問題編 7 毒

 五龍殿に今生きている全員で戻る。祠から館に戻る間に逃げ出した生贄の姿は見当たらない。人が立ち入らない山は昼でも薄暗く、一歩足を踏み入れれば迷ってしまいそうだった。


 館に入る前に吊り橋の方を見渡したが人影のようなものも見えなかった。


 龍への供物として用意した生贄が殺人鬼であると判明したことを三人は未だに受け止められていない様子だった。


「とりあえず、食事にしましょうか。私は手伝いの方を呼びにまいります」


 藤堂は二階へ上がり早希を呼んで簡単に状況を伝えるとその事態になることを予想していたのか特に驚かず、藤堂について食堂へ戻ってきた。


「それじゃあ、食べましょうか」


 藤堂は並べられた食事に手を付け始めるが、誰も箸を手に取ろうとしていない。


「この食事は大丈夫かしら。お手伝いの方もずっと部屋にいたから犯人が毒を盛っている可能性は否定できない」


 灯紗は茶碗に盛り付けられた米を怪訝な目で見ていた。


「問題ないのではないでしょうか。この殺人が五龍の呪に沿って行われるのであれば、米に毒を含んでしまえば五龍の呪は破綻してしまいます」


 犯人が五龍の呪のルールを守るつもりであれば、塔那は土で出来たもの、流季は水、灯紗は火に気をつければ殺害されることはない。


 食事は完全に冷めていたが、味は昨日と同じだった。藤堂が食べてしばらく異常がない様子を見ると他の人も箸を手に取った。


「確かにその通りね。私は火に気を付ければいい。火の気で気を付けるとするならばマッチと蝋燭くらいね」


 灯紗は頷きつつ一口を頬張る。犯人は錦花の殺人で使った包丁も橙莉の殺人で使った麻の紐も使い回す気は一切なくその場に置いていた。


「早希様も食べてください」


 藤堂に促されて早希も一口ずつ口に運んだ。彼女は事件には関係ないため警戒する必要がないが、ゆっくりと咀嚼をする。死体を目にして悪くなった具合は戻りそうになかった。


「全く気配がないというのは不思議だ。昨日の夜から今朝までこの中の誰にも悟られずに行動できるのか。この館の周辺に潜むことが出来る場所はないはず」


 灯紗は首を傾げた。


「生贄になってから相当計画を練られたのでしょうね。私たち全員を一人ずつ殺す方法をね」


 流季は言った。ただ殺害するのではなくきちんと童歌に沿って殺害するルールを犯人は自らに課していた。


「さて生贄をもう一度どうやって殺すかが問題だ」


 灯紗は腕を組んで考え込む。


「何か罠のような物を張ってあげればいいのかな。例えば食事に毒を混ぜておいて、油断して口にしてくれればいい」


 塔那は言う。有効そうな罠だった。生贄はこの場所に運び込まれてから一切の食料にありつけていない。水分も井戸水からしかとることが出来ない。目には透明だが、煮沸しないと腹を下す危険性は十分にある。


「その手は通用しないと思う。犯人が空腹であれば昨日のうちに食料に手を付けているはず。食料が減っているようなことはなかった。前もってここのどこかに食料を保管しているのかもしれない。リスみたいにね」


 流季が言うと塔那はその言葉に納得した。


「もう下山するというのは選択肢にはありませんか。一度儀式を切り上げることはやはりできないですよね」


 藤堂は三人に尋ねようとしたが自己完結してしまって最後は一人で納得してしまった。


「それはもちろん。私たちは儀式を最後まで実行しないといけない。それは二人のためにも。何より龍宮家の存亡がこれにはかかっている。私たちは一人でも生き残れば勝ちなんだ」


 灯紗は迷わず答えた。龍との契約を守り、この地に栄え続けることを生まれる前から巫女たちは背負わされてきた。それは本人の意志として明確に表れていた。


「警察にも届けませんよね」


 藤堂は尋ねると灯紗は再び頷いた。


「当然だ。そんなことをすれば家自体がどうなるか分からない。何とかなるとは思うけれど、これを公にはしたくない」


「それにこの山を無事に抜けられるかも分からない。昨夜、自由に行動できたということはこの山に罠が張られている可能性がある。犯人を捕まえてからゆっくり考えるのでもよろしいかと」


