粛清

三週間。

三週間で状況は変わった。一転したのはもう少し先。

三週間後に、本性を知り、恐ろしいものを見せつけられて、私のポリシーを軽く踏みにじられた。

本当は私のポリシーなんて、男たちが本気出したら簡単に踏みにじれるものだったのに、男が手加減してくれていたことを知らずに、自分はそこだけは守れていると偉ぶっていたんだなって分からされた。



最初の頃、よく吉川と遊んでいたメンバーの中に、南川君もいた。明るくて楽しい、それでいて意外と優しくて、根は大人しい子だった。私も男女間というよりは、男友達として気に入っていて、個人的にもメッセージアプリのやりとりをしていた。しかし、彼が常連で来ていたのは私が入ってからは最初の五回ぐらいまでだった。その後は休みがちになって、そして来なくなった。南川君の友達で私ともまあまあ会ったら話するぐらいの仲だった東尾は、必ず来ていた。ちなみにこいつも入れ墨だらけだった。何となく背の大小もあって、私の中では入れ墨兄弟と呼んでいた。南川君は身体が大きくて、東尾は小さかった。

私は、

「最近南川君あんまり見やんけど、どうしたんかなあ?」

それとなく聞いても、

「さあ、僕も分からないんですよ」

というだけ。

――――何か怪しいなあ‥‥何か知っているんとちゃうんかあ?


何となく最初からこの東尾とは仲良くなりきれない気がした。何を考えているのかよく分からない。言ってることが建前ばっかりで本心が見えない。愚痴ることもあるけど、その愚痴が釣りのようで、同じく愚痴ってしまうと嵌められる気がする‥‥そんな気配を感じていた。三週間目近くなると、南川君のメッセージアプリも既読にならなくなった。

――――どうしたんだろう‥‥




ある時いつものようにクラブのVIPルームで吉川と、吉川の仲間らとでシャンパンを煽っていた時に、中年の短髪、横にも縦にも大きい身体、黒のスーツにノーネクタイ、白のワイシャツを着た二人組が入ってきた。その時は何も分からなかったが、その二人が入ってきたときは一斉に全員立ち上がり、深々と腰を折った。あの吉川ですら同じだった。私もびっくりして同様に振舞った。

「楽しい時にごめんな、ごめんな。おい、てっちゃん、ちょっとこっち‥‥」

一人は表情を変えず、もう一人はにこやかだった。

吉川は呼ばれるがままに、男たち二人と別室に行った。


何かしら異変が起きている、それは明らかに分かった。ワイヤーで心がその場に縛り付けられているかのように動けずに冷たさだけを感じていた。

おそらく十分ぐらいだったと思う。吉川は戻ってきた。ニヤニヤはしていたが顔は青白かったように思う。何やら男たちを端に集めて指示を出した。たちまち東尾を含めて表情が凍りつく。そして無表情のまま、女たちを置いて出ていった。


「ごめん、今日ちょっと仕事入ったから、終わり。終わり。ごめんなー」


慌てて、なんでなん?と理由を聞きたがる子もいたし、何となく空気を読んでそれ以上は何も言わずにさっさとその場を去る子もいた。一通り対応したあと、帰ろうとしている私を吉川は引き止めた。

「亜香里は特別やから、見せたいものがある。二時間後ぐらいに車が来ると思うからそれに乗って海まで行こう」

と言い出した。海に行って何をするんかな?クルーザーにでも乗せてくれるんかな?その割には空気が重い。重くて冷たい。冗談で

「船でも買うん?」

と聞いたら

「そう、二億円ほど。これからその商談」

――――本当にそうなのか?!



本当とも嘘とも言わずに、一応は笑ってくれて、またいつもの調子で接してくれた。

時間が経つに連れて仕事の失敗の処理で、部下の男の子たちは行かされて、社長の吉川は報告待ち、というようなもんかと思っていた。

時間通りに車はクラブに横付けされた。運転手付き、黒塗りの高級ミニバン。当然であるかのように私は後部座席右側に乗り込んだ。

時折、外を見ながら吉川は呟いた。



「ならんもんはならんなあ‥‥」

「せなあかんことはせなあかんなあ‥‥」



商談なものか。まったく違った。最悪な事態を目の当たりにした。

ヨットハーバーではなく、コンテナヤードに入って行き、車のまま入れる大きな倉庫の中へと進んだ。向かって左側に男たち五、六人の人だかりが出来ていた。私たちの乗った車は少し手前で停められた。

「南川と個人的にやりとりしてたんよなあ」

薄暗く広大な夜のコンテナヤードは所々で作業をしているところには灯りがあるが、基本は何もないところは真っ暗。この中で人が一人どうなったって直ぐには気づいてもらえない。そして男たちだけで女は私一人。その中でこの質問はいっきに恐怖へと突き落とすものだった。


