問題編 6 五龍の呪 

「死んでいるのですか?」


 藤堂が尋ねると錦花のそばにいた流季は頷いた。


「もう脈はないよ。冷たくなっている」


「それじゃあ、死んでいるということですね」


 時間が経っていないせいか、血色が悪いだけのように見える。


「ええ、残念ながら」


 流季は三人の中で一番落ち着いていた。隣に立っている早希は死体を前にして顔色を悪くしていた。


「どういうこと。どうしてこんなことになるの。この中に錦花を殺した犯人がいるということ?」


 塔那は動揺していた。今朝の快活な様子は全くなかった。


「それは分からないが、多分そうだろうね」


 流季は全員の顔を見た。


「ちなみに扉が壊されているのですがどういうことですか?」


 藤堂は尋ねる。


「扉が閉まっていたんだよ。部屋の内側で鍵がかかっていると思って扉をこれで破って手を入れて鍵を開けたんだ」


 塔那は斧を示す。倉庫にあったものだった。確かに扉は素手で破るのは厳しそうだった。扉には穴が空いていて、破片が飛び散っている。扉は中空になっておらず複数の板を金具で繋いで作られている。


「鍵はここに転がっていた」


 灯紗が指を差した先に鍵があった。ちょうど敷物の上に置かれている。藤堂の部屋に備え付けられたものと同じ形式の鍵だった。もちろん、この一日の間に複製を作ることはできない。


「つまり、この部屋は誰も入ることが出来ない状況だったということですね」


 藤堂は静かに言った。鍵のかかった部屋で一人の人間が背後から襲われている。そして、犯人を示す物品はこの部屋には残されていない。部屋は全く散らかっておらず、錦花自身の荷物は全て鞄にしまわれていた。


「そんな推理小説じゃないのよ。こんな密室を作ってどうするつもりなのかしら。だってこの中に犯人がいるのは明白でしょう。そもそも必要がない」


 流季は藤堂の意見に対して発言する。


「これが悪戯であったとしても彼女が死んでいるのは事実ですからね。犯人にはどういうわけがあったのかは分かりませんが、密室を構成する必要があったのでしょう。それに密室を構成できる人間だけが犯人に成り得るので逆に犯人を探すにはうってつけではないでしょうか」


 藤堂は言う。


「それでその密室にはどういう意味があるのかしら?」


 流季は藤堂に尋ねる。


「それは分かりません。自分の作った密室を解いてほしいとかそんな幼稚な理由なのかもしれませんが、現状断定できるような材料はありません」


 藤堂は首を横に振る。


「流季、やめておこう。犯人を捕まえて直接問いただせばいい」


 塔那が流季に言い聞かせようとした。


「どうやって捕まえるのかしらね。昨晩は分かれてから互いの動きについて知らない。そうでしょう?」


 全員が流季の言葉に何も返すことはできなかった。


 部屋を改めて見返す。扉と地面の間は極めて狭く糸を滑り込ませる余裕はなかった。包丁の傷は大きく一か所だけだった。部屋の中が乱れていないことから即死であったことがうかがえる。


