問題編 9 災厄

 藤堂は食堂で水を飲んだ後に、部屋へ戻った。山道を歩いたせいで服が汚れてしまっていた。着替えの服は持ってきていない。少し歩いた先の川で服を洗うことはできるが一日は乾かない。食料に関しても玄米をある程度持ち込まれているが、長期間滞在は出来そうにない。


 藤堂の世界の常識からすると生贄が逃げたとしても、災厄が訪れるはずはない。二人は人為的に殺害されていた。五龍を騙った殺人が実行されただけだった。


 犯人は逃げた生贄であると三人は思い込んでいた。きっと生贄を捕まえれば全てが解決できると考えたかったのだろうと思う。三人は生贄の捜索を儀式の延長として捉えていた。灯紗が短刀、塔那が斧、流季が金槌を持っている。不意に物陰から姿を出せば三人に殺されかねない。


 額の汗を掌で拭って狩衣を着直した。

 

 藤堂は早希の部屋を訪れた。


「藤堂様一人なのですね。塔那様はどうされたのですか」


 早希は尋ねる。


「一人で山に入った。刺し違えてでも犯人を殺すつもりらしい。全く足取りを掴めていないから少し感情的になっている」


「そうなのですね。でも、どうして事件は起きてしまったのでしょうか。そして五龍の呪にどうしてなぞらえるのでしょうか」


 早希は事件について考えていたが、犯人については全く見当がついていない様子だった。


「それは犯人だけが知っていることです。私には一切分かりません。犯人にとってはこれが何か神聖な儀式と思い込んでいるのかもしれませんね」


「そんなこと……」


 早希は少し行って言葉を切った。五人の巫女たちは生贄を葬ることを神聖な儀式だと思い込んでいたことを思い出したのだろう。極限まで単純な言葉で言えばただの殺人と死体遺棄だった。