別に悪いことはしていなかったし、最初の時に一緒に、喫茶店で待ちの間だべった経緯もあったので、後は普通に友達として気の合いそうな感じの男の子だったから、と本当のことを伝えた。


「確かにそうやったなあ‥‥俺も良い男やなあと思っていたし‥‥」

それで事なきを得るかと思った。

「亜香里は何も預かったりはしていないか?」

南川から預かりものはないかという質問も答えはノー。本当になかった。それも「そうだよなあ」とあっさり認めてくれた。この質問をしてきている地点で私と南川君の関係を疑っていることは理解できたけど、そこまで深い仲でもないんだなということも分かっているように思えた。

―――じゃあ何で?その質問の意味は何?

―――南川君のスマホでも見たん?

答えは左前の人だかりの中だった。




頭から血まみれになり、一瞬誰か分からないくらい、変形した顔の南川君が椅子に括りつけられて座らされていた。

服の首元は血糊と、吐瀉物で汚れ、腹あたりはまた違う血液が付いていた。おそらく刺されたんだろう。



私は悲鳴を上げてパニックになったと思う。そこから何を言ったか何をしようとしたかは覚えていない。けど、吉川は降りて行って、周りの男たちに頭を下げさせて、南川君の前に立った。

私も飛び降りるかのように車から出たけど、恐ろしすぎて近づくことが出来なかった。

何か話していた。声が小さいから分からない。虫の息の南川君の耳元で囁くように何かを話した。


さっと手を伸ばした。東尾が吉川に持っていた金属バットを渡した。よくよく見たらここにいる男連中は皆、何かしらの武器を携帯しているではないか。

商談?話し合い?ヨット?



そんなものは何もない。これは半グレ集団の‥‥‥



――――粛清だった。



渡されたバットを使って吉川は嬲るように拷問を始めた。こんなことが現実に目の前で行われていることがにわかに信じられなかった。まるでそのようなシーンがある映画を見ているのか?と錯覚しかける。あるいはそのようなシーンがある映画を鑑賞している夢を見ているのじゃないか‥‥けど、夢でも、映画でもなく、かび臭い臭いも、潮の香りも、そして南川君の血の臭いも感じた。紛れもなく現実に、目の前で行われている。



私は腰を抜かしてその場にヘタれ込んだ。

バットだけでない。ナイフ、のこぎり、金槌、スタンガン、食塩‥‥色んなものが拷問に代わる代わる使用されていく。



たちまち南川くんの顔や服は新たな鮮血で染め替えられて行った。それでも人はまだ動く。薄暗さと血で真っ赤になった顔は、はっきりと表情が読み取りにくい。

「亜香里、掠った(かすった)なあ」

そのまま椅子を、南川君を私の正面に向けるようにずらした。



肩で細い目は左側だけが大きく見開き、右側は殴られて塞がっているように見えた。頭がイカれて笑っているのか苦痛で顔が引きつっているのか片頬だけが妙に吊り上がり、その分だけ口から白い歯が見えていた。

「まあでも、おまえは別に何もしちゃあいない。何もこいつの手伝いもしていないし、特別な関係はなかったなあ。良かったよ。安心した」

恐怖でひたすら地面を仰向けに這いつくばって震えていた。やめてーと叫べば、私も同じ目に遭わされそう。逃げれば秒で捕まえられてやはり同じ目に遭わされる。バタバタして逃げようとしてはやめて、逃げようとしてはやめて‥‥そんなことの繰り返しだった。



「けどなあ、友達としてって分かるんだけどなあ、分かるんだけど、こんなバカと仲良くしたのはちょっと俺としては気に食わねえんだよ。嫉妬かなあ、アハハハ」

暗闇の中で悪魔のような吉川のどす黒い顔から、やたらと白い歯だけが不気味に映る。

「だからあ、裏切ったらどうなるかはちゃんと見せてやるよ、亜香里」

「グッ‥ギャアアアアアアアア!!」

さらなる吉川の拷問に、南川君が断末魔とも思える悲鳴を上げる。

「イギャアアアアアアア!!無理!!もう止めてー!!」

私は成行きに恐れ戦いて奇声のような声を上げた。

――――裏切るとこうなる‥‥

それは暗黙の焼印を私の精神に焼き付けたんだ。




その後南川君がどうなったかも分からない。何度か東尾に聞いたがまともに答えない。こいつは友達の顔していて内心は全然友達ではなかったようだ。吉川が来る前に持っていた金属バットで散々南川君を殴ったそうだ。

その時の風向きでいくらでも物を言い換えれる。考え方も変えられる。そのことになんの罪悪感もない男。

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