問題編 10 終幕
藤堂は流季の死体を見下ろす。地面に横たわり体を折り曲げていた。
「まさか、私たちが塔那様の死体を確認している時に流季様の水差しに毒を入れたのですか?」
早希が水差しを手に取った。明らかに流季だけを狙い撃ちにした犯行だった。流季は溺死だけを警戒していたため、飲み水に毒が含まれているとは考えもしなかった。
「あるいはコップのどちらかでしょうね。あとで調べれば分かりますが、今はそれどころではありません。犯人はきっと五人のことを綿密に調べて、誰がどんな行動をするか把握している。そして四人の殺人まで成功してしまった」
五龍の呪が完成まであと一人だった。五人は儀式をしているはずだったのに、いつの間にかその関係は逆転して龍に捧げられるものになっていた。
「じゃあ、誰が犯人なの。だって、生贄はいないのでしょう?」
「考えたくありませんが、灯紗様だけだと思います。全ての殺人を可能なのは彼女しかいません。塔那の殺人は間違いないでしょう?」
藤堂の言葉に早希は頷くしかなかった。
「そうですね。灯紗様を探しましょうか。でもどうしてそんなことをするの?」
「勝手な推測をするのは失礼ですが、昔病気が流行った時に一つの家を残して他の家が途絶えました。その時に残った龍宮家から再び一族を再興したとの話でしたが、彼女自身が始祖になろうとしたのかもしれません」
「そんなことで……、家族を殺せるの?」
「どうでしょうね。もとよりこの一族の人間は私たちと同じ人間というだけで、信じているもの、見えているものが全く違います」
藤堂は席を立った。早希もそれに合わせて立ち上がり、藤堂の後ろを歩いて二階へと昇る。そして客室の中の灯紗の部屋の扉を叩いた。返事を待つ間、部屋の扉の木目を見ていた。
「返事はありませんね」
藤堂は振り返る。
「扉を叩き壊しますか?」
「そうしましょうかね。一度全員の部屋を改めておきましょうか。犯人が潜んでいるかもしれませんからね」
藤堂は倉庫にしまわれていた鉈の一本を持ってきた。鉈は少し錆びついていたが、重みは扉を破るのに十分だった。何度か打ち付けると扉に穴が空いた。錦花の時と同じように空いた穴から手首を入れて鍵を開いた。
部屋に入ると人のいる気配はなかった。塔那がしたように部屋の至る所を探したけれど、人が隠れている気配もなければ人が争った形跡もない。
「ここにはいませんね。未だに外を探しているのでしょうか。最悪の場合ですが、遭難しているかもしれません」
流季が大声で呼びかけたが返事をしなかった。既に犯人の手に落ちている可能性も考えられた。犯人が五龍の呪に沿って殺人を実行するのであれば火が用いられる。そしてここ一帯が大火事になる。
流季の部屋と塔那の部屋も同様に鉈を使って扉を破った。三度目になると簡単に開くことが出来た。
「持っていた鍵を取りに結局行かなかったのですね」
「下手に遺体を触って変な疑いを掛けられたくもないですからね」
藤堂はそう言いながら隙間に手を入れて最後の塔那の部屋を開いた。この部屋にも誰もいなかった。灯紗の気配は突然消えてしまった。
「さて、どうしましょうかね。灯紗様が戻るまで外を探しましょうか。あるいは私たちだけでここを去りましょうか。どちらがいいですか」
「藤堂様の決定に従います」
早希は迷わずに言う。
「分かりました。外を探しましょうか。私一人で探すのは心もとないので私の背後を見守ってもらってもいいですか?」
「分かりました。でも既にこの館を去っている可能性もあります。儀式とか全てを投げ出して命からがら逃げだしたのかもしれません」
「それでは三時まで捜索をしましょうか。ただ、それはあまり考えられません」
「どうしてですか?」
「私たちが逃げようという結論になったのは腕利きだった塔那様が殺害されたからです。あのときまでは誰もが不意を突かれさえなければ勝てると思っていました」
灯紗が最初に包丁を手に取って生贄を返り討ちにしようと言っていた。そのことを合わせると逃げ出したとするのは考えにくい。
時計は午後一時を指していた。階段を降り外に出ると五龍殿は太陽の光を跳ね返して輝いていた。ここで連続殺人なんて起きていることを知らないかのようなふるまいのように見えた。あるいはそんなことが起きても何も思っていないだけなのかもしれない。