「私たちだって、自分たちが普通だと思っていることは誰かの普通ではありません。それは間違いないでしょう。さて、食事の用意でもしましょうか」


 時計を確認すると既に十二時を過ぎていた。もう儀式は完全に失敗して手を引くしかなかった。


「そうですね。折角用意したのだからいただきましょうか」


 早希は椅子から立ち上がる。階段を下りて炊事場を確認したが誰も立ち入った形跡はない。山菜は茹でられて笊に入れられていた。


「玄米と一緒に炊いてあげようかなと思っています」


 玄米も既に水に浸されていた。早希はきちんと五人分の支度をしていた。彼女は今生きている全員が生き残ることに期待をしていた。


「いいですね。ここにタケノコが生えていれば最高だったのですが、時期ではありませんね」


 藤堂は肩を竦める。竹林は吊り橋の向こうにあったことを思い出す。早希は手早く火を起こして羽釜の中に必要な物を入れてから火にかけた。藤堂は何もできなかった。


 風が吹くと木の間を吹き抜けて悲鳴のような音がした。早希はその音におびえて体を小さくした。


「昼食はどうするつもりでしょうかね。本当であれば儀式が終わっている頃合いですが。見つかるまで食べないのかもしれませんね」


 藤堂はそう言いながら、生贄を探すときの塔那の血走った眼を思い出す。早希は火が見える位置の椅子に腰かけた。


「私がお茶を用意しましょう。誰かが戻ってきたときに一緒に飲みましょう」


 正確なことを言えば流季は昨日からお茶を飲んでいない。煮沸した井戸水を自分の水差しに入れてガラスのコップで飲んでいる。


「ありがとうございます」


 藤堂もマッチに火をつけて羽釜の隣に薬缶を置く。時間は十二時を過ぎていた。五人は誰も時計を持っていなかった。このまま気が済むまで生贄を探すかもしれない。


「こんな儀式がなければ私は結構ここが好きなのですけれどね」


 早希は小さな声で言った。龍宮家の人間には聞かせられない一言だった。


「そうですね。私も同意見です」


 藤堂は頷いた。儀式が途絶えて百年もすれば奇妙な風習だと思えるが、今はあまりにも生々しかった。


 お湯が沸いたころだった。遠くから悲鳴がした。方向は北で、祠がある方角だった。今度は気のせいではないことを二人は顔を見合わせて確かめる。


「私たちも向かうことにしましょうか」


「そうですね」


 火を消して支度をするうちに流季が血相を変えて館に入ってきた。相当急いできたのか、肩で息をしていた。この建物から煙が出ていたから誰かがいると思ってきたのだろう。


「大丈夫ですか」


 藤堂が尋ねる。


「ええ、塔那が……殺されていたの。頭を叩き潰されていた」


 二つの死体を検分した時とは異なり、相当おびえていた。その様子に死体の状態のひどさがうかがえる。


「そんな……」


 早希は声を震わせる。流季は一度唾を飲みこみ、少しだけ冷静さを取り戻して話す。

「塔那が祠の中で殺されていたの、使われたのは儀式で使った茶碗だった。生贄は祠の中で誰かが来るのを待っていたのかもしれない」


「一回確認しましょうか。全員で行きましょう。犯人は一人になった時を狙ってきます」


「もっと早めにそうするべきだった。十二時を過ぎる前は私たちは生贄を探すことばかりに夢中になっていて、その判断が出来なかった」


 流季は唇を噛んでいた。


 塔那の死体は祠の前にあった。彼女の頭は執拗に叩き潰されていた。凶器となった壺はその場に転がっていて血は多少ついていた。死亡した後に殴打されたのか出血はそれほどなかったが、顔がつぶれていて誰か全く判別できない。


「これは酷いですね」


 藤堂は念のために脈をとったが生きている気配はなかった。


「私と最後に会った時手に斧を持っていたけれど持っていませんね」


「取られたのね。犯人はどうして持ち去ったのかしら。残る私たちを殺すために斧は使えないはずよ。私は溺死で灯紗は焼死よ」


 流季は死体を見ながら言う。


「何か決定的な証拠があるのかもしれませんね。例えば犯人を切って血がついていたから、動揺して持ち去ったとか」


「とりあえず、そう考えておきましょうか」


 藤堂の言葉に流季は頷いた。早希は死体から目を背けて祠の外を警戒していた。


「他の外傷がないことから、おそらく最初の一撃でやられたのでしょうね」


「その後ここまで叩く必要があったの。他の二人に比べるとあまりにもひどい」


「念には念を入れたのでしょうね」


「それぞれで武器を持っていれば大丈夫かと思っていたけれど、相当手慣れているようね。塔那もまさか殺されるなんて」


 流季は手にしていた金槌を見た。


「こうなると男の私でも太刀打ちできる気がしません」


 藤堂は呟くように言う。


「確認だけど、あなたは何をしていたの?」


 流季は藤堂に尋ねる。


「私とずっと一緒にいました」


 早希は言う。塔那と別れた後、藤堂は館から一歩も出ていない。


「本当?」


 流季は首を傾げた。


「私たち二人が信用できないのであればこの議論は平行線となりますが、私たちは二人とも館から一歩も出ていません」


「そうなると山に潜んでいたあいつでもう間違いない。一人ずつ着実に殺そうとしている」


 流季は唇を噛む。全ての行動が逃げ出した生贄を捉えるために機能していない。


「一度戻ってからどうするか考えましょうか」


 藤堂は尋ねる。


「そうするしかないでしょうね。あまりにも遅い結論だけど、互いに死角を補いあうしかない」


 生贄を探しださなければ、結局五龍の呪で破滅を迎える強迫観念が正常な判断を狂わせていた。本当であれば食堂で五人で身を寄せ合っているのが正解だった。


「でも、これは人為的なものです。あなたたちが恐れている五龍の呪は一体何なのでしょうか」


 早希は震える声で言う。


「分からない。私たちは何を恐れていたのかも分からない。でも、無関係のあなたに好き勝手には言われたくない」


 流季は疲れ果てていたが、鋭い目で早希をにらみつけた。


「五龍の呪の恐ろしいところはどのようなものであるか分からないから対策することが出来ないことです。村の皆も同じです」


 藤堂は自分の両親がこの儀式に関しては当事者の藤堂以上に成功させようとしていた。早希も頷いた。二人は村の異常さを身をもって確かめていた。


「いいや、今は問題はとても簡単よ」


 流季は首を横に振った。


「野放しになった生贄が逆恨みで一人ずつ私たちを殺しに来ている。それだけは分かる。私たちは常に二人以上で行動するべきだった。そして生贄は全員を殺したいと思っている。それなら館で静かに待ち構えておけばいい。ここからは我慢比べよ」


 流季は言った後に唇を噛んだ。


「確かにそうですね。犯人は常に不意を突いていますね」


 藤堂は頷いた。今までの死体は抵抗の跡は全く残っていなかった。一撃で反撃不可能にした後に確実に殺害していた。二人以上の人間であればそれを回避できるのは当然だった。


「一度昼食にしましょうか。食事を二人で用意していました」


 藤堂が促すと流季は腕を組む。逆に食事の準備をしていたのが気に入らない様子だった。


「そうなのね。あなたはもう生贄を探していなかったのね」


「彼女を一人にしておくのは心配でした。何が起きるかは分かりません。五龍の呪に沿って殺人が実行されているだけで、本当は私たちを含めて殺害するかもしれないでしょう?」


