国宝級イケメンとの個人レッスン

おいしそ‥‥こりゃたまらん。


適当に江崎君と選んだ席で待っていると、テーブルに運ばれてきたのは、私がごちそうになる予定のイチゴが大量に敷き詰められてアクセントでブルーベリーがのっているタルトが十分の一カットされたものだった。。表面はゼリーがかけられていて、照明の輝きで艶々に見える。


一緒に運ばれてきたコーヒーから放たれるほろ苦い香りが鼻孔を擽る。もともとお店の中に入った時から香ばしい香りが漂っていたところを、さらに上書きして新鮮なコーヒーの香りが漂う。


こんなことで‥‥これぐらいのことで私の心が動かさられるなんてないわ。慣れているもん。こんなことで‥‥こんなことで‥‥



簡単に動いてしまった。

「超おいしいんだけど‥‥」

あのね‥‥多分別に普通に友達と来たら、ああ、おいしいイチゴのタルトだね、ぐらいのものなのよきっと。今前に座っている相手が悪い。



目の前にいる人、江崎君。照明の黄色がかった柔らかい光に照らし出され、柔和な笑顔で私を見ている。閉じ合わせた時にその濃さと長さを実感する睫毛。艶のある長めの前髪に隠れがちな、くっきりとした二重瞼ではあるけど、普通の時は少し細く感じる瞳。その色は黒曜石のようで、奥へ奥へと吸い込まれそう。キレイに整いスッと通った鼻筋。肌艶は化粧をしたようにキレイで、顎は芸術品の陶器のように美しい少し尖った三角と卵型の中間を見事に行く感じ‥‥


おいしい。味覚がどうかしたのかな?いつもより断然おいしく感じた。


でもガツガツと食べ進めていないか、少し恥ずかしくもなった。おいしいとどうも食べるのが早くなってしまう。


彼はそんなことまったく気にもとめないように、私をずっと笑顔で包んでくれていた。



しっかり餌付けされてしまった。

――――手の早い男なら、この次のタイミングで私を(ホテルへ)誘う打診が来る。あるいはここを出た直後に手を引いてくる。



それはしてほしくないなあ。。。江崎君はそんな男たちと一緒であって欲しくない。

さすがにそこは断れる余裕はあった。断ることにも慣れているし自信があった。ただそういうやり取りをこの完璧王子様の江崎君としたくないのだ。


夢なら夢のままで、終わらせて。。。


そんなことはおくびにも出さずに、他愛もない会話を少し交えながら、彼もホットコーヒーを楽しみ、パンケーキと抹茶小豆とソフトクリームがワンプレートにデコレーションされているスウィーツを堪能した。

彼は少し私より早く食べ終え、私もケーキを食べ終えたタイミングを見計らって、彼は切り出した。



「じゃあ」

来るのか?心の中で構えた。

「教科書とレジュメ出してみて」

「‥‥はい」

そっちか!!



そ‥‥そうだよね。私また変なこと考えてしまっていた。

あ痛~これまたしてやられましたわと言って、小膝を叩いてニッコリ笑うんじゃないけど、そういや勉強しにここに入ったんだよね。

ついついおいしいものを食べさせてもらったから条件反射的に次に来るのは‥‥と勝手に思い込んでいた。

暗いベッドの中でする勉強じゃなくて、明るい机の上でする勉強よね。


「アハ、アハハハ」

「どうしたの?」

「いや、何でもないです‥‥」

自分の思慮の常識外れさ加減に、いかに多くの時間を、そういうことだけを求めてくるくだらない男たちと過ごしてきてしまったのかを感じて、自嘲してしまった。




言われた通り、教科書とレジュメ、最低限の筆記用具と電卓も出した。どうせ江崎君の特別授業からは逃げも隠れも絶対にできないでしょうしね。

「じゃあ、まずどの辺りからいこうか?」

テーブル越しではあるけれど、江崎君が少し私の方へと前のめりになってきて顔と顔の距離が近づく。


本日最接近‥‥彼がしっかり教えるよ、という気持ちの現れだと思う。私は少し違う、悦びと戸惑いの下心的な気持ちが湧いてしまっていた。

「まず‥‥そうですね」

ええい、もじもじしていてももう始まらない。ここまで来たら私がどれだけおバカか曝け出すつもりで質問してやる!江崎君、想像以上のバカでごめんね!



「まず‥‥言葉がよく分からなかったです」

「どんな言葉ですか?」

「売掛金、買掛金‥‥」

こんな言葉日常的に使わないから。よくホストが「売掛の回収で‥‥」と良からぬことを客にさせるとかいうのは聞くけど、私はホストは行かないし、ホステスの世界でも売掛ってお店によってはあるって聞いたことがある。じゃあ何なん?売掛って‥‥?

