最低の男

この頃、私の普通ではない怯えたような、疲れたような表情が話題になっていた。もう隠せないほどに精神的に疲弊していた。


誰が見ても一目で分かった。鏡に写る自分の姿は自分でも『もはや普通ではない』と分かるぐらいだった。


でもまだ真相を言わなかった。阿須那は「とんでもない男に憑かれたな」とは思っていて、「今の男大丈夫なん?」と質問してきたこともあった。


こんなこと酷すぎて「実は‥‥」なんて簡単には言えなかった。


けど、とうとう言わざるを得ない事態に陥った。


ある日の朝のニュースでそれが分かった。

梶組の組長と、若頭が敵対する組のヒットマン複数に射殺された。しかも夜の繁華街、人もたくさんいる中、路上で起きた犯行は悪質極まりないとメディアは批判しまくっていた。たまたま歩行者に怪我人はいなかったが、発射された銃からは勿論二人を外れた弾丸もあり、近所の商店のシャッターを貫通していた。


一歩間違えたら関係のない一般人までも巻き込んでいた事件だった。


しかも時間帯もまだ子供たちや親子連れも繁華街にいてもあまりおかしくない時間帯。結果的に二人が死んだだけで、といえばそうだが、


――――これが何の関係もない小さな子供や、親子に弾が当たって死んでいたら‥‥


そう思えばそんな連中の中心に近い人物と関係のある自分がとてつもなく許せなかった。


ましてや性交渉までしているなんて。

別れなくては。

しかしあの粛清が脳裏に焼き付いている。


じゃあ、逃げなくては。


案の定、吉川から呼び出しがかかった。

行かずに逃げることも考えたが、恐怖が勝った。私は彼のマンションに行ってしまった。

勿論セックスは無理にでもしてくるやつだ。ピルを飲んでから行った。


結果としては、私は三階の窓から飛んで逃げた。




吉川は居た。しかし言った言葉はこうだ。


「組は誰も反撃せずにチリジリバラバラになり解散だ。俺たちのチームもおそらく狙われてリンチに会い、殺される。だからしばらくはここ(大阪)を離れる。おまえも来い。おまえは俺には無くてはならない存在だからなあ」


行く気はない。けどとりあえずそこまでは良くないけど、良いとしよう、とりあえず。恋人としてありがちな反応だから。


「しばらく部下も皆それぞれで逃げる。可哀想な奴らにしてしまった。特に東尾と大矢野は俺にとってチームの功労者だ。だから今日は東尾と大矢野に(身体を)貸したってくれ。それと逃亡資金がいる。お前の分だけでだいたい三百万いるから用意してくれ。現金がいい。俺が銀行に現れたら確実にその場で抑えられてしまうから」


嘘に決まっている。それぐらいすぐに分かった。自分の逃走資金を私に作らせようとしたのだと思った。こいつの金蔓は梶組で、そこが無くなったらただの貧乏チンピラなんだと。


「親にうまく言って用意するか、それができなかったら明日から撮影に行ってくれ。三日で十本出たらそれぐらいにはおまえならなるから」


撮影‥‥アダルトビデオのことだ。


詭弁を饒舌にペラペラと話すが、この男は私や他人のことなんぞ何も考えていない。ただ自分のことだけしか考えられない、とてもじゃないけど人を愛することなんてできない精神年齢五歳程度の人間だということが、この時やっと理解できた。



私の男選びは根本からおかしかったんだな‥‥‥



たとえ極道でも、今まで面倒を見て資金援助をしてくれた人間がやられたとなったら、良くは無いことだが、復讐や報復を考えるはず。

あるいは自分が親分なら、子分をどう生かしてやるかを真っ先に考えるはず。そんなことは一ミリも考えずに自分のことだけを考えていち早くトンズラをかまし、愛してると連呼して、また海外や遠くでも仲良くしていこう。


二人で幸せになろうと言いつつ、実はいらなくなった私を部下に払い下げ、かつては愛した?人の親にまで迷惑をかけるか、それが叶わなかったらアダルトビデオに出演させて、その金で自分だけ逃げようとする。



私は死んでも逃げ出すことに決めた。


そのためには東尾とまずしけこむことにした。東尾にヤラれるのは死ぬほど嫌だったが、男が一番隙を作るのもセックスの前後と行為中だというのを私は知っていた。

どんなに賢い男でも最中と前後はアホそのものになる。特に東尾は腹は黒いが、腹は黒いと読まれている地点で頭は良くないことが分かる。

大矢野は黒ぶちメガネをかけた、これまた頭の悪いゴリラみたいな男だ。こいつもよく笑い、『兄貴、兄貴』と弟キャラを演じているが、目が笑っていない。腹黒いやつだ。


東尾のアパートは吉川の居たところと雲泥の差。壁の薄いフロアごとが背の低い、室外機を置けば人一人分が立てる、かろうじてある狭いベランダのアパート。


表の廊下には見張り兼後から私とやる予定の大矢野が立っていた。

東尾は自宅に向かう途中腹痛に襲われ、コンビニのトイレを借りていた。しかもどうも少し漏らしたと大矢野と笑いあっていた。


最悪だ。もともと嫌いな相手なのにそんなまさしくクソな状況で絶対にしたくない。


私は露骨に不機嫌を演じた。それを理解したのか部屋に着くと一人でシャワーを浴びに行った。よっぽど余裕・楽勝な気持ちになったのか、鼻歌なんかが聞こえていた。


隙だらけだ。


しかも吉川のマンションなら周囲にまだたくさんの仲間がいることが考えられるが、東尾のアパートにはそれは考えられなかった。表に大矢野がいるだけ。一か八かだけど。


私は着のみ着のまま、スマホと家の鍵だけをズボンのポケットに入れて靴も履かずに三階のベランダの柵を越えた。


柵を越えてしゃがむ。

柵は下から覗かれないように考えられたとか、そんなものじゃない。ただの落下防止のためにあるアルミ柵のようなものだった。そしてここからは私の筋力が頼り。身体をなるべく屈ませ、柵の一番下らへんを力いっぱい掴み、片足を下の階の柵に乗せる。


どうか人が居ませんように。気づきませんようにと祈った。


片足がついたところでもう片足も降ろす。安定したところで身体を丸めるように屈ませて、また安定したところで手を上の柵から手を離し、二階のベランダへ降り立った。幸いにも空き家だった。


その動作を繰り返すまでもなく、二階からは柵を越えて、足がベランダの柵の外側について安定したら、ジャンプ。


外の道路に飛び降りた。

運動神経の良さが功を奏して、怪我もせずに、したくもない男たちにヤラれずに家まで逃げ切れた。

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