「さて、滝の方から探しましょうか。最後に訪れたのが塔那様と合流する前でした。いや、そこで火が焚かれているのであれば気が付くでしょうね」
「そうなるとまだ火はつけられていないですね。炊事場の煙は何処からも見えましたよね」
ええ、その前に荷物だけをまとめてしまいましょうか。といってもほとんど荷物はありませんがね。二人で一緒に片付けだけしましょう」
今朝、藤堂は昨夜寝るときに来ていた作務衣をもうしまっていた。早希と一緒に部屋に戻ると儀式の手順が書かれた冊子も一応鞄の中に詰め込む。扉は開けたままだった。扉を開いておかないと音が外の音が聞こえないからだ。
「この臭いは何でしょうか。焦げ臭いです」
早希は違和感に気が付いた。改めて臭いをかいで疑惑を確信に変えた。
「炊事場の火だとすればまだいいのですがね」
「確かに消したはずですが……」
早希は何か思いついたような顔になった。
「どうしましたか?」
「灯紗様が殺されて火がつけられたのではないでしょうか?」
部屋を出て、煙の元をたどるために左右を見渡すと煙は三階から漏れていた。壁は土で出来ているため、炎はまだ燃え広がっていなかったが、時間の問題だった。
「三階に行きましょう」
藤堂は階段を駆け上ると早希もついて来た。煙が扉の隙間から漏れだしている。短い間にも煙の流れ出てくる量が増えていく。もう火を消せる見込みはなかった。
「開けましょう」
藤堂は静かに扉を開いた。新鮮な空気を待ち焦がれていたかのように炎は急激に大きくなった。
中央の祭壇の上に横たえられた死体に火が付けらえていた近づいて、祭壇は木で組まれていたせいでよく燃えている。近づくことができないほど、炎は一帯を飲み込んでいた。
「そんな。犯人は灯紗様ではないのですか」
早希は混乱していた。死体はもうひどく焼け焦げていて無事ではないのは確かだった。そして、藤堂たちがこの館を離れていないことから、別の死体とは入れ替えることが出来ない。
「そうみたいですね」
返り討ちにするつもりだったのか、死体の手元には短刀が置かれていた。三階には窓がなかったから、犯人と一騎打ちをしようとしたように見える。
死体の足元には儀式用の刀剣が置かれていたが真意を尋ねることはできない。
「犯人は何処にいるのでしょうか……。だって火をつけてからここを出ようとすれば私たちと出会うはずです」
早希はそう言った後に煙を吸ってせき込んだ。
「それよりもここを離れましょうか。私たちの身も危ない」
これで五龍の呪は完成してしまった。藤堂は一瞬だけ振り返るといくつもの命を奪ってきた五龍殿は崩壊を始めていた。柱は焼けて、壁は崩れ落ちていく。
最低限の荷物だけを回収して建物を出る。つり橋は掛けられたままだった。藤堂はが落ちないか確かめるために体重を少しだけかけたが、問題なかった。
「この勢いのまま燃えれば山火事になるでしょう。この一帯を飲み込む災害になります。少しでも早くこの山を抜け出しましょう」
藤堂は言ったけれど早希は首を横に振った。
「もう少し待ってほしいの」
その視線の先には焼け崩れる五龍殿があった。
建物は炎を経て煙と灰になろうとしている。炎はさらに大きくなり建物の外観さえも分からなくなる。
「もう儀式は行われないのですね。もう誰も傷つかなくてよくなるのでしょうか」
「この山に限ればそうですね。」
藤堂は鞄の中に入った冊子を取り出して、道の真ん中に投げた。
「それは捨てられるのですか?」
「ええ、こんなものを残しておく必要もありません。ここで龍宮家は終わりです。残った龍宮家がどうするかは分かりません。五龍の呪が彼らにも降りかかるのでしょうね。もしも本当に呪いがあるのであれば、もし呪いがないのだとすれば無意味に殺害された村人によって無事では済まないでしょう。彼らはどっちにしても破滅しています」
藤堂は淡々と言った。
そして二人で山を出るころには炎は大きくなり全てを飲み込んでしまった。
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