「どんなイメージがありますか?」

どんなイメージ‥‥ううーん。


「売りかかっているのかなと‥‥」

私の言葉に彼は目を丸くして、「え?」と問い返してきた。


その刹那、思った。

ああっ‥‥きっと私、言ってはいけない一番おバカな答えをしたんだ。

半開きの口の口角が下がりへの字になっていくのを感じたが、そうじゃなかった。

「角谷さんのお家って何か商売しているのですか?」

「ほぇ?」

今日何度目かの、自分で自分が情けなくなるような間抜けな声が出た。


だって、売りかけているのか?に対してのアンサーが、角谷さんの家、商売しているの?だもん。なるって。質問の方向性がおかしいからそれに連ねて回答の方向性がおかしそうだもん。

「いや、そうなんですよ」

彼の口元に少し感情が入った笑顔が浮かんだように思った。

「はあ‥‥」

「凄いですね。商売の鉄則なんです、それ」

「そ、そうなんですか?」

「はい。どうしても物を売ってノルマをクリアしたら、もうそれで達成と思ってしまいがちなんですけどね、実際は集金して現金預金化して、一つの商売が完了する。これめちゃくちゃ大事なことなんですよ」


「あ‥‥はい‥‥けど、うちは、サラリーマンです」

「へぇ~じゃあ、角谷さんが商売のセンスあるんだと思います。売っただけじゃあ売りかかっているだけで売ったとは言えない。素晴らしい」


何が素晴らしいのかなあ‥‥ただ訳が分かっていないだけなんだけどなあ。


彼は目を細くして私に感心してくれているが、私は漫画で言えば後頭部に冷汗たらりの、前から見れば目の下に線がササッと何本も書かれている状態だ。


「あ、ごめんなさい。うちは商売をしているので、ちょっと素晴らしい商売哲学に触れてしまったので横道を逸れてしまいましたね。でも本当にあながち間違っていないんです」

「ええ?そうなんですか?」

「ええ。『掛け売り』って言うんですけど、後払い、なんですよ」

「後払い‥‥そんなことしていいんですか?」

違和感がある。コンビニに行って、これ今度支払います、なんて絶対通用しないもん。


「勿論信用がない相手にはできません。特定のお客様のみ。得意先様っていう取引先ですね。取引を何度もしていて贔屓にしてくれるだけでなく、信用に値するだけの信頼性がある時に、いちいち一か月のうちに何度も何度も売り買いするのに、その都度お金を支払っていては面倒臭くないですか?それが何軒もあるとしたら、どうですか?」

「面倒くさいかも‥‥しれません」

「それがさらに仕入れる人間や売ってくる人間が仕入代金の支払や売上代金を回収してくればいいですが、企業は大体違う人間がやっています。そのたびに担当者から請求書が回って来て、そのたびにオンライン決済とかあるいは現金持って支払いに行ってたりしたら、絶対に払ったか払っていないか、回収したかしていないか間違いが出てきますし、経理が忙しすぎて身持ちしないと思いませんか?」

「それは思いますね。いっぱい営業さんがいたら、きっとパンクします」

「その通り。だから得意先様には与信枠というのを儲けて、その範囲の中で掛け取引をするんです」

「なるほど‥‥」


ということはホストとかのあれは‥‥

「で、その月の締めから締めまでの間に発生した合計金額を、鑑(かがみ)と言われる請求書の表紙に合計金額を書いて送ったり、直接得意先様のところへ持って行ったりするんです。そうしたら、得意先様も『ああ、ここの会社とは今月これだけ取引したんだな』って、仕入先や販売先ごとに理解ができる」

「確かに‥‥」


え?となると、ホストたちの売掛金というのは、遊びに来たお姉さん方々に未だお金払ってもらってない分ってことだよね。さっき吉山先生の説明の中でもちょっと疑問に思ったんだけど、

「でも、そうなってくると‥‥」

溢れてくる疑問を素直に江崎君にぶつけてみる。

「はい」

「立替金や未収金、貸付金と何が違うんですか?」

「!」

「商品を売って、あるいは仕入れて、お金をまだもらっていない、あるいは払っていない。それなら、未収金や未払金、他にも立替金とか借入金とか‥‥何でもそういう科目で表せるんじゃないですか?」


高校の時の知っている子で、お水で勤めている子がいる。キャバクラは「売掛」というのは表立ってはないらしいが、太客相手にはあったりもする。クラブやラウンジというところには未だに「売掛」はあって、付けで飲ませて後日担当のホステスが回収するそうだ。


