初めて感じた簿記のカタルシス

「じゃあ、商品を売るために仕入れしましょう。その前に」

そう言って彼はもう一枚のルーズリーフを取り出し『T』を再び書き、その上には「損益計算書」と記入した。そして彼の方からしたら右側に「収益」左側に「費用」と書いた。さらに「収益」の下の欄に「売上」「受取手数料」「受取配当金」「受取利息」と書き、「費用」の下の欄には「仕入」「支払手数料」「通信費」「支払利息」と書いた。それを私の方へと回転させて見やすくしてくれた。


「これはですね。また先ほどの貸借対照表と違うやつで、損益計算書というものなんですね。で、これはこのように『収益勘定』と『費用勘定』から成り立っています。収益が入れば右に記載、費用が発生すれば左に記載していきます。この時に「費用」=すぐにお金が出て行く場合もありますが、いったんそれは横に避けて置いてください。後、本来はもうちょっと色々手続きがあってからの損益計算書なんですけど、今日は割愛。じゃあとりあえず売る商品を一〇〇仕入れましょう。仕入はさっき言ってた『買掛金』で」


ええっと‥‥ええっと、そうなると「仕入」は費用勘定だから左に一〇〇と。そして買掛金‥‥買掛金は確か。

「これは負債項目ですので、負債のところに書き足してください」

一旦、


《仕入》一〇〇 /《買掛金》一〇〇


と切った後に先ほど少しできていた貸借対照表に、言われるがままに借入金の下の空いている所に書く。後から聞いたが本来は上らしい。


そして損益計算書の費用の欄に《仕入》と書いて一〇〇と転記した。

「じゃあその仕入れた商品が在庫になることなく、直ぐに全部が三〇〇円で売れました。『売掛金』でお願いします」

「ええっと‥‥」

売掛金は資産勘定だから、資産が増えたのか。だから‥‥


《売掛金》三〇〇/《売上》三〇〇


この売上が右というのが正直未だ気持ちが悪い。しかし「収益」は右とするならば増えるのは右と今は機械的に思っておこう。そして私は「売掛金」を「土地」の下の空いているスペースに書いた。これも本来は「現金」の下あたりだったらしいが、この時は江崎君は知っていながらあえて言わなかった。本来は短期的な流動資産が上に来る。固定資産類は下。それと同様に短期的な流動負債は上、借入金など長期間の返済時間がかかるものが項目の下に来る。おバカ用なので色々割愛してくれていたのだ。そして後から気持ちに余裕が出てきた時にきっちり指摘してくれた。

「じゃあこれで損益計算書上の儲けは?」

「二〇〇ですね」

「じゃあ二〇〇と損益計算書の費用の一番下に書いて‥‥その左横に『当期純利益』って書き添えてください」

「分かりました」

「貸借対照表上はどうなっていますか?」


「‥‥あ、左側が右よりちょうど二〇〇多くなっています」


え?あれ?あ、でも当然と言えば当然だけど‥‥

売掛金が三〇〇増えて、買掛金が一〇〇増えたのだから別に当たり前の話だけど‥‥

――――なにこの、不思議な心地よさ?二つの表に別々の項目を書いていって数字は一緒だからそりゃあ合うんでしょうけど‥‥


それと、当期純利益とは多分普通に儲かった、つまり、利益だよね。「二〇〇円儲かった」ということだ。そしてそれが貸借対照表にもきっちり反映して右側に二〇〇の差異が出ているではないか。なんだこれ??

何かの間違いかな?と思い、


「商売には電話が要りますから携帯買って通信料を支払いますね。じゃあ《通信費》一〇/《現金》一〇 にしておこうかな」


そうすると資産勘定の現金残高は四九〇円になり、費用勘定には新たに「通信費」が設けられて一〇円と記載した。当期純利益は一九〇円となり‥‥わあ!なにこれ??貸借対照表上の差異もきっちり一九〇になった。


「これ、連動します?ひょっとして‥‥」

「はい、その通り。一九〇の横は繰越利益剰余金です。角谷さんの好きな科目です」

いや、好きなんじゃなくて、私自身がマイナスな人という意味なんですけどね。

確かに自分で書いているのだからそうなるのは当然なんだけど、


――――何この気持ち良さ‥‥何このカタルシスは?


それは至極当然なことなのに、貸借対照表の左側で一〇減らし、損益計算書上の左、費用勘定に新規で一〇足す。そりゃあ、共に利益が一〇ずつ減るって当たり前やん、小学生でも分かることなのに、思わずニヤッとしてしまうような心の解放された感覚、そう、まさにカタルシスを感じた。昔、「性への目覚めは案外、変なもので目覚めたりするものだ」というのを聞いたことがある。ピノキオの鼻が嘘をつけば伸びるのを見て、男性器を想い興奮したという人もいた。

私は簿記で性的な興奮を覚えているの?いや、そちら方面ではない。しかし、ちがう方面で、この左右対称で一致し、性質の違う表同士でも一致し合うというところに知的な快感を覚えたことには違いがない。


「本当は損益計算書になる前に、各勘定科目は損益勘定に集められて、そこで当期純利益を出します。その当期純利益が振り替えられて、貸借対照表の繰越利益剰余金に行きます。この地点で、今まで役目を果たしてきた諸収益勘定たち、「売上」や「受取配当金」たち。あるいは諸費用勘定たち、「仕入」「支払手数料」「通信費」たちはゼロになるんです」

「ええ?それって記録残らないんじゃないんですか?去年との比較とかできないじゃないですか?」

「会計ソフト上では残っていますし、一年前の金額と比較したりして良くなった悪くなったはできます。けど簿記上では全て収益から損益を引いた当期純利益となり、繰越利益剰余金に加減算されるのみで引き継がれていきます」


「一年の成績がたった一行に変わる、のですね」

「その通りです」


恋愛が終わると、嫌なこと、腹立つ事、嬉しかったこと、笑ったことが、「思い出」という文字に変わっていく。それと同じことのように思えた。ただ私の場合はキレイなものではなく、かなり恨めしく、ヘドロみたいなのが多いので、やっぱりマイナスだとしか思えない。そしてそいつらは、

「つまり、貸借対照表は、ずっと消えないで残るのですね」

「そうです。貸借対照表は会社が存続し続ける限りずっと残り続けていきます」

私の中で言えば、黒歴史、というやつで残り続ける、ということか。

ここは私なりの歪んだ解釈をしたこともあって、吉山先生の授業内容をすぐに思い出せた。


男だ。ゴミ野郎だ。夢を「収益」に見立てて、実際に私にしてきたことを「費用」に見立てたら大赤字で廃棄した(別れた)というところを想像したんだっけ。そして廃棄損の赤字だけが損益計算書に記載されて、それが当期純損失になって、私の株主に対する私の運営内容の結果である繰越利益剰余金はマイナスになってしまい、株主である、お父さん、お母さん、阿須那にめっちゃ怒られているというシーン。そして私もその黒歴史の繰り返しに「クソが―!!」と心の中で泣きながら絶叫しているところ。


私、案外この部分の流れは、分かっていたのかも。

曲解しているけども、だいたいこんな感じでしょ。身をもって体験したことだから、しかも懲りずに何回も‥‥よって私の気持ちこの中の繰越剰余愛もマイナス・人間不信ってやつなのよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る