角谷亜香里商店は借入と節税を考える

ところで貸付金で帰ってこないのってどうなるのかなあ。私二十五万円ぐらいそんな「現金預金」があるよ。資産勘定でしょう?

ええっと‥‥現金が出て行くから‥‥


《貸付金》××円 / 《現金》××円 かあ。


これでとりあえず貸したんだよね。それで帰ってこないってなったらどうなるのかな‥‥

「ああー?その会社、誰かにお金貸したんだね?」

「ハ!ハウッ?!」


男に貸した金が帰ってこないのは、簿記ではどういうふうに処理されていき、さらに私の損益計算書と貸借対照表をどのように悪化させていくのだろうかという心の中だけの興味が、現実世界の先ほど江崎君と二人で作り上げた貸借対照表の、下の空欄に無意識にシャープペンシルを走らせていた。さらに質の悪いことに、私の新たな簿記の知識への渇望だと江崎君は思い込んでいるみたいで、彼の全身全霊を持って私の疑問に挑もうとしてくれている姿勢が、ものすご――――く分かった。ヤバいこれ、『昔の男の失敗談です!アハハハハ!』なんて言えない!!


「一年の会社の実績と言いますか、成績・スコアみたいなものが損益計算書で、その一年一年を累積させた結果と、集めたお金で何に使っているのかを読み解くのが貸借対照表ということですね」

すごく総括的な、それでいて話の少し前をリテイクしたようなオウム返しの答えをして誤魔化した。

「そうです。簿記一巡の話はだいたいいけましたね」


私の黒歴史の一つを簿記上で清算するとしたらどうなるのか、そんなことを想像していることなど露も知らずに、純粋なまなざしを向けてくれていた。


だいたいいけたんだけど‥‥肝心なものが無いよね?

私はよく儲かっている会社の社長さんが言うこと、することが、ここには全く無いような気がした。しかしそれはアウトローなことなのかもしれない。でもさっきの話の中でもあったことだからアウトローではないところもあるんだと思う。

「どうかしました?」

「税金がないですよね」

節税だ。脱税は脱法行為だから聞くだけ愚問。しかし節税行為は物語やドラマのワンシーンでもよく社長さんが税理士なんかと相談してやっているシーンを見かける。そもそもこの財務諸表には税金が見えていないし、これでは節税をどうするのかがまったく想像つかない。

そう言うと、またまた彼が呆気に取られた。しかしすぐにふふ、と小さく笑いを洩らした。

ああ、税金はまた別問題だったのかな‥‥私、最後にまた恥ずかしい質問しちゃって、せっかく凄く褒めてくれていたのを台無しにしてしまったのかな。

「凄いなあ、もうそんなところまで思い浮かぶなんて」

「いえ、本当にただ疑問に思っただけで、何も考えて質問していませんから」

そう、さっきの利息のところがあまりにも衝撃的だったから「税金」というキーワードが頭に残っただけだった。

「でも、ちゃんと覚えていてくれたんですね」

「え?どうしたんですか‥‥?」


「それって僕が利息を銀行に支払うか、税金払うかのどっちがいいかの話のところでしょ?」


そう。その通り。だってあの話は衝撃的すぎたから。利息支払ったらその分税金を払わなくていいとか、一般人の私には考えられないもの。ひょっとしたらそういう制度があるのかもしれないけど、学生の私の身分においては知る由も無い。

「ええっと、じゃあ‥‥P/L‥‥損益計算書のことですね、そこの費用のところに‥‥どうだな、下の方。当期純利益よりはもっと上、間一行以上空けて、支払利息って書いてみてください。そして利息は二パーセントにしましょうか‥‥」


二パーセントの利息。元手は借入金一、〇〇〇円から。としたならば『支払利息』は二〇。


「その金額をそこに『支払利息』勘定の横に二〇と書いてくれますか。でその分は現金で支払ったとしましょう。その仕訳を切ってみてください」

「はい」


ええっと‥‥費用勘定の「支払利息」を新規で増やすからそれが二〇、そして「現金」が減ったのだからアウェイの右側に書いて、二〇。


《支払利息》二〇 /《現金》二〇 。


そして遅ればせながら「現金」を二〇減らす。そうすれば当期純利益と繰越利益剰余金は一七〇で一致した。


「じゃあ法人税を支払いましょうか」

いよいよだ。どういう仕組みなんだろう‥‥


「当期純利益に対して、三割が税金とします。これを法定実効税率と言います。覚えなくてもいいです。この割合は変わりますし、言葉もまたちょくちょく出てくるので勝手に覚えてしまいます」

当期純利益の三割‥‥?そうくるか??