その子が言うには、集金の際に店の請求に上乗せして回収して、差分をピンはねするとかどうとかも言っていた。ただ、その子は「売掛」とは言わずに「未収」と言ってた。よく事件になっているホストのお店での付けは「売掛」と言う。どうも同義に思えた。

今度は彼が呆気に取られたのか茫然としていた。

また何か私、バカな質問をしてしまったのだろうか‥‥



「‥‥すごいなあ、角谷さん」

「え?」

「そんなことに気が付く人、あそこにいないんじゃないかな」

彼の目がキラキラと輝いていた。


というか怖くなってきた。これ以上私が私じゃないところへ行ってしまって、「とんでもなく賢い人」と思われてしまうことが凄く怖かった。


「いや、あの‥‥私はバカだから分からなくて‥‥」

「そうなんだよ」

「はい?」

私はやっぱりバカですか?念押ししましたか、今?‥‥いや、そこじゃないようだ。そんな失礼なこと江崎君がしてくるわけがない。してくれたほうがまだマシかもしれない。ある意味今のこの状態はバカの私には天然の拷問チックだ。なにが拷問かって?

バカなのに一つ二つのまぐれで賢い人に思われて、その後真正バカがバレて愕然とされてしまう逆ギャップが発生すること、が拷問なの。


男相手に逆ギャップを感じたことが何度もあった。あれを感じてしまうと恋愛が初期段階なら、結構終わってしまう可能性が高い。

江崎君とは恋愛じゃないけど、そうじゃなくても逆ギャップを相手に感じさせるようなことがあれば相手との円滑な人間関係に支障をきたす可能性がある。最初からそういうのは控えたい。


「立替金も貸付金も売掛金も未収金も全部資産勘定なんです」

「は‥‥はあ」


内心ビビり散らかしている私を気にすることなく、どんどんと説明を進めていく。

「だから勘定科目をもっと大まかにしたならば『諸資産』『諸負債』ってなるんだけど、そうなるとさっき角谷さんが言った『未収金』も『売掛金』もごっちゃになる」

ああ、資産勘定とか‥‥その辺りも分からなかったなあ。


「どれを使っても流動資産だから同じなんだけど、ただ『売掛金』というやつは、本業、つまり会社が社内業務として生業の主軸としてやっていることの未回収金。あるいはちょっと飛躍しているかもしれないけど、商品を売ったお金を取りたてずにその間貸付けておく、『貸付金』なんだと、ちょっと僕も自信ないけど確かそうだったと思う」


さすがに私の頭のキャパがオーバーしたようで、かなり江崎君の口からいただいたありがたいお言葉もボロボロと脳みそに入らずに溢れ落ちた気がした。思わず笑顔のまま、首を傾げてしまった。


それを見て、口元を手で押さえてクスクス笑った。でもバカにされている感じは全くしなかったし、彼は例えを出してくれた。

「売掛金は、例えば角谷さんのお父さんがしている仕事が商売だったとして、その商売をしてお金を支払ってもらう権利が売掛金。サイドビジネスで配当金的なものがもらえることもしていたとして、その金額が分かっているけど、まだもらえていない時に先に計上するのが『未収金』かな。あんまりここはかっちりと僕の言っていることを鵜呑みにしないでくださいね。でもだいたいイメージではそんな感じです」


お父さんが‥‥お父さんが‥‥じゃあこの手元にある電卓を売っていたとしよう。この電卓を江崎君に売った。でもまた他の電卓も次から次へと今月買うから、付けで売る。江崎君だから信用はめちゃくちゃある。絶対に大丈夫。この売上が「売掛金」になるんだ。でもお父さん株やってる。上がっているんだか下がっているんだか微妙な株。配当金はあるみたい。その金額が確定した段階で、経理上記帳しておくとしたら、「未収金」かあ。。。そういうことか。

「今の‥‥すごく分かりました」

「よかった」


まるで漫画の中の素敵な先輩が、後輩に熱心に指導して、やっとできたときに見せてくれる笑顔だった。

だからか‥‥


《売掛金》××/《売上》×× 


という仕訳が出てくる理由。

すごく分かった。売っているんだ。確かに売った。けど私が言ったあながち間違いじゃない『売りかかっている』のだ。江崎君が言うに商売の哲学では、回収してなんぼ、とするならお金はまだ回収していないわけだから、哲学上の意味では売りかかっているんだ。けど、


《現金預金》××/《売掛金》×× となって回収されるんだね。

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