「錦花様はいつ殺害されたのでしょうか?」


「おそらくは私たちが就寝したのを確認してからでしょうね」


 藤堂は言う。


「誰か何か変な物音を聞いた人はいない?」


 流季が全員に尋ねたが誰も首を横に振らなかった。


 土の壁は厚く作られていて、隣の部屋から音が聞こえる様子はない。さて、どうすればいいものか。


「ところで橙莉はどうしている?」


 塔那が見渡す。錦花の死体に遭遇したことによって全員の頭の中から橙莉の不在が抜け落ちていた。


「確かにまだ戻ってきていないな」


 灯紗は言うとその意味に気が付いて表情が険しくなる。


「ただ、この騒ぎを聞いても駆けつけないということは……」


 早希は途中で言葉を切った。自分が何を言おうとしたのか分かり踏みとどまった。


「確認しようか。全く、何が一体起きているんだ」


 灯紗を先頭にして橙莉の部屋へと向かう。二階の客室は丸い形状の建物に部屋がパズルのように配置されている。廊下は狭く互いの扉が向き合わないように配置している。


「こっちにも鍵がかかっている」


扉に手を掛けた灯紗が首を捻った。


「仕方ないので破ろう」


 塔那が扉の前に立ちさっきと同じように斧で扉を殴りつける。何度か打ち付けてやっと人の手が通る大きさの穴が空いた。そこから腕を通して鍵を回した。


 扉を開くとそこには橙莉の姿はなかった。ベッドの形が崩れていたから、昨日までそこにいたのは明らかだった。


「どこに行った?」


 灯紗は首を左右に振りながら言うが返事はない。


「手分けをして探そうか」


 塔那が言う。


 灯紗と塔那はそれぞれ散って調べ始めた。流季は空になった橙莉の部屋を見ていた。


「何か気になることがあるの?」

 塔那が流季に尋ねる。

「鍵が掛けられて部屋を出ているということは外にいるのでしょう。あるいは犯人に呼び出されているのかもしれない。もし橙莉が殺害されているのだとすればどうしてこの部屋で殺人をしなかったのだろう」


 流季は誰もいない部屋を見渡して言う。


「そのことを考えるのは後にしよう。今は探すのが優先だ。まだ決めるのは早い」


「いや、呼び出されたのだとすれば私たちの中に犯人がいることになる」


「犯人というのは私たちの中にいる……」


 塔那はそのことを自覚すると表情が険しくなる。


「そうね。そもそも、ここの場所に来ることが出来る人間は限られている。夜にこの山道を通るのは危険すぎる。普通の人間であればしない。そしてこの館の中に潜むこともできない。だって、この館のことは私たちが一番知っているでしょう?」


 流季の言葉に全員が疑心暗鬼に陥いる。彼女の言葉は確かだった。この建物の図面にも秘密の部屋のようなものはなく、壁を軽く叩いてもきちんと詰まっている音がした。


「まずは橙莉様の無事を確認しましょうか」


 藤堂が言う。


「そうだな。無事であることを祈るしかない」


灯紗が頷いて解散した。

早希は端で縮こまっていた。一度部屋を出て部屋に戻る。顔色は相当悪くなっていた。間近で死体を見たことに動揺している様子だった。


「大丈夫でしたか?」


「どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。儀式が終わってしまえば何も問題ないはずだったのに」


 彼女の声は震えていた。千年繰り返した儀式にはこの状況については一切書かれていない。犯人の突き止め方もどのように事件を幕引きにするかも分からないまま突き進んでいく。


「犯人を突き止めれば解決するはずです。まずは今生きている全員の無事を祈りましょう」


「はい」


 藤堂が言うと早希は頷いた。それから藤堂は三人に橙莉の捜索を任せて先の隣で静かに座っていた。三人とも橙莉の無事を確認するのに必死で藤堂たちの行動に気が向いていない。


「橙莉がいました。藤堂様は何処にいますか」


 塔那が館の外から入ってきた。何か恐ろしい物を見たような声が扉の向こうから聞こえてくる。


「どこですか?」


 藤堂は早希を残したまま慎重に階段を下りていく。


「部屋にいられましたか」


「ええ、少し手伝いの者が体調を崩してしまいまして。申し訳ありませんと言っていました」


「確かに、この建物の中で起きた殺人事件のことで手伝う必要は本来ないでしょうから。私たちには何も言えません」


 言葉では割り切っている様子だったが、明らかに不満そうだった。


「案内してもらってもよろしいでしょうか。私も何が起きたかを知りたいです」


「橙莉は井戸の傍で亡くなっていた」


 塔那は伏し目がちに言った。


 建物脇にある井戸の傍で橙莉は首が絞められて殺されていた。凶器として使用された麻の紐は巻き付けられたままだった。寝巻ではなく五人と同じように青色の着物を着ている。首に紐の跡がある以外に目立つ外傷はない。


