問題編 10 不十分である真実

 久乃は台に体重を預けた。引き分けることが出来たが最悪の結末だった。全てが七海が思い描いた通りの展開になってしまった。最初からどうやって推理を展開すればこの結末を避けることが出来たのかも分からない。


 着慣れない着物を脱ぎ終わり、今度は着慣れないスーツに着替えて楽屋の椅子に腰かけた。ゲームは終わってもう考えなくてもいいはずなのにずっと考えてしまっていた。


「奇想天外の叙述家君、君は素晴らしい働きをしてくれたよ。きちんと推理を展開してくれたおかげで会場は大盛り上がりだった」


 着替え終わった七海が久乃の元にやってきた。彼女は引き分けになったのにも関わらず、勝ったかのような足取りだった。


「それは何よりだ」


 久乃はさっきのゲームを振り返ることを優先にして、無表情に返事をしてしまう。


「今回は引き分けという形に出来て良かったよ。君も私も負けなかったし、犯人たちはもうこの世にはいない。誰もが幸福な結末だ」


「本当にそう思っているのか?」


「君が黒のカードを手に取っていたら何を書くつもりだったの」


「もちろん、藤堂が犯人だ。矛盾のない推理だってある。それを披露する前に全部台無しにされた。そもそも最後はそれを披露してくれると思っていた。どうしてその推理をしなかったんだ?」


「確かに合格点だ。でも、満点は上げられない。延長戦でもしようか。その理由について考えてきてみてよ」


「どういうことだ?」


 合格点と満点がどの水準で定義されているか分からなかった。


「君が辿りついている真実は不十分だってことだよ。それだけは教えておく」


 七海は用意されていたコーヒーを飲んで一息つく。石田は荷物をまとめて部屋の隅に寄せていた。久乃もとりあえずコーヒーを飲むことにした。

 楽屋の天井の模様を眺めながら自分の推理に間違いがないか考える。舞台の上で推理を交わした自分がまるで他人のような気がした。


「何か次の作品のアイディアは出てきそうかい?」

 七海は尋ねる。


「奇妙な体験をしても出てくるわけではなさそうだ」

 久乃は首を横に振った。今は負けを認めることしかできなかった。


 扉を叩く音がした。

 森慧に付き添われた早希がやってきた。その後ろには複数人の黒服を着た男が控えている。


「今日の推理はありがとうございます」


「いえいえ、どういたしまして。それで推理はどうだった?」


「…………」


「納得は出来ていないみたいね」


 七海は何も言わない早希に頷きながら言う。無理もなかった。全てが呪いなんてもので説明されて納得できるはずもない。


「もし私が述べた真実が間違っていて、他に真実があるとするのならばどんな真実であっても受け入れることはできる?」


「…………ええ、どんな真実だとしても受け入れるつもりでいます」


 依頼人の目には覚悟があった。


「最初に確認だけど、あなたは本当にその事件の時の記憶がないのね」


「はい、事件の後病院で寝ていて、森慧様に身柄を引き取っていただきました。その後に藤堂様からこの手記が送られてきました。事件が起きる以前の記憶については何も覚えていません」


 早希は首を横に振る。その時に七海は何かいいことを閃いた顔をして、指を鳴らした。


「本当の真実について後日、久乃君に推理してもらうことにしよう。依頼人も探偵も真実を知りたがっている。これこそ本当の推理小説だ。霧華、もちろんいいよね?」


 七海は両手の人差し指を合わせながら森慧に尋ねる。


「もちろん」


 森慧は快諾してしまった。久乃は未だに何が間違っているか分からないまま、宿題を持って帰っても真相に辿りつける気がしなかった。


「そっちが勝手にすればいい。ゲームでは引き分けだけど、明らかにこっちの負けだった。ここで真相を語れば終わりだろう?」


 赤のカードを気まぐれで切らなかったから引き分けになっただけだった。完全に敗北していた。さっきの推理についても反論の余地が残っていたことになる。


「そうか。君が負けを認めるというのなら賞金は私がもらうことになるけれどいいかな。君は色々とお金には苦労しているでしょう。ここでもうひと頑張りすれば森慧もきっとパトロンになってくれるかもしれない」


「それは強迫か?」


「提案だよ。友達として、もう一度この舞台に立てる人間であることを皆に知ってもらいたいんだ。私の想像通りの推理をしてくれた。でも私は私の想像を超える相手とも遊びたいんだ。私が否定できない推理をいつか聞ける相手が欲しいなって思うの。悪くはない提案だと思うんだけどなあ」


 七海は久乃の顔を覗き込む。目は輝いていた。久乃は敗北感を飲み込めずにいたが、もう一度与えてもらったチャンスを捨ててしまうほど感情的にはなっていなかった。


「分かった。それでお願いしたい。自分の間違いは自分で正したい」


 久乃は頭を下げた。こうなったのは自分の至らなさ故だった。あの時にすぐに反証を述べることが出来れば依頼人の目的は達成できていた。七海と森慧は微笑んで顔を見合わせる。


「それじゃあ、一週間後にここに集合にしましょうか。無限に時間があったとしても良いアイディアが浮かぶとは限らない。ここをタイムリミットにしよう。折角だから舞台をもう一度セットしてもらおうか」


 七海と森慧は相変わらずよく目を合わせていた。久乃は一度頭から事件の事から頭を離すために意識を楽屋の白い壁に向けることにした。



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