問題編 3 儀式

 鞄に入った化粧道具を使うと藤堂の顔に墨と紅を載せていくと次第に妖艶な出で立ちになった。そして、長髪の鬘を被せて烏帽子を被せると、癖毛で眼鏡姿で気怠そうにしている彼ではなく、藤堂家の祭司に変わった。


「これで大丈夫です。それでは移動しましょうか」


 藤堂は手鏡を確認した。


「本当に様変わりしましたね」

「自分が誰か分からなくなってしまいそうです。この山奥まで一式を持っていくのは本当に大変でした」


 いつもの旅行は着替え程度しかもっていかない人間が準備するにはあまりにも大変な数の品物が必要だった。両手は未だに少し痛い。


「それでは祠に向かいましょうかね」


 藤堂は重い腰を挙げて階段を下りて建物を出る。建物の裏手に回って北の薄暗い細い道の先に祠があり、その途中の分かれ道の先に生贄の遺体を投げ込む滝がある。


 祠には誰もいなかった。時刻は二時を過ぎた時で少し早かった。正方形となるように石を組んで作られた祠は生贄が呼吸できるように三方に通気口が空いており、雨風が入らないように簾が掛けられていた。儀式が始まるまでこの隙間から漏れる光だけで過ごすことになる。


 祠の石の扉に力を加えると扉はゆっくりと開いた。


 祠の石の扉は祠の入口に覆いかぶさるように立っていて、外からしか横にずらして開けない。その理由は生贄が逃げられないようにするためだった。中には生贄が控える台座があり、その生贄の前には茶道具一式が置かれる場所があった。


 生贄の台座を取り囲むように五人の当主が座る席が用意されていて、六人から生贄は茶道具で淹れた抹茶に含まれた毒を飲む様子を見られることになる。


 毒を飲む振りで誤魔化すことは出来ず、仮に出来たとしてもそのまま祠の中に閉じ込められて、翌日に滝壺に投げられるのを待つしかなかった。


 石の扉を閉じると完全に暗闇になるが、燭台が取り囲むように建てられていて、死角になる方向もない。


「本当に気分のいいものではないですね」


 生贄として選ばれた少女は中央に座っていた。顔には白い布を掛けられていた。

 藤堂の言葉に生贄となった少女は反応することはなかった。藤堂は部屋に置かれていた燭台に蝋燭を灯していく。蝋燭は太く三時間で燃え尽きる長さだった。


 この蝋燭も蜜蝋で作られたものが指定されている。天井には蝋燭で出た煤が天井に付いたままだった。


 それから無言で蝋燭の火を見ながら持ってきた冊子を読み返す。手順や祝詞を間違えないように改めて確認する。


 懐中時計を確認すると午後二時半だった。そろそろ五人の当主がやって来る頃だった。


「藤堂さん、生贄と二人でいたの?」


 錦花がやってきた。彼女は手に金属製の柄杓を手に持っていた。


「ええ、先に入っていました」


「そうなのね」


 錦花は横目で生贄を見た。


「それにしても私が一番重いのは本当に不公平ね。錦花、手伝ってよ」


 灯紗が入ってきた。彼女は炉を抱えるように持っていた。隣の橙莉は手に棗を持っ

て、彼女の後ろについて歩いていた。


「分かった」


 錦花は慎重に炉の端を持って、灯紗と一緒にゆっくりと炉を地面に降ろした。そして、最後に流季と塔那がやってきた。二人はそれぞれ茶器の入った箱と水差しを手に持っていた。


 全員が揃った。


 そして、道具を言い伝え通りに置いたことを確認する。彼女たちは手にそれぞれの家で代々伝えられてきた数珠を手に持っていた。


「それでは儀式を始めましょうか」


 藤堂はゆっくりとした口調で言う。


「始めてしまいましょう。あの子をいつまでも待たせるわけにはいかないものね」

 流季は静かに言う。生贄の少女は体を動かすことはなかった。


 五人は生贄を取り囲んで腰を下ろした。


 藤堂が祝詞を読み始める。


祝詞は一般的に使われている文字ではなく、記号の羅列として表記されている。冊子を開いているがその記号は頼りにすることなく、記憶した音の羅列を再生する。


 祝言が書かれた一冊が終わると五人は動き出し始めて、茶の準備を始める流季が炉の中に水を入れて、灯紗が火をつけた。炎の中で炭が弾ける音だけが響く。


 藤堂は次に経文を読み始める。これも龍宮家が独自に編み出したものであり、密教を背景に書かれているものだった。こちらは漢字で書かれており、一行ずつ確実に読むことが出来た。