「朝食の支度の途中で水を汲んでいた時に襲われたのでしょうか。建物の外であれば音もしないでしょうから」


 藤堂は言った。他に目立つ外傷はなく暴れたような痕跡はなかった。背後から近づいて素早く首を絞めたように見える。


 流季は橙莉の手を手に取って眺めていた。


「犯人をひっかいていないだろうかと思ったけれど、手は綺麗なままだ。他に外傷もない。首も無理に絞めたような感じではない。首を絞めれば抵抗するはず。どうしてここまで死体が綺麗なのかしら。一気に強い力で絞めれば落ちるということもあり得る」


 流季は冷静に考えていた。ただ、その目には必ず犯人を特定する意思を感じた。


「どうして橙莉まで」


 対称的に灯紗は犯人に対する憎悪で体を震わせていた。


「もしかして、これは五龍の呪じゃない?」


 塔那は唐突に言う。


「五龍の呪?」


「錦花は金属製の包丁、そして橙莉は麻の紐だった。五龍の呪の童歌は憶えているよね」


 白い龍は噛みついたとさ

 黒い龍は首絞めたとさ

「まさか……」

 流季は最初に塔那の意図を理解した。

 黄の龍は殴りつけたのさ

 青の龍は引きずり込んだとさ

 赤い龍は丸焼きにしたとさ


 この唄は五通りの終わり方がある。そこから導かれる結論は一つしかない。


「犯人は私たちを全滅させようとしているのかもしれない」


 塔那が付け加えると全員が黙ってしまった。二つの殺人が起きてしまった以上この説を空想だと決めつける方が都合のいい話だった。


「誰がそんなことを……。まさか、あなたたちが?」


 灯紗は藤堂をにらみつけた。


「いや、そんなつもりはありません。そもそも、あの部屋に鍵がかかっていたということは私たちには不可能だ」


 藤堂は首を横に振る。


「それはそうかもしれない。でも、それは私たちも同じ。逆にあの部屋を構成する方法が見つかればあなたは犯人に成り得るということね」


流季は一度同意した後に続ける。


「はい、ただ……」

 藤堂が言い淀む。口を開こうとするけれど、適切な次の言葉が出てこない。その内容はあまりにも突飛過ぎた。


「何か気になることが?」


 塔那は首を傾げて尋ねる。


「最悪の可能性です。生贄が逃げ出したのかもしれません」


 藤堂の言葉に灯紗は目を丸くした。


「そんなはずが、昨日死んでいることは二人で確認したでしょう?」


 灯紗が藤堂と灯紗自身を交互に指さす。


「あの部屋にいることだけしか確認していないじゃないですか」


 死体には触れていなかった。ただ、あの中で横たわっている姿を見て死んでいることを確認しただけだった。蝋燭の光だったため、色味は分かりにくく灯紗は酒を飲んでいたため、一層不確かになるる。それでも顔に掛けられている布は一切動いていなかったことは確かだ。


「まさか、あり得ない。毒の入った茶を飲み干していることは全員が確認している」


「何かの理由で毒が効かなかった。そして、どうにか脱出することが出来たとすれば可能ではありませんか?」


 儀式で飲ませる毒の量は致死量を優に超えている。誰かが抹茶を入れ替えれば可能ではあるが、五人が生贄を生かす理由はない。


「それは確認しておこうか。犯人の可能性を絞るためにも」


 流季が言うと他の全員が頷いた。


 藤堂を先頭にして歩く。太陽が顔を出している時間に歩く祠への道を歩くのは夜よりも随分と簡単だった。


「錦花、橙莉……」

 灯紗は怒りで体を震わせている。


 祠の扉は閉まっていた。扉の周りを見るとちぎれた蜘蛛の巣が付いていた。蜘蛛の巣は一日で巣を張ることから昨日の夜から一度開かれていることになる。


「扉を開いてみようか」


「ええ」


 藤堂は扉を静かに開いた。そこには生贄の姿はなく茶器だけが遺されていた。生贄が座っていた台には一滴も毒入りの茶は零れていない。小窓は頭が何とか入る程度の大きさしかなく、人が抜けることはできない。


