今度、唐揚げ一緒に食べに来ようよ

四号館の建物を出て、車通りのほぼない四車線道路を軽く左右を見てから横断する。来た道とはまた違う道から帰ろうとしていたその時、



「お疲れ様です」

「あ‥‥」

誰かから呼び止められた‥‥誰かじゃない。


もうその声で分かっていた。耳をくすぐりながら入って私の脳を揺らす低い声、江崎君だった。


何も許可していないのに、均整の取れた細長い身体がスッと私の横に並ぶ。そもそも許可不許可のジャッジなんて私にはできなかった。


そして今日テレビの夜九時から見るドラマの主役のイケメンスターか、はたまた少女漫画の主人公のお相手役で完璧な王子様の持つ雰囲気が、隣の私を包み込み、そのまま二人並んで歩き出した。心の中の私はどんどん身体が小型化して行って、今は身長一二〇センチぐらいになっている気がしていた。



「即効で教室出て行きましたよね」

澄み切った笑顔のまま、彼はそう言った。

「え?」

表情は善良そのものだったけど、ちょっと私の悪態を突いてきたのかな?という気がチクリと胸に刺さった。

「吉山先生どう思います?僕は良い感じでしたよ。なんか結構自分のこと曝け出して喋ってくれるなって思いました」

悪態を突く‥‥そんなことはないか。気のせいか。

でもそうであっても仕方ない。悪態だらけの醜態まみれの、繰越剰余愛はマイナスの私なのだから。



それにこんな王子様がせっかく私に話しかけて来てくれているんだから、何が目的かはともかくとして、この場だけでも楽しくお話しておかないと。


「良い感じの先生でしたよね。何か、ここ(専門学校)で奥さんと知り合ったみたいなこと言ってましたもんね」

「あはは、言ってたね」

笑ってくれた。この内容は返答として良かったのだろうかと検証する。奥さん‥‥その前は恋人。それはここ(専門学校)で知り合った。ああ、それってひょっとして「私もそうしたいです、是非お願いします」みたいな、ど厚かましい意味になってるんじゃない??


――――ええ?それヤバいよ‥‥どうしよう、どっかでそうじゃないってしとかないと、変な誤解与えたらダメだよ。



ちなみにナンパされたことは何度もある。

ナンパならガン無視でいい。何を言われても無視。とにかくさくさく歩けばいい。どんな気になることを言われても、どんな自分に当てはまることを言われてもとにかく無視。その場を離れることだけでいい。



しかし相手はクラスメイトで、しかも国宝級のイケメンで性格まで素敵そうな人、そして最大のウィークポイントは、真横だということ。つまりご近所様だ。


スクールカーストが以前のように存在して、中学時代の木村みたいなキモい奴ならとにかく無視して、たとえ隣同士でも先生が答え合わせを隣同士でしてくださいって言ったって無視して、しなければいい。


しかしここにはスクールカーストは存在せず、むしろ私は底辺気味で、そしてひょっとしたら授業の進行上協力しないといけないポジション。返答はシビアを極めそうだ。今の私にとって正しい返答というのは針の穴を通すようなものか、もう言いなりになってずっとニコニコしている、しかないように思えてきた。


「昔すっごいスパルタだったんだよね。そんな専門学校があるだなんて初めて知ったよ」

「うん」

笑顔で、しかない。いやでもこれはマズイ。言っておきながらマズイって私。これから長くお付き合いするご近所様なんだから。


そう、最低限楽しくはしておかないと。

「回答できるまで、帰れないとかあったって言ってましたもんね。あんなの今あったら角谷さんどうします?」

「いやー私、何日も家に帰れません」


彼と話している途中で、気づかれないように周囲に視線をやる。時には気づかれてもいいから後ろにも。クラスメイトの誰かが見ていないだろうか。見られていたらなんだってのはないけど、何となく。


特に『狙うんだから』って言ってた子‥‥後ろ二人で歩いているあの子、ひょっとしたら、そうかも。あんまりじっと見ると逆におかしいので、ほんのチラ見ですぐに前へ向き直ったから、後ろの人は幻覚でそう見えたのかもしれない。


けど、気配としては似ていた気がする。だとすれば怨念を帯びた視線が槍のように飛んできて、私を突き刺すんだろうなと想像する。もう何年か早く、もう何年分か経験がなかったら、夢中で『やあやあ我こそは!!』と飛んでくる槍を跳ねのけて、戦う姿勢を見せていただろう。


