問題編 4 夕餉

 下の食堂からは一仕事を終えて一安心している彼女たちの声が聞こえてくる。

食堂では橙莉と錦花が料理を作っていた。灯紗は一仕事を終えて、お酒を飲んでいた。塔那と流季はそんな灯紗の相手をしていた。


「藤堂様、かなり軽装になりましたね」


 橙莉が声を掛けて来た。


「ええ、こっちの方がどうしてもあっているものでね」


 久乃は頷いた。この間の服装については特に定めはなかった。湯呑に水を注いで飲み干すと再び二階へ戻った。


「それでは私たちは三階を少し見学しましょうか」


 二人は並んで階段を歩く。この館の階段は急で手すりを掴まないと上りにくい。


「この館は中国の天壇を模して造られています。そして、この館は世界そのものとなるように構成されています。外観の五色はそれぞれ五行を示していて、三階建ては天地人を意味しているそうです。意味や理由が先行して不自由な意匠になっているのは否めませんがね」


 階段を上ると両開きの扉が目の前にあった。扉には赤く塗られた細やかな装飾の枠に障子が嵌められている。扉の入口には鍵が掛けられていなかった。


「それでは入りましょうか」


 扉の入口に鍵はない。この建物自体にも鍵はかかっておらず、唯一個々人の部屋だけ鍵が取り付けられている。この館の存在を知っているのは一部の人間であるから必要なかった。


 五芒星状に配置された台座の中央に四角形の台があり、その上から円形の簾が降ろされている。円が天を表し、正方形が地を表していた。それを取り囲んでいるのが五行を表していて、館と同じように、五行陰陽の体系での宇宙がこの空間に広がっていた。


「ここだけはいつ来ても素晴らしいですね。元々はここで儀式を行っていたみたいですが、流石に死体と同じ建物で寝泊まりをするのはどうだろうかということで祠を建てたそうですが」


「祠はいつごろ建てられたか分かる?」


「もう八百年は前になります。最初の頃は気にしていなかったのですが、一度気になるとどうしようもないみたいですね。石を運んで今のような石室を作ったそうです」

 藤堂は儀式についてきちんと把握していた。


「本当によく知っているのですね」


「別に知っても無意味なのですがね」


 藤堂は言った。


「無意味なのですか?」


「ええ、この世界は当時最先端の科学として扱われていますが、今では二千年以上更新されていない。過去の絵空事になってしまいましたね。炎は酸化反応で生じる光と熱の総称ですし、水は水素と酸素からなる分子で、土に至っては混合物ですから。これが世界を構成していると言ってももう誰も信じてくれないでしょう」


 早希は歩いて一周した。この空間に世界が閉じ込められていることは知識がなくても分かった。


「戻りましょうか。そろそろ、食事が完成する頃でしょうね」


「どうしてそんなことが分かるの?」


「これはただの直観です」


 藤堂は腹を軽く叩いて微笑んだ。


 下のフロアに降りると


橙莉と錦花は調理を続けていた。錦花が水道で次々と野菜を加工して、橙莉は火の番をしていた。


「本当にあの茶のトリカブトの毒には恐れ入ったよ。あんなにすぐに効くとは思わなかった」


 塔那はさっきのことを思い出して感心していた。


「本当にそう。これで私たちも本物の龍宮家になったということなのかな」


 流季は肩を竦めて言う。


「この山の奥に自生しているのは本当によく効くのよね」


 橙莉は言う。よく効くという言葉に実際にしようしたのだろうかという疑問が藤堂の頭に出てきたが尋ねることはなかった。


灯紗は疲れていて椅子に座ったまま遠くをじっと見ていた。


「いい匂いがしていますね。食事の用意ありがとうございます」


「祭司様お疲れ様です」


「ありがとう。ただ、藤堂と呼んでくれた方が気軽で助かる」


 藤堂はそう言いながら座った。


「分かりました。藤堂様」


 橙莉は丁寧に言い直した。 


「塔那、皿を並べてもらってもいい?」


 橙莉に言われて塔那は皿を並べ始める。流季は全く動かなかった。


 夕食は玄米と澄まし汁と干し肉だった。何事もなかったように誰もが口に運んでいる。


「私のお椀に野菜が入っていたから取ってくれない?」


 塔那が隣にいた流季にお椀を差し出す。


「ごめんね」


 それだけ言ってお椀から野菜を一つずつ取り除いた。


「干し肉の味はどうかしら。今日のために拵えたの。まあ、焼いたのは私じゃないけれど」


 錦花が藤堂に尋ねる。


「ええ美味しいですよ」


 濃縮された肉の味に調味料がよく効いていた。


そしてその干し肉を肴にして灯紗は一人飲んでいた。


「藤堂様も飲むかしら?」


「いや、遠慮しておきます」


 藤堂は首を横に振る。


「そう。それなら仕方ないな」


 灯紗は徳利をひっこめた。


「一段落つきましたね」


 藤堂が食堂を見渡しながら言う。ここを訪れた時よりも少し緊張感が和らいでいた。


「それはそうよ。この儀式の成功で初めて五龍の呪を回避できるからね。あとは死体を確認して滝に投げ込めば全て終わりよ」


 塔那も灯紗の言葉に頷いていた。


「これで終われば二十年間の安寧は約束されるの。私たちはこれを繰り返してきたのよね」


 橙莉は一人で頷いていた。


 食事そのままは和やかな雰囲気で終わり、明日の儀式まで解散となった。


 五人はそれぞれが部屋に戻り、食器は藤堂と早希で片付けることにした。献立に関しては誰が何をどのように作るまで明記されているが、対照的に食器については一切触れられていない。


 二人は桶を囲んで水につけられた食器を布で拭った。


「どうしてこんなことになってしまったのでしょうね」


 早希も呟くように言う。


「といいますと?」


「あの人たちは普通の人間だけど、どうしてあんな儀式を当たり前のようにできるのでしょうか」


 早希は五人を恐れている様子だった。五人とも自分の行為に関して間違っていると思っている様子は全くなかった。藤堂は自分も少し時代が変われば普通に龍宮家に加担していたのだろうと思う。


「私達も寝ることにしましょうか。明日が終われば全て終わります」

 食器を一通り洗って炊事場の棚に収納した。


外は既に暗くなりかけていた。蝋燭に灯りをつける時間になる前に部屋に戻ることにした。


「それでは鍵を掛けて気をつけてくださいね」


 早希と藤堂は別の部屋に戻った。


藤堂は部屋の床に腰かけた。部屋は既に薄暗く蝋燭の灯りを付けようとも思わなかった。太陽が沈み部屋が暗闇の中に入りかけていた。夏至のわずかに残った日の光を頼りにして、今日の出来事を書き留めた。

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