ、都合が悪くなったらそこからも、とにかくありとあらゆるものから逃げまくっていた。



そして逃げて逃げて逃げた先の私は、決して幸せでもなく、光に包まれているわけでもなく、薄暗い警察署の取調室でバケツを傍に置いて吐瀉物まみれになって、虚ろに座っている。時々来る吉川の恐怖や、東尾に抱かれそうになった気持ち悪さや、南川君のあの血まみれの変形した顔がフラッシュバックして、怯え慄きながら‥‥‥



警察からも解放された。警備が常駐するらしいと聞いたが実際には見ていない。私自身もすぐには家から出なかったからそこは分からない。


家としても警備保障会社と契約した。余計な出費をさせてしまった。



阿須那はまだ高校生だ。しかも穢れを知らない心と身体だ。私のせいで何かあったら、死んでお詫びしても足りない。

その後私は数日間だと思う‥‥部屋に籠り布団に包まって、ものを食べることも出来ず眠ることもできずに隅で怯えて震えて、なんでこうなったのかと自問自答を繰り返していた。


そこからは覚えていない。おそらく栄養失調気味の脱水症状の神経症みたいな状態で、倒れていたところを阿須那とお母さんが助けてくれたんだと思う。



その後、約半年間は家からは出られなかった。

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