「それはそうね。私たちが殺されるのだとすれば、協力者であるあなたも同罪だものね。もちろん、お手伝いのあなたもね」


 流季に言われると早希はまた縮こまってしまった。


「今疑うべきは灯紗様ですね。この事件に関して私は未だに本当に生贄が起こした事件なのかと思っています。姿形が見えない人間なんているはずがありません。私たちの中で誰かが犯人であることは間違いないでしょう」


「私たちを疑うの?」


「ええ、疑いたくはありませんが生贄が逃げたことと殺人が起きたことをどうして因果関係で結べるのですか。全く別の事象である可能性があります。そして、山の中にいたのはあなたたちの三人です。第一発見者であるあなたが犯人でなければ、灯紗様が犯人です」


 藤堂の言葉に流季は頷く。


「まあ、逃げ出した生贄がいないことを確かめられない以上、これ以上の議論は無駄よ。私は溺死しないように気をつけて犯人を探しましょうか」


 桶に組みだした水を使えば何とか殺害することも可能だが、流季が複数人で行動すると決めた以上、突き落とすこと難しい。


「それで流季様はいつこの館を離れるつもりですか。儀式は失敗しています。下手すると犯人に橋を落とされる可能性だってあります」


 藤堂が尋ねると流季は少しの間考え込む。


「早めに出ることにしましょうか。もうこうなってしまった以上はどうしようもない」


「本当ですか?」


 素直に引き下がる返事がなかったので藤堂は驚いた。


「私たちが呪いを恐れる理由は一族が滅亡すること。生贄を返り討ちにしようとして全滅するのは本末転倒でしょう。それに時間が経てば経つほどに私たちは不利になる。警戒し続けることはできない」


「分かりました。それでは館に戻って離れる支度をしましょうか。灯紗様が戻られたら出発しましょう」


 藤堂が提案すると流季も早希も顔を見合わせて頷いた。


「まずは灯紗様を探しましょう。おそらく塔那様が殺害されたことについてまだ知らないはずです。遺体に関しては村に戻ってから回収させるようにします」

 

 三人は館の周囲を声を掛けながら歩く。


「灯紗、引き揚げましょう。このまま山を捜索していても返り討ちに遭うだけです」¥

 流季は呼びかけるけれど誰も返事をしない。声を出すことが危険を高めるため早希と藤堂の二人で後方を警戒して足を進める。


「返事がない」


「風でかき消されているのでしょうか」


 木々の間を風が通り抜けるは音し続けていた。ただ、それにかき消されるほど全員の声は小さいわけではなかった。


「食事でもして待っていましょう。そのうち帰って来ると思います。無事であれば」


「本当かしらね」


「犯人はあの童歌に忠実に殺人を実行しています。あなたが無事であれば灯紗様はきっと無事でしょう」


「分かった。今はあなたの言葉を信じることしかできない」


 無事に辿りつくことが出来た。


 食堂には誰もいなかった。昼食には誰も手を付けている様子はなかったため、誰も館には立ち入っていないことになる。


「私は流石に食べることにするよ。朝から何も食べていないからね」


 そう言いながら彼女はお櫃から木の椀に米を盛りつけた。

「私たちも食べましょうか」


 藤堂は食事に手を付け始める。中途半端に炊かれて、味はそれほど良くなかったが、食事がとることが出来るだけよかった。


「お茶を沸かしましょうか」


「お願いします」


 早希はそれほど空腹でないのか席にはつかずに炊事場に向かいマッチで火を起こし始めた。


「灯紗の様子を確認してくる」


 流季はそう言って立ち上がった。


「大丈夫なのでしょうか?」


 早希は不安な様子で言う。


「正直なことを言えば厳しいかもしれませんね。直前まで山の中にいたということはもう無事ではないかもしれません」


「灯紗はまだ帰っていないみたいね。部屋には鍵がかかっていた」


 流季は戻ってきた。


「一応部屋の中を確認しましょうか?」


「あと二時間ほど戻ってこなければ鍵を壊すことにしましょうか」


 食事の間誰も口を開くことはなかった。犯人は逃げ出した生贄でありどうやって捕まえるかも全く考えは出てこなかった。


 三人の茶碗が空になった。


「とりあえず、この食事を終えたら麓まで戻りましょう。そこから村に戻って駅に戻るのが一番いいと思います」


「そうね」


 流季は頷いた。ガラスの水差しからガラスのコップに水を注いで飲む。その数秒後に彼女は倒れた。


「そんな。どうして」


 苦悶の表情を浮かべてしばらく地面で横たわっていたけれど次第に動きが小さくなって流季は事切れてしまった。藤堂は駆け寄ったが、何もすることはできなかった。

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