「どうしたんですか?」

「はぇ?ああ、いや、何かちょっと‥‥」

後ろ振り返ったことを訝しがられて指摘されてしまった。

その時咄嗟に目に入ったもの。お昼一番の話題。。。

「あ、あそこ」

「うん?」

二人とも同時に立ち止って、私はある四つ角の黒い門構えのお店を指差した。

「あそこの唐揚げ定食食べたんです」

「‥‥へぇ、どんなのかな?」

彼は踵を返して、今はお昼休み中のお店の玄関に向かって歩いた。


メニューはまだ表にでているのだ。私も彼についていく。古い長屋を改造して作った古民家風鶏料理居酒屋、と言ったところだろうか。記名代の上にはランチの時は待ち順の表だったが、今は見て行ってくださいと言わんばかりに夜のメニューが載っている。

「どれもおいしそう‥‥でも唐揚げ定食の写真はないですね」

「ああ‥‥もう引き上げてしまってるんですね。私が見た時はここに」

そう、もう一つ小さなテーブルが出ていて、そこに実際作られたものがラップを被せられて乗っていた。一つは私の食べた鶏モモ肉の唐揚げ。もう一つははっきりとは覚えていないが鶏もも肉のチーズ焼きだったように思う。

「どんなのでした?」

「ええっと、確か唐揚げが三個」

「三個‥‥って少なくないですか?女性だからそれぐらいでいいのかな」

「いや、三個ってこれぐらいのが三個です」

手でサイズを示す。

「嘘‥‥めっちゃ大きいですね」

そう、めっちゃ大きいのだ。両手の中指同士がドッキングしないサイズ感だ。三個って言ったら私もそれだけ聞いたら個数的に残念だ。けどサイズ見たらあれは四個はお昼に食べるとその後もう何もできなくなるぐらいキツイものだ。

「うん、しかも写真じゃなかったから、現物展示してあったから信用できるなって思って入って頼んだら、やっぱりそのもののサイズでした」

「ああ、あるよね。写真で大きいって思って、お店入って頼んでみたらそうでもなかったっていう残念感」

「そうそうそう‥‥あの残念感は避けたいですよね。だから現物を作って表に出しているんだから間違いないって思いました」

「昔バンドやっていた時に、夜、練習帰りに寄ったお店の玄関で見た‥‥」



残念感の思い出話をしている彼の横、少し離れた、道路の丁度反対側、私たちが左端というのなら向こうは右端を、あの子たちが通っていった。

もう一人女の子がいて、友達と帰っている途中という感じか。


目が合った。

見てくる目は私のフィルターを通せばジト目に見える。


私が見ていることを向こうも認識した。

そして彼も目線が違うところにある私に気が付き、私の見ている方を見た。彼女は「ハッ」となり、少し微笑んで会釈をした。

つられて隣の女子も私たちに会釈した。

彼はあの春のそよ風のような優しい笑顔で彼女たちに会釈を返していた。私も会釈をしたがどんな顔をしていたのだろうか。。。


――――これは完全に‥‥

私が彼をゲットしにかかっていると思われてしまったようだ。


会釈する前のあの目は「ふーん、そうなんだ。やるわね」だった。私の先制攻撃を様子見するかのようだった。そこまでは事実に近い話だ。しかし繰越剰余愛がマイナスの私は人間不信のため、こういうふうに思ってしまうのだ。



アンタなんてなんぼのもんよ。二十歳で既に女としての人生の大失敗やらかした分際で。彼の横にいるなんてど厚かましいのよ、さっさとどきなさい、この汚らわしいヤリ〇〇が!


あいつもそこそこ遊んでいると思う、多分。

話してみないと分からないけど。けど、確かに私ほどの失敗はしていないと思う。どっちが相応しいかと言えば彼女の方だと思う。


そもそもそんなつもりは全然ないのに‥‥どうして勉強一徹で頑張ろうとしている時にこんなことになっちゃうんだろう。。。


「今度一緒に食べに来ようよ」

「へ?あ‥‥ええ?」

意識が『辛気臭い繰越剰余愛マイナスの泉』の中から彼によってズポっと抜きあげられた気がしてキョトンとしてしまった。


どうやらマイナスの私に、彼の年間二兆円分ほどあるだろう彼の繰越剰余愛を、一部配当してくれるそうだ‥‥て、おいおい??


「って、あの?え?あの?え?」

言葉になってない。

意味を知りたくなったから。

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