 流季が灯紗の言葉に補足する。


「まず、現状の問題を改めて確認しましょうか。何よりどうやって生贄が無事にあの儀式をやり過ごしたのかが問題ね。そもそも生贄が本当に生きているかどうかは分からないもの。考えたくはないけれどこの中にいる犯人が生贄に罪を被せようとしているのかもしれない」


 流季は口元に手を当てて考える。


「手始めに毒が何処に混ぜていたか確認しましょうか」


 藤堂は尋ねる。手引書には抹茶の中に山に自生するトリカブトの根を混ぜると記載されている。


「抹茶に入れていたはずだった。橙莉が用意したものよ」


 流季が答えた。儀式の手順は守られていた。日常的に山菜を取りに行っている橙莉が間違える可能性は低そうだった。


「その抹茶がすり替えられた可能性はありませんか?」


「どうでしょう。私たちが入れ替えることは出来る。前日から宿泊していたので持って来ることが出来る機会はいくらでもあった。でも、私たちに毒を入れ替える理由はない。もちろん橙莉が毒を入れない理由もない。そんな人がいれば生贄よりも先に滝壺に投げ込むわ」


 流季は当然のことのように言った。生贄に対しても肩入れするつもりもなければ、生贄に肩入れする人間に肩入れするつもりもないらしい。


「口の横から液は全く零れていなかったですよね」


 藤堂が確認すると全員が頷く。


「あの……何か解毒剤のようなものはあるのですか?」


 早希は今にも消えそうな声で尋ねる。


「トリカブトの毒には解毒剤なんかない。しかも即効性の毒だからすぐに効き目が出る。あの祝詞を呼んでいる時間で簡単に手遅れよ」


 流季は淡々と答えた。毒に関しては三人の中で最も詳しい様子だった。トリカブトの毒性については藤堂も知っていた。古来では附子とも呼ばれ多くの人間を葬り去った毒は未だに解毒方法が見つかっていない。


「でも、奇妙ではないですか?」


 藤堂は口にする。


「何かおかしなところがあるの?」


 流季が尋ねる。


「ええ、仮に毒が効いていないと仮定して、夜に私たちが祠を訪れるまで待っていたというのですか。祠の内側からは私たちが来ることなんて分からないはずです」


 藤堂は言うと流季は首を傾げた。


「もしかして生き返ったとでも言いたいの?」


「そんなはずがあるはずないですからね。ええ、五行の秘術がたとえ不老不死であったとしても古今東西それが達成されたことはありません」


 古代中華の皇帝たちは不老不死を追い求めて自ら毒である水銀を飲み干していたことを藤堂は思い出す。毒としてなぜトリカブトが選ばれるようになったのか、そしてこの儀式は何を参考にしているのか気になることは色々とあるけれど、それは今は全く重要ではなかった。


「簡単な話、あの生贄を捕まえるのが一番だ」


 灯紗は言った。ここで難しい議論をしていても問題が解決しないと言いたげな態度だった。


「そうですね。どうにかして毒をやり過ごしたと考えるのが現実的でしょうね」


 藤堂も頷く。今の状況がどうであるかを知るためには生贄の存在が鍵になる。


「それじゃあ、返り討ちにするとしようか。正午までまだ二時間以上もある。きちんと居場所を息の根を止めて滝の中に放ってしまえばいい」


 灯紗は炊事場にあった包丁を手に持った。


「それに関しては私も賛成ね。これだけ人がいれば見つかるはず」


 流季も灯紗の提案に乗ったが、藤堂は難色を示していた。


「ただ、彼女に関しては部屋に置いてもらってもいいでしょうか?」


 藤堂は早希を横目に見て再び三人の次期当主の方に目線を向けた。死体を目撃していて明らかに動揺している。


「特別扱いするというのもね」


 流季は腕を組んだ。


「でも、どうせこんな状態で犯人と遭遇しても返り討ちだ。どうしようもない」


 塔那が助け舟を出した。


「私も塔那の意見に賛成だ。本来であれば儀式は六人で行うもの。生贄の始末に関してはここの四人で行うというのが筋だ。もっとも筋から大きくそれてしまっているが。それにこの館を見張る人間は必ず必要になる」


 三人の意見が二対一に分かれて、早希が部屋に待機することが決まった。

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