「あ?国はピンはね、するんだ?」

思わず浮かんだ言葉をそのまま口にしてしまった。

「え?なんですって?ピンはね‥‥?」

自分の学生時代後半から予備校時代にいた、あまり良くない環境内での物事の表現というのが出てしまったか‥‥私はすぐにシュンと肩をすくめて小さくなった。多分顔も眉が下がり、口がへの字になって赤面している。


彼が私のことをどう思っているのか‥‥多分大切なものを拾ってくれて、簿記に関してはおバカだけどちょっとだけ飲み込みが早い人。あと絶対に『そう思われていたとしたら危ないなあ』って言うのが、私は自然に無意識にしている質問が、江崎君からしたら、頭の良い人の質問、つまり『切れ者』の質問になってしまっていること。そこに逆ギャップを食らいたくなくて、さっきからおどおどしてきたのだけど。

そうか。そっちか‥‥


きっと彼の暮らしや、彼から漂う雰囲気からしたら、私よりも二段階、三段階ぐらい立派なご家庭で育てられていたと思う。お金持ちかどうかは分からないけど、きっと私の家庭よりはお金持ちで、厳しい躾が行き届いているようなイメージ。折り目節目をきっちりとし、凛として所作は美しく。そんな感じだあ、きっとそんなお家の気配がする。それに比べて中学校中盤から堕落していき、高校に入ってからはますます似たもの同士、あるいはもっと尖った悪いものたちが集まって来て、予備校時代は語りたくもないようなことになってしまって。。。この過ごした環境が、言葉に現れる。

「ふふ‥‥ホントその通り。ちょっと懐かしい表現でしたよ。でもそれ正解。ベストな回答です」

「ええ?え?ああ?‥‥ええ?」

彼はまた、春風が優しくそよぐように、柔和に笑ってくれた。ジタバタといちいち怯え慄き、自分を卑下する私に、『大丈夫‥‥落ち着いて』と数枚の桜の花びらを渡してくれた気がした。すごく心が平穏になっていくのが分かったけど、やはりそれでも『こんな私がここで彼とこんな実りのある、賢くなる、それでいて楽しい時間を過ごして良いのだろうか』という気持ちは消えはしない。そして彼は『懐かしい』と言った。

「じゃあ三割ピンハネしちゃってください」

「あ、は、はい」


とりあえず思いは色々あるけれど、計算しなくちゃ。電卓で一七〇×〇、三と入れてみた。答えは五一‥‥。

あれ?ちょっと待ってよ、そういう計算するのなら。私はさっきの支払利息が入っていない時の一九〇で再度に〇、三をかけて出してみたら‥‥五七だった。

――――利息を支払った方が、税金が六円安くなっている。


途中から彼の指示を仰ぐことなく、私が勝手に進めたことも彼は咎めることもなく、ニコニコしながら見守ってくれていた。私が自分で考えられるようにしてくれているのだ。

確かに税金は六円安くなった。本当だ。お金を借りている方が安い。しかしその差額一四円多くの費用を払わなければならない。やっぱり損だ‥‥でも、


――――それで一、〇〇〇円という莫大な資金援助を受けれている。これは‥‥これは企業としての「成長」や「運転」の意味合いで明らかにメリットが大きい。


しばらく私はいつの間にか唇に親指を当てたままじっと自作の財務諸表を眺めていた。その間、男のことではなく、想像つく限り会社の運営で起こり得ることを簿記を通したらどうなるのかを考えていた。そしてその動作の終わり辺りに、私が思ったことは二つだった。



私、簿記にハマったかも。

それと、

でも江崎君、なんで彼はこんな専門学校に入学したのだろう?もっと他に良い大学行けそうなんだけど‥‥それと昔の話が少しだけ‥‥あるよね。

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