「あり得ない。ここは脱出できないはずだ。誰かが手引きして逃がしたはずだ」


 灯紗は全員を見ながら言うが、誰も何も言わなかった。


「体温は残っていないけれど、何にも参考にならないわね」


 塔那は生贄が座っていた畳に触れる。


「茶道具には全く手を触れていないみたいね。まあ、毒が盛るための道具に触りたがる訳もないか」


 流季は道具を確かめていた。この部屋からは何一つ持ち出されていない。二人の殺人に用いられた道具は全て館の中から調達していた。


 蝋燭は最後に藤堂たちが立ち去った状態の時の長さだった。


「どうやって脱出したんだ。ここは脱出できない祠なんだ」


「龍の力が与えられたとすれば……」


 藤堂の口から漏れた。他の人たちは藤堂に異様なものを見る目を向ける。藤堂はそれに気が付くと全員を見渡した。


「いえ、忘れてください。五行の秘術で生贄が五龍の力を与えられてあなたたちを滅亡させようとしているなんてありえませんよね」


「儀式に何か誤りがあったのだろうか。あの時、確実に毒が入った茶をあなたに渡したはずだ」


 灯紗は目を閉じて儀式を振り返っていた。あの時にきちんと確かめておかなかったことに負い目を感じている様子だった。


「飲み干したところを私たちは確認している」


 流季は言う。畳の上には一滴も茶は零れていなかった。


「何はともあれ重要なことは私たちに犠牲を出さずにもう一度生贄を殺して滝壺に投げ入れることだ」


 塔那が言うと三人は顔を見合わせて頷いた。


「これは何でしょうか?」


 藤堂は指先で扉の裏側に付着したものを触る。膠のようなもので木片が付けられている。


「これで扉を開いたのか。おそらく、生贄はこの祠の構造を知っていたから、服の中に隠しておいたのだろうね」


 灯紗はその木片を掴んで扉を動かした。裏側から指が掛けられない扉を開くことが出来てしまった。


 流季は言う。


「作戦を決めよう。生贄は私たちの命を狙ってくるのは間違いない。だから、私たちがいる限り確実にこの山の近くにいると考えられる」


 灯紗は言う。


「逃げようとしていただけではない?」


 塔那が尋ねると流季は首を横に振った。


「そうであるとするなら二人を殺害する必要はない。なおさら、五龍の呪を装うということは全員を殺そうとしている。逃げるだけなら祠から出て麓の村にある駅に逃げればいい」


 三人は二人が殺害されても理路整然と物事を考えていた。


「何か私たちにできることはありますかね」


 藤堂は塔那に尋ねる。


「二人は生贄が何処に逃げたかを探すのを手伝ってほしい」


「分かりました。ただ気をつけた方がいいかもしれませんね。あなたたちは間違いなく狙われています。一人ずつ殺す算段を付けているのでしょうね。館で待ち構える方がいいのかもしれません」

 

 藤堂の言葉に誰も素直に首を縦に振らなかった。


「私たちは正午までに生贄を殺せなかったとしても終わりなのよ。ここから脱走された時点でもう終わっているのかもしれないけれど」


 流季は自嘲気味に言う。儀式が完遂できなかったことを相当悔やんでいる様子だった。他の二人も一刻も早く儀式を伝承通りに進めたがっている。二人の復讐ということは灯紗さえも口にしていない。


 時計を確認すると時刻は九時を過ぎていた。

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