解決編 1 ルール

「手記は以上となります」


 そう言って早希は頭を下げた。

 会場の緊張感が解けた。観客たちは立ち上がって拍手を送る。


「素晴らしい謎をありがとう」

「実にいい語りだった」


 声援も送られたが早希は全く表情を変えずに一礼下がって最初の立ち位置に戻った。記憶を失う前の唯一の手掛かりがこのような惨劇であることにどんな表情をすればいいか久乃は分からなかった。


「なるほど」


 七海は一人で頷いていた。宙を見ながら人差し指と親指をこすり合わせている。単純に問題として割り切れていそうだった。

 内容は犯人当ての小説であり、その長さは中編程度であり、三人称で書かれている。特別な仕掛けは一切ないように見える。


 ただ、解決編は用意されておらず、ゲームの特性上、偽の解決を提示しなければならない。七海は全く悩んでいる様子はなかった。真相の推理は終わって、偽の推理を考えているようにも見える。

 久乃も偽の推理を考えていたが、全く騙せるような気がしない。


「犯人は分かったか?」


 久乃は尋ねると七海は肩を竦めた。


「どうだろうね。逆にそっちは解けたのかい?」

「それは秘密だ」


 久乃は犯人を特定することは出来ていた。推理小説の文脈で読めばこの可能性しかない。問題は偽の推理を並べられたときの反証だった。真実を述べる前にそこで詰まされる可能性が残っている。


「それでは先攻後攻をくじで決めましょう」


 高野の手元には二本のくじが入った箱があった。

 先に攻撃して赤のカードに書かれた推理の反証をできなくすれば勝ちなので、先攻をとるだけで勝利に近づく。ゲームとしてバランスは取れていない。

 森慧は舞台を見下ろしていた。残虐な死体が登場した場面でも全く表情が変わらなかった。ただ人形のように座りながら二人を見下ろしていた。

 久乃にはこの空間の異常性に慣れることが出来ないままだった。


「私が先攻だ」


 七海が引いたくじの先が赤く塗られていた。


「初めにこのゲームのやり方を教えてあげる。これはただの推理ゲームじゃないってことも含めてね」


 七海がくじを箱の中に戻すと高野はその箱を舞台袖へと移動させた。


「このゲームは先攻有利じゃないか」


「そうでもないよ。君が仮に黒のカードを手に取って真相を記入したとしても私はそれを否定して台無しにすれば負けになる」


 七海は久乃の目をまっすぐに見て言う。


「適当な反証では反則になる」


「そもそも、他の可能性が棄却できていない推理にどれほどの価値があるんだろうね。真実だけ述べられても他の可能性が否定できていなければそれは仮説の一つ。真実は逃げない。ゲームはきちんと遊びつくさないとね」


 久乃はこの事件の真実について推理は出来ていたけれど、その推理は完全であると断言することはできない。それに七海の言う通り、他の可能性を棄却しない限り、真実として述べても仮説の域を出ることはない。


 黒のカードに迂闊に手が出せなくなった。


 そして、どうやって勝利に辿りつくかも見通せない。それでも、何もできないまま、引き下がるわけにもいかない。

 久乃は口元に左手を当てて考える。


「何を考えているのかしら。あとで沢山教えて」

 七海は尋ねると久乃は長く息を吐いた。


「確かに黒のカードを手に取って無敗の論理女王が一度推理するだけで終わりというのはあまりにも面白くない」


「私が赤のカードを出して最初の簡単な推理に反論できないいということにしてもいいよ」


「一回推理するだけでいいのなら後攻の僕の推理で終わりにしよう。ここの皆様はあなたの推理する姿を楽しみにしている。無名の新人の推理なんて誰も興味ないはずだ。一回で十分だろう」


「へえ」


「両者互いに煽り合う。この火花を推理へ持ち込めるのか」


 高野が観客を煽り立てるとさらに会場は一段と盛り上がる。 

 いつもの応酬をこの場でも自然と行うことが出来た。

 

 久乃の中には真実を明らかにする意志とこのゲームに勝つ意志が一緒に存在していた。それは全て依頼人のためだった。どちらも同時に叶えることはできないけれど、負けなければどちらかは叶えることが出来る。


 必然的に久乃の戦略は決まってしまった。


「それでは先攻後攻が決まったので、最初に七海様、カードを記入してください」


 七海はペンを手に取り衝立の向こうでカードを記入している。久乃からはもちろん七海が本当の推理か嘘の推理をするかは分からない。しかし、このゲームのセオリーは赤色のカードしかない。黒のカードは勝利には結びつかない。


 このゲームは真実を求めているのではなく二人の人間から出てくる無数の結末を娯楽として楽しむものだった。だから、このゲームにおいて真実の価値は高くない。


「改めて確認するだけだが、負けた時のペナルティはないのか?」


 久乃は記入の間に高野に質問する。


「ええ、勿論ありませんよ」


 ピエロの面の男は頷いた。久乃は未だに半信半疑だった。こんな裏社会のような場所で行われる賭博には嫌なイメージが付きまとう。


「ただ呼ばれなくなるだけよ」


 七海は顔を一瞬だけ上げて言った。


「それが何かペナルティになるのか?」


 久乃は首を傾げる。


「探偵としての死よ。このゲームでみっともない真似をすれば二度と推理なんてまともに取り合ってもらえないでしょうね」


 七海は観客席を見渡す。自分が彼らの玩具の一つであることを自覚するような口ぶりだった。そこまでしてこのゲームに参加しようとする理由を考えると背筋に嫌な感覚がした。


「別に探偵として生きていくつもりはない」


 依頼人が真相を待っているのに、他の誰も真相を待っていない。こんな空間で探偵になったとしても、道化の仲間入りをするだけであり、一回の体験で十分だった。


 七海はペンを置いた。


「七海様、準備はよろしいでしょうか?」


「ええ、私の方は準備が出来ている。観客にしていただく推理は集めなくていいの?」


「失念しておりました。ありがとうございます」


 高野は頭を下げた後にマイクの位置を少しだけ直してから会場に呼びかける。


「会場の皆様も推理をお書きいただき、近くのスタッフが持っている箱にお入れください。こちらもギャンブルの対象になっております。チップと一緒にお入れください」


 どちらのプレイヤーが勝利するかのギャンブルと、事件の真相を暴くギャンブルが同時並行で行われていた。こっちの推理で大量のチップを入れる観客もいた。


 好きな探偵に掛けるのもプレイヤーの一人として推理も楽しめるようになっていた。一回目はあっち側で気楽に観戦したかったなんて思うけれど、そうであればこのゲームに勝つことなんて考えていなかった。


「正解者の中から次にゲームに招待いたしますかもしれませんので、是非頑張って推理してくださいね」


 高野は言った。ただのギャンブルではなく、スカウトまで行っていて抜け目がない。確かに何度も推理が当たる人物を観客席においておくくらいであればこの賭場のスターである探偵の一人とした方がいいのは間違いなかった。


 森慧は既にカードを書き終わって膝の上にカードを置いていた。胴元の彼女の手元にチップは置かれていない。今から始まる舞台を待つかのように椅子に深く腰掛けていた。


 チップを回収していたスタッフが全員通路の端に並んだ。全員、何かしらの結論を出した。あるものは推理をして探偵になり切り、あるものはただこれからの推理合戦を楽しむ。


「改めて推理を披露させてもらおうか」


 七海はそう言いながらカードを手に取った。

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