解決編 9 奇譚

 黒のカードを手に取ったということはこのゲームが七海の手番で終わることを意味していた。七海は静かにカードを台に置くと記入を始める。手元の動きを観察して赤のカードに入れ替えていないか確かめる。


「もう推理はの時間は終わりにするのか」


「ああ、全ての準備が整った。ここまでの推理が必要だった」


 七海の言葉に再び久乃の背筋が寒くなる。


「君は全ての間違った推理を否定していけば唯一存在する真実に辿りつけると思っている。だから、間違った推理をして、最終的に私に正しい推理をさせようとしていた。そうすればきっと正しい唯一の答えが出てくると思っていたんだろう」


「知っているかのように言うんだな」


「だって、一巡目の時は一つの共犯説じゃなくて全ての共犯説を提示した。それは次の番で私に他の共犯説をとられると自分の手番を無駄に消費するだけだったから。二巡目の時に手番を回すことが出来たけれど、嫌そうな表情をしていたから分かる」


「それで真実は唯一ではないとでも言いたいのか?」


 久乃は首を傾げる。犯人を特定することは出来ていた。他に真実があるとは思えない。前の二度の手番よりも推理の内容が予想できない。


「いや、ある事件についての真実が一つあるというのは間違っていない。それは全ての情報が完全に揃った時だけ成立する。でも、このゲームは違うんだ。白紙の物語は最初は全ての可能性を含んでいる。そこから文字が増えて可能性が一つずつ減っていく。もしも語部のエピソードに不備があったらどうなるだろう」


「真偽の判定が出来ない二つ目の推理が出てくるということか」


 七海が何をしようとしているのか分かった。黒のカードと見せかけて赤のカードを出す行為がずっと優しく見える。手記の不備から真偽判定不可能な二つの真実を並べようとしている。


「その通り。私と君とで四回推理をして、その仮定を足し合わせると導ける推理があるんだ。私はその道筋に君を誘導した。迷宮の出口は一つだなんて誰が決めたのかい?」


 久乃は何も言うことが出来なかった。七海の言葉は何も間違っていない。


「私はここで論理的に正しい偽の推理を出してゲームを終わらせる。こうやって世界に一つ不思議な物語が生まれるの」


 七海は幸せそうだった。森慧が不思議な物語を求めているのに真実を求める賭博をしているのが納得できなかったが、語部の言葉から導くことが出来る奇譚を生み出そうとするのであれば納得できる。


「ここまでは全て七海の計算だというのか。論理の女王は今夜も新しい怪奇を生み出すのか」


 会場の熱気は最高潮に達する。全てはここまで伏線で久乃はただ操り人形のように踊らされていた。ただ、この推理を否定することが出来れば勝つことが出来る。

 七海はカードを書き終えて、空を見上げた。


「今日は素晴らしい日だ。ありがとう」


「それでは推理を披露してください」


 高野の言葉に頷いてから七海はカードを反転させた。


『五龍の呪は存在した』とカードには書かれていた。

 そして、推理の詳細を語るため七海は短く息を吸った。久乃は七海がこれから語る推理の内容に意識を集中させる。


「さて、最初の推理で五人のうち一人が全員を殺害できないこと、二つ目の推理で五人はそれぞれ単独犯でなければならないこと、三つ目の推理で生贄の死体を二度使えないこと、四つ目の推理で館の人間が犯人であることを証明したね。それぞれを満たせば推理としては間違っていない。

 私は君の言う通り、藤堂の手によって生贄が逃がされたと考えている。そして逃げ出したことによって事件が発生した。なぜなら、五人の巫女は呪われているから」


 この二十一世紀に七海は堂々と呪いの存在を宣言することに対して久乃は言葉を挟む。


「そんな非科学的なものがあってもいいのか?」


「いいや、呪いという言葉が気に入らないのであれば適当な科学的な用語を当て嵌めておけばいい。大切なことは起きた出来事なんだ」


 七海は久乃に反論すると再び推理に戻る。


「黒のカードを出したから他の可能性について排除しておこうか。藤堂は自分が犯人であればこのような手記を残す必要がない。そして、早希は館で待機していたから犯行は不可能だ。


 藤堂は灯紗に生贄の死体を生贄が死んだことを証言してもらうためだ。酒で判断力が落ちていたからこそ灯紗が選ばれた。夜に逃げ出すよりも朝になってから山道を通った方が安全だから夜は祠の中にいた。ここまでは何も間違っていないでしょう」


「そうだな」

 久乃は自分のした推理に頷くことしかできなかった。


「毒殺の失敗によって生き延びた生贄によって五龍の呪を引き起こされた。それは五人は互いに殺し合ったというものだった。あまりにも奇想天外だ。犯人と被害者は一致していて閉じていたから犯人は存在しないということね」