 水が沸騰したことを確認すると塔那が用意した茶碗に橙莉が毒の入った抹茶を入れて、錦花がそこに湯を継いだ。


 藤堂はその抹茶をかき混ぜるが、既に毒が入った状態なので飛沫が飛び散らないように慎重にかき混ぜる。


 そして、生贄の少女に茶碗が手渡された。


 少女は左手で顔の布の下半分を押し上げる。そして、震える右手で持った茶碗を見つめていた。


「お飲みください」


 藤堂が言うと一気に茶碗を煽った。茶碗は静かに地面に置かれた。台には一滴も抹茶はこぼれていない。


次第に生贄の少女は壇の上でもがき苦しみ始めた。荒れた呼吸で少しずつ動きが弱くなっていく様子を部屋の全員は黙ってみることしかできなかった。


五人も本当に人が死ぬ様子を目の当たりにするのは初めてのようで、ほんの少しだけ戸惑いを見せたように藤堂には見えた。


「それでは私たちは退散しましょう」


 藤堂が改めて祝詞を唱える間に五人が蝋燭の炎を消して、祠を出た。


 最後に祠を出た藤堂はそのまま扉を閉めて生贄を閉じ込めた。扉を閉めていく。わずかな光に照らされた生贄の姿は見えなくなった。


 藤堂は体重を掛けて扉を閉め、長い息を吐いた。


「ありがとうございます」


 橙莉は藤堂に頭を下げた。


「私が何をしたというのですか?」


「これで明日、死体を滝壺に投げ入れるだけになったのでまずは今日を無事に終えたことを感謝しています」


 橙莉はもう一度頭を下げると、他の四人も一緒に頭を下げる。五人にとってこの儀式を成功させることは何よりも重要だった。誰も生贄となった弥子を気に掛ける様子はなかった。


 そして五人は振り返って館へと戻っていく。その後を藤堂はついて戻る。藤堂は一瞬だけ振り返った。遠くで落ちる音が大きく聞こえたような気がした。


 五人の当主は館に戻ると夕食の支度を始めた。夕食は十八時に取ることが決められており、食事の内容も決められていた。基本的に全てが昔の龍宮家の人間が定めた規則によって進んでいく。藤堂は一人で部屋に戻って服を着替える。明日も滝壺に死体を投げ入れる際に着なければならない服を整えて衣紋掛けに掛けた。


 一人の人間が毒で殺害された様子を見た後、五人とも安心していたのが不気味だった。ある意味ではもう呪われているのだろうと思いながら藤堂は手元の儀式の作法を書いた冊子を読み返す。


「山菜をとってまいりました」


 早希が部屋に入って籠一杯に入った山菜を見せる。


「随分たくさんありますね」


「そうですね。人が立ち入らない場所ですから自由に生えていました」


 早希は嬉しそうに山菜を見た。


「私は五人のお手伝いをしようかなと思っていたところですが、炊事場に五人ともいたのでまた後程下処理をしようかなと思います」


 五人とも炊事場で夕食の準備を進めていた。


「三階を見に行きましょうか」


 藤堂は上を指さした。


「三階には何があるの?」


「龍宮家が辿りついた世界観があります」


「何度かこの館に来たことがあるのでしたね」


「ええ、私が五歳の時に父に手を引かれてこの館に来ました。父は儀式に対しても熱心な方できちんと生贄を崖に投げ込んでいましたね」


 藤堂はきちんと思い出すことが出来た。


「前の生贄は隣の小夜様でしたね」


 藤堂は頷いた。二十年前には早希は生まれていなかった。


「当時、五歳でしたが覚えていますよ。あの人は一度も顔から布を外そうともしませんでした。その理由は今なら分かりますよ。人間であることを私たちに意識させないようにしたのでしょう。そうやって私たちに少しでも罪悪感を憶えさせないようにしたのだと思います」


「そうなのですね」


「もう過去の事ですからね。どうしようもないのですよ。着替えて水を飲んでからまた合流しましょう」


 作務衣姿に着替えた藤堂は水を一杯もらうために部屋を出る。水は建物の傍にある井戸から汲んでガラスのポットに入れている。料理などで大量の水が必要となった場合はその都度汲みに行く。ここには電気、ガス、水道と全て通っていない。


 吊り橋だけで元の世界とこの場所は結ばれている。

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