解決編 3 五重推理の否定

「それで反証を述べてもらってもいいかしら」


 七海は久乃の態度を疑っていた。いつも久乃が読まされていた犯人当ての問題のレベルと比較するとあまりにも否定することが簡単な推理だった。


「そうだな……」


 久乃は集中できていないかの容易に天を仰いだ。全く反証を述べる気配はない様子に会場は怪訝な目を向ける。


「久乃が沈黙する。五重の推理の全てに反証が用意できないのか」

 高野が言うと会場の緊張感はさらに高まる。


「本当に否定できないのかしら。あなたはきっと分かると思っていたのに。これはチュートリアルよ。このゲームがどういうルールであるかを一度体験してもらえるように難易度を調整したのに」


 七海は久乃を観察する。久乃は会場の雰囲気など全く気にかけていない素振りをしていたが、内心ではこの後にこの会場の観客たちにどうにかされるのではないかと想像する程度には緊張していた。


「本当にこの否定で問題ないか考えている。テストを解き終わった後に見直すようにね。反証を述べたとしても間違っていれば意味はない。このゲームは適当な反証を赦してくれないだろう」


 それだけ言って久乃は再び沈黙する。


「早く反証をしてくれ」

「分からないなら分からないと言え。大人だろ」

「どこの馬鹿がこの馬鹿を連れて来た」


 七海と森慧に流れ弾が当たる。森慧は済ました表情を保っていたけれど、七海の顔の筋が少しだけ動いた。久乃は少しだけ申し訳なさそうな顔をした。


 観客たちは全く反証を述べようとしない男によって勝手に不安になっていく。


「一つ提案をしたい」


 七海が手を挙げて高野に尋ねる。


「三分設定してそれまでに反証を述べなかったら負けにしてもらってもいい?」


 高野も左右を見渡してこのルールを設定するしかないことを確かめる。


「そうですね。この調子だと終わらないので、そうしましょう。よろしいですか。久乃様」


 久乃はすぐに頷いた。

「もちろん、このルールはこの後も適応することにしようか。こっちだけ時間制限は公平じゃない。このゲームは論理的で公平なゲームなのだろう?」


「まさか、最初からこれを狙っていたの?」


 七海は少しだけ驚き目を丸くすると久乃は肩を竦めた。

 

「単純に推理だけで勝てるとは思っていない。最初の簡単な推理で時間制限を作ってそこからこっちが推理をぶつけることにした。少しでも早く全ての可能性が否定できるようにね」


 この迷路を抜け出すためには交互に推理と反証を繰り返して、目の前の探偵に黒のカードを手に取らせて、正しい推理を通すしかない。


「これが初心者の戦術なのか。反証が出来る推理で意図的に遅延行為を行って時間制限を設けさせた」


 高野が言うと奥のスクリーンにタイマーが映し出される。


「ゲームを楽しむつもりになったの?」


「いいや、真実に辿りつくかこのゲームに勝つか、そのどちらかを達成するためだ。最悪二人で手を離さなければ真実には辿りつける」


「時間制限を作ったのは立派だけど、自分の心配をした方がいいよ。先に時間切れで負けるのはあなたよ」


 七海は言うと久乃は手を挙げた。


「時間制限の前に反証を述べようか」


 その瞬間にタイマーが停止した。

 そして久乃は反証を始めた。


「五人は普通の人間であれば全員を殺害することは物理的に可能だ。でも、五人は普通の人間ではなくとある規則によって縛られている。

 そもそも、儀式の時にどうして一人で行うことが出来るお茶の用意を複数人だったか。それは儀式だからやむを得ないとしても塔那が動物性の素材しか使っていないのか。灯紗がどうして水を飲まないのか。橙莉がどうして朝食の途中で支度をやめたのか。不可解な行動の原理が説明できていない。そして何よりも儀式のときに塔那が茶碗の箱を持って来ないで水差しを持って、流季が木箱に入った茶碗を持ってきたのだろうか。いくらでも不自然な点がある。どうして残された炊事場の用意を見て料理していたのが橙莉だと推測できたのだろうか」

 

 七海は反証を静かに聞いていた。


「彼女たちは五行で相剋となる関係の物質を取り扱うことが出来ない。そう考えると妥当だろう。

火剋金、火は金属を溶かす。金剋木、金属の道具は木を傷つけることが出来る。木剋土、木は土に根を張る。土剋水、土は水を濁す。水剋火、水は火を消し止める。生贄に振舞う茶を用意するのに工程を区切っていた。塔那の服装は全て動物由来の繊維だった。灯花は喉が渇いたにも関わらず、テーブルの水には触れずに、茶を入れてもらっていた。そして、流季は直接土由来の物に触れらえないし、橙莉は金属製のものを使えない。だから茹でられた野菜は笊に挙げられたままで切られていなかった。


 今回の事件は五龍の呪に沿って行われたために、それぞれの五行と相剋になる素材からなる凶器が使用されている。灯花は水を使うことが出来ず、流季は壺に触れることが出来ない、塔那は麻のロープを使えないし、橙莉はナイフに触れることが出来ない。そして、錦花は火を使うことが出来ない。


 それ故に誰も犯人に成り得ない。


 我々にとって不合理である儀式を五人はきちんと伝承に則って行っていた。従ってこのルールが不合理であってもきちんと従う。何よりも五龍の呪を誰よりも信じていたのは五人の巫女たちだ」


 久乃は推理を述べると一息ついた。七海はきちんと久乃の反証に耳を傾けていた。

 観客席からも拍手がした。

「やればできるじゃないか」

「ここから名推理まで聴かせてくれ」


「ただ、五重の推理であったとしても反証が一つならそれは実質一つの推理だ。これは五重の推理なんかじゃない。それぞれが出来ない理由を述べても良かったけれど、これが端的で明解だ」

 久乃はそれだけ付け加える。


準備は整った。五重推理の反証を考えるふりをして七海の口から時間制限を追加させた。自分が言ったルールである以上撤回することもできない。次の攻撃で確実に七海を仕留められるなら仕留めたかった。


「それではカードを裏返してください。これで黒であれば七海様の敗北です」

 七海は赤色の札を挙げた。


『五人は自分の相剋の関係となる五行に触れることができない』

そこには久乃が述べた通りの反証が書かれていた。


「さて、頭はあったまったかい?」

 七海はそう言った後、ダジャレになっていることに気が付いて微笑んでいた。

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