「そんなことがあり得るの?」

 あまりにも無理な推理に早希は口を開いた。


「それがあり得るかどうかを議論するのではなくて、あり得ないことを証明しなくてはいけない。私は黒のカードを出している。二人で相談して反証を見つけてもいい」


 七海は平然と答えたが、その解答に早希はどうすればいいのか分からずに久乃の顔を見た。久乃もまだ反証が出来ないので続きを聞くことにした。


「それじゃあきちんとした推理を教えてもらってもいいか。流石に可能性だけ提示するのはフェアではない。誰が誰をどのように殺害したのかを答えてもらおうか。共犯説を出した人間が言えることじゃないがな」

 

「もちろん、きちんとした推理がなければ意味がない。きちんと矛盾がない推理を用意しているよ。

 この推理で最初に考えるのは言われた通り誰が誰を殺害したかという問題だ。相剋の関係で殺人が成立しないのは確かだ。そして灯紗と流季の殺害は凶器の性質上、死者となっても殺人が実行できる。毒はポットのどこかに仕掛けておけばいいし、炎も時限発火装置を作ればいい」


「そういうことか」


 久乃は唇を噛んだ。全て存在しないことを証明できない。どれだけ無理のある推理であっても、反証が存在しない限り真実になる。


「塔那の殺人は灯紗にしか行うことが出来ない。そうすると塔那が錦花を殺害し、錦花が流季を殺害し、流季が橙莉を殺害し、橙莉が灯紗を殺害し、灯紗が塔那を殺害した。ちょうど相生の関係だ。これ以外の可能性はあるかもしれないけれど、こっちの方が綺麗だ」


 気を利かせてプロジェクターに再び五行図が映し出される。

 塔那による錦花の殺人も成り立つことが示されていたし流季によって橙莉が殺害される可能性も示されていた。灯紗による塔那の殺人に関しても実行には問題ない。残るは時限的な仕掛けの流季と灯紗の殺人だった。


「それじゃあ、流季と灯紗の殺人についてどのように殺人を実行したのか教えてもらおうか」


「ええ、流季は自分一人の水差しに水を入れて飲んでいた。直接毒を盛ったのではなく、水差しの内壁に張り付いて水を補充した時に毒が解けるようにしていた。

 灯紗は手紙などで事件の最中に呼び出された。理由は適当につければいい。しかし、台座の中に発火装置が仕込まれていた。毒針によって昏倒した後にその後の時限装置が作動して燃えた。もちろん建物ごと燃えるから証拠は残らない」


 推理としてあまりにも辻褄合わせだったが、否定が出来ない。久乃は何も言葉を発することなく推理を振り返るが、有効な一手が打てなかった。


「あまりにも不合理だ。そんな偶然があって良いわけがない」


「天文学的に低い確率だったとしても起こり得る可能性が残っていたことが重要なんだよ。私はそれを針小棒大に語るだけ」


「こんな人間が探偵を名乗っていていいのか」


「私は論理を尊重するけれど、真実は尊重しない」


 循環殺人の心理的な不合理は全て五龍の呪に押し込められている。久乃は黙ったまま立ち尽くす。こんな推理が通って良いのだろうか。久乃は真実に辿りつくことが出来ていた。これよりもずっと筋が通った説明だったが、これを否定できなければ自分の手番は回ってこない。


「奇想天外の叙述家は反証を述べられないか」

 高野が観客を煽り立てる。久乃はその間も何度も推理を振り返るが間違っている点を見つけることが出来ない。七海の言葉を時折思い出しながら、正解が唯一しかないと思い込んでいたことを悔やむ。


 考えれば考えるほどに辻褄合わせの推理に瑕疵はない。観客の声も遠くなって目の前の景色には七海が満足げに立っている。


 どれほどの時間が経ったの分からなかった。


「この推理は間違っていない。真実だ」

 久乃は手を挙げて、七海の推理を真実と認めるしかなかった。


「そう。これが真実なんだ」


 七海はカードを反転させると黒の面が現れた。


 「二人の探偵が真実に合意したことで終幕だ。二人の名探偵にもう一度皆様拍手をお願いいたします」


 会場は拍手に包まれる七海は観客の方へ歩いてお辞儀をして回る。久乃は呆然と立ち尽くしながらその背中を見ることしかできなかった。


「それではギャンブルの結果を発表しますので、皆様最後までお付き合いください」


 降りていく緞帳の前に高野が出ていく。誰も真実の内容について気にも留めていなかった。ただ、娯楽として実現可能で最も奇想天外な結末に満足していた。


「次も二人で素敵な真実を作りましょうね」


 七海はそう言って舞台袖へと戻った。


 

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